劇団I.Q150作品紹介&観劇記

浮人形

作品紹介&感想

2004年2月の駒場アゴラ劇場での公演に続き、2004年9月のタイニィ・アリスでの公演を観てきました。I.Q150の作品は何度も繰り返し観ているものが多いのだけど、この作品は1回観て謎解きの部分がわかっちゃってるから「二度観て楽しいかなぁ」と正直思ったりもした。けど、前回は目の前の場面を楽しむよりも先が気になってばかりいたのに対して、今回はじっくりと目の前の場面を楽しむことができました。

舞台は宮城県黒川郡大和町。七つ森と呼ばれる美しい山並みをドライブ中に車のバッテリーが上がってしまったカップルが、ある家に一夜の宿を求めたところから話は始まる。その家の次女とその夫。13年前に死んだ長女。季節は盆の入り。怪談である。もとい、怪談を舞台装置とした恋の話である。いや、恋の要素はそれほど濃くないな。「それぞれの一途さ」の物語というべきだろうか。
次女の夫を、13年前に長女も好きだった。いわば姉の死によって夫と結ばれた妹。しかも姉の死の原因に妹が関わっているらしいことも序盤からにおわされる。そのために妹は、姉の幽霊の登場によって平穏な夫婦生活が破壊されるのではないかと怯える。「お姉ちゃんが、ひろあきさんを連れに来た」と。夫は次女と生きるのか、長女と逝ってしまうのか。姉の目的は。
「ひろあきちゃん」との約束への、姉の幽霊の一途さ。姉の物は何でも欲しい、「ひろあき兄ちゃん」を姉から奪うためなら、という妹の一途さ。ついでに(?)、近所の青年の農業にかける一途さ。

あえて言ってしまえば、怪談としては特に新しさはないかもしれない。しかし「新しさがない」から逆に引き込まれたのかな、「ああ、日本にはこういう物語が確かに息づいていたんだ」って。クリスチャン家庭に育って盆の経験がない坂井には、盆という設定自体が新しいということもあったけど。(だから2月や9月に盆の芝居を見ても、季節的な違和感を感じないのさ)

それにしても、「姉(の幽霊)がここにいる!」と気づいてしまったときの妹の絶叫と怯えは、本気で幽霊を見てしまったかのようで、演技と思えなかった。芝居のことはよくわからないのだけど、役者ってすごい。

けど正直、その周囲のほうが印象に残ってしまった。
ことに、姉妹の母。最後に長女の幽霊が去っていく時の、長女にむかって「さよなら」という場面。我が子との本当に最後のお別れという姿は、胸を来るものがあった。自分に子供ができて「親」になって以来いろいろ視点が変わったけど、この芝居の「母」も、自分が「親」だから余計に迫るものがあったんだと思う。
そういう意味ではラストの長女が去っていく場面、駒場アゴラのときは父も母と一緒に姉を見送ったのに、今回のタイニィ・アリスでは父は姉が行ってしまってから舞台に出てきたように見えた(戸外で送り火を焚いている設定だった?)のが少し残念。
その父の方は、自分には長女の幽霊が見えないので、妻が長女(の幽霊)の髪を梳かすのが「心の病」による奇行としか思えない。訪ねてきた近所の若者の目前でも妻は奇行を繰り広げる。「家内のこんな姿をどうか見ないでくれ」というように、目を離すことができなくなってしまう若者の気をそらせようと話しかけ続ける父。
いわゆる心霊体験のようなものがない坂井にとって、幽霊話としての本筋よりも、「我が子を亡くした親の痛み」とか「老境に近づいて妻が『心の病』になった夫の苦悩」がむちゃくちゃリアルで切なかった。

「そういえばこういうムードも『アイキューらしさ』だったよなぁ」と懐かしさ半分で観ていた。だから初めて観たときは「月光夜曲的『救いのなさ』」に向かうのか、「寝物語的ハッピーエンド(「寝物語」がハッピーエンドなのかという疑問もあるが、とにかく「よかったね」と思える結末)」に向かうのか、あるいは懐かしいと思わせておいて意表をつくのか、などと余計なことを考えてしまった。

ところでカップル役で姉に憑依(?)される役の女優さんは沖縄出身だそうだ。まさか久高島の神女だったら出来すぎだよな、と思ったら違ったらしい。
この作品は今回のタイニィ・アリス公演でいったん区切り(舞台にした大和町で演ってくれという話しがあるそうで、実現したらそのときを区切り)とするそうだ。どうやら新作の準備が進んでいるらしい。

観た日:2004.2.16、2004.9.15