棕櫚の日曜日[しゅろのにちようび Palm Sunday]
今日は何の日
分類
キリスト教のイベントです。
時期
復活祭の1週間前の日曜日。
意味
いよいよ、イエスが王として、シオン山の上に建つエルサレムの都に入城する時が来ました。ユダヤ三大例大祭のひとつ過越祭のために全土からユダヤ人が集まっていた時です。キリストを「ローマ帝国の支配から解放する王」と期待していた人々は、歓声をあげて、イエスを迎えました。このとき、ある人々はイエスの通る道に自分の服を敷き、他の人々は棕櫚(新共同訳のヨハネ福音書では"なつめやし")の枝を切ってきて敷いたために、"棕櫚の日曜日"と呼ばれています。
しかしキリストは、軍事的あるいは政治的な王として現れるのではなく、一人一人の人間にとっての王、主だったのです。預言者も、キリストのエルサレム入りは、力を象徴する馬ではなく、柔和を象徴するロバに乗ってやってくると予告していました。
このため、勝手に期待して裏切られた群集は、歓喜の叫びをあげたこの日のわずか数日後には、イエスを十字架につけろと叫ぶようになるのです。それがあらかじめわかっていたイエスは歓呼に包まれながらも、真のあるじキリストを拒絶したために戦火の中に崩れ落ちるエルサレム(ローマ帝国により破壊される)の運命を思って涙していたのでした。
聖書の言葉
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。
(ゼカリヤ書9章9節)
弟子たちは行って・・・ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
(マタイ福音書21章6節〜9節)
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」
(ルカ福音書19章41,42節)
関連する祭り
灰の水曜日[はいのすいようび Ash Wednesday]/四旬節[しじゅんせつ Lent]