よかった探し2011

2011年の目標

祈りのテーマ。

エルサレムの平和を求めよう。
「あなたを愛する人々に平安があるように。
あなたの城壁のうちに平和があるように。
あなたの城郭のうちに平安があるように。」(詩篇122:6-7)

引き続き、エルサレムに平和があるように祈っていこうと思います。
エルサレムを愛する人々、ユダヤ人にもキリスト教徒にもイスラム教徒にも、平和が来ますように。

信仰生活のテーマ。

主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。(エフェソ6章10)

これも去年からの継続。2010年は、なけなしの自信さえ心もとなく思うことが多々ありました。へこんでるときほど祈れなくなる悪循環をどうにかして、弱ってるときこそ、あの強い方に信頼できるようになりたい。


2011年のよかったこと

1月、一年を教会でスタート

1月1日、午前0時を少し過ぎた頃、私は小さな教会にいました。

ほぼ例年、となり駅にあるカトリック教会での1月1日午前0時からの新年ミサで新年をスタートしてきたのですが、今年は行ってみたらこのミサなかったのです。
これではただ夜中に自転車で走っていただけになってしまう。ということで帰り道、少し前に「お、こんなところに教会ができたんだ」と見つけていたところをのぞきに行ってみました。教会といっても、飲食店が並んでいる一角に、十字架のイラストとか、英語でいろいろ書かれている中に「Jesus」とか聖書の言葉(これも英語で)が書かれているだけ。市内には小さな外国人教会が多いのだけど、そういうところならきっとカウントダウン礼拝とかやってそうだと思って寄ってみたわけです。
行ってみたらやっぱり明かりが点いて、なかからにぎやかな外国語(英語のような違うような?)が。極度に人見知りする私にとって、はじめての教会(それも事前にホームページなどでの情報収集なし)に、しかも外国人ばかりのところに飛び込むのはかなり勇気がいりましたが(マジ10分くらいどうしようか迷った)、意を決して飛び込んでみたというわけです。

幸い、日本語が堪能な方が応対してくれました。フィリピン人教会だそうです。通りすがりのクリスチャンですと名乗り、牧師さんやみなさんとHappy New Yearの挨拶を交わし、祝福しあって、失礼してきました。

正月早々、新しいご縁をいただいて感謝。日曜の午後3時から礼拝しているとのことで、私がレギュラー出席している教会は日曜午前中だから近いうちにまた行ってみようと思います。

3月、仙台の知人は無事

今年は「東日本大震災のあった年」として記憶されるのでしょうね。
実は大学時代の4年間を仙台ですごしました。まあ、卒業後はほとんど交流もないのだけど。
唯一、サークルのOBがつどっている掲示板だけはちょいちょいのぞいていたのだけど、最初は安否確認ができなかった何人かも数日以内には無事が確認されました。

お世話になった町の人や同窓生の中には、あるいは他界したり行方不明のままだったりという方もあるかもしれませんが、かろうじてつながりのある連中はとりあえず命は助かったということは感謝でした。

9月、小学校のバザーで!

末っ子が通う小学校で、授業参観とPTAバザーがありました。
で。バザーではくじ引きがありました。一意の番号が振られたチケットを事前に購入し、壇上で自分のチケットナンバーが呼ばれたら賞品ゲットというものですが。
くじ引きの時間になっても、末っ子がどこに遊びに行ったか行方不明。嫁さんはPTAの出店で売り子をしているので、ぼくが抽選会場へ。
そしたら、一等のミニサイクルが当たってしまったのでした。

拍手と「Yくんのお父さんだ」などの声の中、体育館の壇上へ。そのあと校内を歩くたびに「あ、自転車を当てた人だ」と言われ。
まあ、特賞のディズニーリゾートのパスポートよりも実用性の高いものをいただきまして、ありがとうございましたということで。

11月、千葉バプテスト教会に新牧師

家族でお世話になっている、近所の千葉バプテスト教会。ここは前任の牧師が関西の教会に招かれたため、4月から牧師がいない状態でした。

それがこの11月に、九州から新しい牧師を招くことができ。
この間、ぼく自身は、メンバーシップのある東京の教会で4月から役割ができてしまったため、主任牧師不在という信徒が力を合わせなきゃいけないときに何一つお手伝いできなかったのだけど、だからその分も「ああ、牧師先生が来てくれた」とホッとしました。

話はこれで終わりませんで、この先生を送り出してくれた九州の教会が今度は牧師不在という状態になっています。この教会のために祈っていかないと。

11月その2、教会デビュー

ニューイヤーズイブにお邪魔した、上に書いたフィリピン人教会のことですが、東京の教会のことがあるものだから日曜はほぼ地元にいないため、その後なんの縁もない状態でした。
これじゃいかんと、11月の日曜日の午後にようやく尋ね、一緒に礼拝をささげることができました。機会というのはやっぱ、作ろうとしないとできないものですね。

礼拝は、賛美も英語の曲とフィリピン語(というのか?)の曲。バイブルメッセージも、牧師が英語とフィリピン語の一人同時通訳。でぼくは、フィリピン語どころか英語もろくにわからない。
まあ、これは想定の範囲内。言葉がわからなくたって、同じ神に礼拝をささげることはできるはずと思って行ったわけで。
そう思って行ったわけだけど、本当に思った通りになってびっくり。賛美は、英語の曲はこの手のものはあまり難しい単語や表現はないものなのでかろうじて参加。フィリピン語はお手上げだけど、でも手拍子だけでも「一緒に賛美をささげてる感」に満たされてました。
バイブルメッセージも、要点はプロジェクターに映されるのだけどわかるのはそれだけで、なのにそれでも「一緒に礼拝をささげてる感」が途切れることはなく。
不思議なような、でも自然なことのような。

また機会があったら、じゃなくて、機会を作って行きたいです。

12月、あの分野がついにここまで

2011年も終わろうかというとき、とんでもないグッドニュースに驚きました。

難病ALS、発症メカニズム解明…九大・慶大

ぼくの友人(といっても親くらい年の離れた方ですが)もALSで亡くなりました。
運動神経が障害を受け、徐々に全身の筋肉に力が入らなくなっていく病気です。
手が動かせなくなり、足も動かせなくなって車椅子生活となり。
首に力が入らなくなり、何かの拍子に下を向くとそれっきり自分で頭を持ち上げることもできない。
怖いのは、心肺を動かせなくなって死に至る最後の瞬間まで、脳は正常だということ。意識がはっきりした状態のまま、体が少しずつ機能しなくなっていく。じわじわと死んでいく。ぼくだったらとても耐えられないです。

亡くなった彼は病気の中でキリスト教と出会い、確信にもとづいた希望を抱いて最後まで笑顔でした。
同じキリスト教を信じるぼくだったら、果たして彼のように向き合えるだろうか。ぼくだったら、もしかしたらキリストを呪ってしまうかもしれない。そう思わされる病気でした。

今回のニュース、詳しいことはぼくにはよく理解できていないのですが。
『脊髄で分解酵素の働きが低下し、神経を活性化させるアミノ酸「Dセリン」が増加、蓄積するため、筋肉の萎縮を引き起こす』、ということがわかったそうです。
ということで、Dセリンとかいう野郎の増殖を抑えるDAOとかいう分解酵素の活性を高めることができれば、少なくとも症状がそれ以上信仰することは抑えられる。(ニュースでは「治療薬の開発も期待できる」とのことだけど、治療というのが「萎縮してしまった筋肉の回復」であるなら、なぜそこまで期待できるのかぼくにはわからないけど。)

かんばれ科学。がんばってくれ両大学!

その他、手話のこと

何年か前から手話に興味を持ち、テレビで「みんなの手話」や「ワンポイント手話」などチェックしています。「手話ニュース」とかはまだついていけてませんが。
ことに地デジ化にともなって我が家もHDDレコーダーを導入し、手軽にポンポンと録画できるようになってから、こまめに見るようになり。最近は、早瀬健太郎さんと今井恵理子さんの、テキストに載っている以外の手話会話も少しわかるようになってきました。

当面は趣味のレベルで続けたいです。ひそかな目標としては、将来的には教会にろうあ者が来られたときに手話通訳できるくらいになれたらいいな、などと夢想しているのですが、そこまでいくのはまだ当分先でしょうね。

作成:2011年1月1日
更新:2011年1月1日

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