布忠オリジナル・ワーシップソング
ワーシップ(worship)とは「礼拝」のこと。
だからワーシップソングというと、キリスト教の神を礼拝する歌という意味になります。
ただここでは、礼拝に限らない広く「キリスト教な歌」という意味で「ワーシップソング」と呼ぶことにします。
で、このページで何をするかというと、恥ずかしながら布忠がつくってみたオリジナルのワーシップソングをアップしてしまおうという。
作曲なんてやったことなかったのですけど。だもので、自分が作ったものがどれくらいイケてるかもわからないので、公開してご意見をうかがいたいな、と。というわけで、それぞれの歌はみな「現時点でのバージョン」です。
詞も曲も「こうしたほうがわかりやすい/歌いやすい」とか、「この部分は、あの歌に似すぎじゃないの?」などご意見いただければ幸いです。
わがきみイェス
この曲は、万葉集のある歌から着想を得てつくりました。
狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)が夫と交わした歌が万葉集に多く納められていますが、その中の一編です。
我が背子が
帰り来まさん時のため
命残さん
忘れたまうな(万葉集 巻15 3774)
この歌をテレビで聴いた瞬間、「これ、このまま再臨待望の歌じゃん」と思いました。
「我が背子」は「私の夫」という意味。つまり、「あなたがお帰りになるときまで、生きています。忘れないでください」という、遠方に流された夫に送った歌なのです。
ここで、「我が背子」とはそのまま、花婿なるキリストになりますね。
「忘れたまうな」ですが、聖書では「忘れる」は「うっかり念頭からこぼれる」というだけでなく、「見捨てる」という「具体的な行為」ですね。逆に「思い出す」とは、「頭の中だけでよみがえる」というだけでなく、具体的に行動するということです。詩人たちが神に向かって「思い出してください」というとき、神がうっかり忘れていると思っているわけでも、思い出してくれるだけでよいという意味でもなく、実際に救ってくださいという意味ですね。
創世記のヨセフの話がよい例で、給仕長がヨセフを忘れたというのは「見捨てて、牢から出すために何かしようとしなかった」ということだし、思い出したというのはファラオに働きかけて「実際に行動する」ということでっした。
つまり、狭野茅上娘子は夢想だにしなかったでしょうけれど、この歌はクリスチャン的にはそのまま「花婿なるキリストが再臨なさるときまで、新生した命に生きよう。だから主よ、早く来てください」という意味になると思ったわけです。
そう思ったはいいのですが、作曲なんていうのは、後述のページェントのために作ったいくつかのほんの短い歌しかやったったことがない(あれもずいぶん苦労して、「二度と作曲に挑戦なんかするものか」と思ったものです。)
まず賛美歌風バージョンをつくってみました。狭野茅上娘子のうたをそのまま歌詞にして、和風をイメージしています。
ですが原詩のままだとわかりにくいかと思い、曲もワーシップソング的なリズムを考えてみたのが、ワーシップソングバージョンです。
BLOGへのコメントですとか、メールで、ご意見くださるとうれしいです。
ページェント「天使たちのクリスマス」のための作品
以下にあげるのは、教会の子供たちによる劇「天使たちのクリスマス」のために作曲したものです。私の人生はじめての作曲でした。
(下記で「楽譜自動演奏」をクリックすると、カワイのサイトからActiveXのダウンロードが求められます。)
待望の歌
ユダヤの人々が「救い主はいつこられるのだろう」と待っていたように、天使たちもそのときを待っていた、という歌です。
イザヤへの知らせ
イザヤへの「インマヌエル」の告知です。聖書では実際には、神からイザヤへの啓示に天使は参与していませんが、ページェントのために脚色しました。
シメオンへの知らせ
のちに聖家族がお宮参りに行ったときに会うことになるシメオン翁。彼はずっと神殿で、救い主のこられるのを待っていたわけで、ということは降誕より前にシメオンにも告知(あるいは予言)があったはず。
その名はイエス
神の霊によってマリアにやどった子に「イエス」と名付けるように、と伝えに行くときの天使の歌です。
マリアへの知らせ
有名なマリアへの告知の場面です。
聖書中では天使長が単身でマリアに告げに行っていますので、独唱のイメージで作ったのですが、実際に劇をしたときには前半を独唱、後半を斉唱にしました。
ヨセフへの知らせ
婚約者ヨセフの懐妊に悩むヨセフへの知らせです。リズムは「心配すんなって」と肩をポンポンとたたく感じをイメージしてみました。
羊飼いたちへの知らせ
羊飼いへの告知の場面を歌にしました。
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劇中では斉唱にしましたが、この歌を独唱にして、続けて「荒野の果てに」のリフレインをデスカント付きで合唱する、なんてのもいいかなぁなんて思っています。
ずっと待ってた
「もろびとこぞりて」の替え歌です。
劇中ではフィナーレで使用しました。(本当は「イザヤもシメオンも羊飼いも、そして現代の私たちも、イエス様のもとへ集まれ」的な大団円の歌をつくりたかったのですが、どうにもうまくいかなかった、という楽屋ネタがあったりします。)
ああ、恥ずかしい...