暦についてのページ

今年は 共通暦
皇紀
平成
ユダヤ暦
仏暦
タイ仏暦
中華民国暦
檀紀
主体紀元
ヒジュラ暦
ペルシア暦
キリスト紀元
です。

隣人の歩みを尊重するために。私たちの歩みを振り返るために。

(このページで紹介する暦は、グレゴリオ暦の1月1日と同じ日には新年を迎えないものもありますので、あらかじめご承知ください。たとえば共通暦(西暦)2005年1月1日に、ユダヤ暦が5764年から5765年にかわるわけではありません)


暦(こよみ)

「和訓栞(わくんしおり)」によると、「こよみ」は「コ+ヨミ」で、コというのは「詳細」、ヨミは「数える」の意味があり、歳月日時を細かく数え記すものを指すのだそうです。
コヨミはカ(日)ヨミが転じたものだという説もあります。いずれにせよ、日付を数えるものということですね。

カレンダーという言葉はローマ暦で朔日(ついたち)を意味するカレンデから来たようですが、これは「叫ぶ」に由来するそうです。
エジプト以外の文明では、暦は太陰暦、つまり月の満ち欠けを観察することから始まったらしいです。新月から次の新月までを観察し、(太陰暦上の)一ヶ月という長さを計るようになったわけですが、このとき月を見張る者を立てて、新月を認めたことを叫び知らせたのがカレンダーの始まりということになります。
しかし太陰暦の一ヶ月(約29,5日)を整数倍しても、つまり12ヶ月としても13ヶ月としても1太陽年(1回帰年とも。太陽が春分点を出てから春分点に戻るまで。約365日)にはならないので、純粋な太陰暦ではだんだん自然の季節とずれてきます。そこで潤日(じゅんじつ)や閏月(じゅんげつ)を挿入して太陽年と調節するようになりました。その調節方法つまり置閏法(いつ閏日や閏月を置くかのルール)によって、民族や文明ごとにいろいろな暦が生まれてきました。

エジプトだけは始めから太陽暦を使っていたようです。「エジプトはナイルの賜物」と呼ばれるとおり、ナイル川の氾濫によって豊かな土壌を得ていたエジプトでは、いつナイル川が氾濫するかを知ることが暦の重要な使命でしたが、日の出の直前に始めて東の空にシリウスが現れると洪水の季節が近いということに気づいたのです。
(2008年2月16日追記:岡田芳朗によると、シリウス暦と呼ばれるこのエジプトの暦法も1ヶ月が30日から成っていることから『シリウス暦以前に月の満ち欠けを基にした暦があったことを物語るものである。』と指摘しています。(「暦を知る事典」p3))

日本では、明治維新によって西洋文明の導入が進められる中で、英国の航海暦を訳した太陽暦が導入され、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで改暦されました。明治6年は旧暦では13月まである閏年(閏月や閏日を含む年)となるため、13月の分の公務員の給料を節約することが目的だったとも言われています。

しかしそれまで月の満ち欠けで暮らしていたのがいきなりの太陽暦ですから、民間には相当の混乱があったようです。なにしろ、十五夜に満月にならないし、新月のはずの三十日に月が見えているし(すでに太陽暦になじんでいる現代では当たりまえのことですが)。
現代では「ありえない」という意味で「太陽が西から昇ることがあっても」と言ったりしますが、太陰暦の頃は「三十日に月がでるようなことがあっても」という言い回しだったようで、改暦によって「三十日に月もいづれば、玉子の四角もあるべし」(新月のはずの30日に月が出ているような暦では、丸いはずの玉子だって四角いものがありうるだろうよ)などという文句が流行したそうです。
ほかに「春は雪、夏のはじめに花ざかり、秋の納涼冬のお月見」という狂歌もあり、季語や季節行事が暦とずれてしまった混乱がわかります。


C.E.共通暦

早い話しが西暦(A.D.)の別名です。C.E.はCommon Era(共通暦と訳されます)の略。

世界はだいたいA.D.(西暦)で動いていますが、A.D.はAnno Dominiの略、つまり「主(キリスト)の年」で、キリスト基準の暦法です。ということは、日本など多神教の国ならまだしも、他の一神教(ユダヤ教やイスラム教)の国々では使うのに抵抗があるのも当然。ということで共通暦という言葉ができたらしいです。

というか、キリスト紀元の暦法の方が、それまでのカレンダーがユダヤ暦を基準にしていたのがコケンにかかわるということで開発されたという話しもありますけど。
(キリスト教の三大祝祭日の筆頭である、キリストがよみがえった日を記念する復活祭は、それがユダヤ教の過越祭の期間中だったと聖書に記録されています。しかしユダヤ人を見下し差別していたキリスト教界としては、大事な復活祭の日がユダヤ暦を基準に決定されるというのはコケンにかかわるものだったでしょうね)


皇紀

日本の紀年法です。共通暦(西暦)に660を足すと皇紀になります。

神武天皇即位紀元とも言って、神倭伊渡礼彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、つまり初代天皇の神武が即位した(とされる)年が元年です。即位年は日本書紀の記録から割り出されたそうですが、本居宣長あたりが計算したのでしょうか。

ちなみに昭和15(共通暦=西暦1940)年には、皇紀2600年を記念するイベントが日本中で行われたそうです。ただ、そういう奉祝ムードも天皇の神格化に利用されたと思うと、残念な気もします。


平成

言うまでもなく日本の紀年法です。共通暦(西暦)1989年の今上天皇ご即位により、元号法の「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」にもとづいて「昭和」から「平成」に改元されました。

ちなみに最初の元号とされる大化の元年は共通暦(西暦)645年です。
以下のページもご覧ください。
元号について
ピンポイント年表「昭和から平成」


ユダヤ暦

ユダヤ教の紀年法で、ラビ(ユダヤ教の教師)が聖書の記録にもとづいて計算した天地創造の年を元年としています。共通暦(西暦)に3760を足すとユダヤ暦になります。
ただし共通暦1月1日に新年になるわけではありません。ユダヤ暦5767年は、共通暦2006年9月23日から始まる新年祭ロシュ・ハシャナから始まっています。共通暦2007年1月1日は、ユダヤ暦5767年10月11日となります。

ユダヤ教ということはイスラエルで使われているわけですが、イスラエルの英字新聞ではユダヤ暦、共通暦イスラム暦の日付が載っているそうです(イスラエル国内に住むアラブ人はとても多く、アラブ人政党も国会で議席を持っているのです)

太陰暦で、一ヶ月は新月から次の新月までの29ないし30日。19年に7回の閏月が入ります。

ただしユダヤには暦が2種類あるのでややこしいのです。ここで言っているユダヤ暦とは、現代のイスラエルで公式に使われている政暦で、もうひとつは宗教上の行事に使われる教暦です。


中華民国暦

中華民国、つまりかつては中国大陸で、現在は台湾などで使われています。中華民国の成立年である共通暦(西暦)1912年を元年としていて、これは偶然にも日本の大正、北朝鮮の主体紀元と元年を同じくしています。ただし、使われ始めたのは中華民国の成立当初からではなく、共通暦(西暦)1997年9月9日からです。

共通暦(西暦)から1911を引くと中華民国暦になります。


檀君紀元(檀紀)

韓国で、1945年の解放後から、1961年の軍事革命後に廃止されるまで、公式に使われた紀年法。

「半万年」の悠久を誇る朝鮮民族の、建国者である檀君(国を開いて朝鮮と号し、1500年にわたって統治したのち山神となって1908歳の長寿を保ったとされる)の即位年を元年としています。
共通暦(西暦)に2333を加えると檀紀になります。

「半万年」と言いながら5000年にはけっこう足りないじゃん、などというツッコミはしないように。


主体暦

北朝鮮の紀年法です。北朝鮮は成立当初から共通暦(西暦)を使用していましたが、1997年9月9日を「主体(チュチェ)86年」として改暦しました(ただし西暦と併用)。元号は通常、制定した年かその翌年を元年としますが、突然に86年から始まった主体暦は元号というより紀年法というべきかもしれません。

故・金日成国家主席の誕生年を元年とする紀年法で、偶然にも中華民国暦や日本の大正と同じ共通暦(西暦)1912年が元年になります。というわけで、共通暦(西暦)から1911を減じると主体年になります。


B.E.仏暦(釈迦入滅紀元。あるいは仏滅紀元とも)

お釈迦様の入滅(つまり仏滅)の年を基準とする紀年法です。といってもお釈迦様の没年は、西暦紀元前486年(衆聖点記説)や、紀元前386年(宇井伯寿説)など諸説あって確定していないそうなのですが、仏暦では宗教上の伝承により西暦紀元前544年が入滅の年とされています。
ミャンマーやスリランカなど仏教圏の国々で使われている仏暦は、この入滅の年である共通暦紀元前544年が元年となっています。つまり西暦に544を足すと仏暦になります。タイなどでは、釈迦入滅後1年経ってから数え始めるタイ仏年が使われています。


タイ暦(釈迦入滅紀元)

タイ暦と呼びますが、カンボジア、ラオスでも使われています。釈迦入滅後1年経った、共通暦紀元前543年が元年。つまり共通暦に543を足すとタイ仏暦になります。この543が「こよみ」の語源になった、ということはなさそうです。

紀年法としては釈迦入滅紀元ですが、計算方法にはグレゴリオ暦を採用しています。タイ暦ではチットラ(第5月)が新年(ピーマイ)でしたが、1941年からはグレゴリオ暦と同じく1月1日から新年となっています。

ただし民間の気持ちとしては、1月1日が来ようとピーマイが来ようと、「ソック・マイがこなけりゃ新年になった気がしない」のだとか。ソック・マイ(ソンクラーンとも)というのは毎年4月13日〜15日に行われる、あの無茶な水かけ祭です。
タイ暦新年とか旧正月と紹介されることがありますが、タイ暦のイベントではなく(タイ暦なら太陰太陽暦だから毎年4月中旬に固定になるわけがないのです)インドの十二宮の考え方です。太陽が星宮から次の星宮に入った日をソンクラーンと呼びますが、白羊宮に太陽が入るソンクラーンが特に重視されて大ソンクラーンと呼ばれ、豊作や無病息災を祈っての無礼講が繰り広げられます。


A.H.ヒジュラ暦(イスラム暦)

イスラム圏で使われる紀年法で、イスラム暦とも呼ばれますが正式にはヒジュラ暦です。欧米ではラテン語でAnno Hijrae(「ヒジュラの年」)を略して「A.H.」と表記します。

イスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住(ヒジュラ、聖遷)した年の年初であるユリウス暦622年7月16日をもって、ヒジュラ暦1年1月1日としています。

純粋な太陰暦です。つまり閏月などによって1太陽年(地球が太陽を回る周期)との補正を行わず、1ヶ月が29日の月と30日の月を交互に繰り返す1年354日のシステムです。
ということで、1年ごとに11日ほど太陽暦とずれていき、季節を反映しないので農作にも不向き、収穫をもとにした財務にも不向き。現在ではイスラム圏でもグレゴリオ暦と併用したり、イランやアフガニスタンのように太陽暦であるペルシア暦と併用したりしています。

西暦2007年1月20日(正確には1月29日の日没)から、ヒジュラ暦1427年が始まります。詳しくはこよみのページ


ペルシア暦(イラン暦またはイラン太陽暦とも)

イランを中心に中東で使われている紀年法です。

イスラムが伝わってからペルシアにもヒジュラ暦が導入されましたが、太陰暦で季節にあわないヒジュラ暦では、ペルシャで重要だった春分や秋分の祭りなどが行えないため、11世紀頃から太陽暦が復活しました。その後も天文学者らによって改良されてきて、1925年の改良ではグレゴリオ暦の算出方法を採用しています。

アフガニスタンでもヒジュラ紀元のペルシア暦が公式に使われ、アフガン暦と呼ばれています。


だいたい世界中で使われている(一部では共通暦C.E.という名で使われている)紀年法です。

A.D.はAnno Dominiつまり「主(キリスト)の年」の略で、イエス・キリストの生誕年と考えられた年を元年としています。ただし現在では考古学等の成果によって、イエスの生誕年はB.C.7〜4年頃と考えられています。(なのにA.D.1年に生まれたことにしてしまっているというのは宗教的に問題があるような気がするのですが、この点については最後に。)

修道士ディオニューシウス・エクシグウスが共通暦(西暦)525年に考案。一般に使われるようになったのは共通暦(西暦)664年のウィットビヒ宗教会議から。

言うまでもなく西暦1年が元年です。西暦1世紀は1年〜100年までとなり、だから20世紀は2000年までで21世紀が2001年からになるのです。ちなみに天文学の分野では、西暦1年の前年を0年、その前年を-1年として、計算しやすくしているそうです。

ユリウス暦

ユリウス・カエサルが制定した暦法で、紀元前45年1月1日より使用されました。以下の2点が大きな特徴です。
・1年は原則として365日
・4年に1度の閏年は、2月に1日を加えて366日

4年に一度、366日になるということは、1年を365.25日としているということになります。
一方、1太陽年は平均365.2424日(100年につき0.53秒ずつ短くなっている。2000年の時点では365.24219日だった)なので、ユリウス暦は1年ごとに0.0076日≒1000年ごとに8日=125年ごとに1日の誤差がでることになります。
というわけで、さらに誤差の少ないグレゴリオ暦が16世紀末に制定されてからは、国ごとに時期の違いがあったものの徐々にグレゴリオ暦に移行していきました。ただし東方教会(西ローマ帝国系のカトリックに対し、東ローマ帝国系のオーソドクスと呼ばれる宗派)では、復活節の決定には現在もユリウス暦を使っているそうです。

元号についてのページもごらんください。

グレゴリオ暦

ユリウス暦でもやっぱりズレがあるということで(実際にはズレが指摘されてから3世紀くらいも経ってからだそうですが)ローマ教皇グレゴリウス13世によって1582年2月24日に発布された暦法。
教皇による発布ということでカトリックの国々では、早いところで教皇のお膝元イタリアなどが、同年10月4日(木曜)の翌日を10月15日(金曜)にすることで導入。ということは、日本に昭和64年1月8日がないのと同様に、これらの国では共通暦(西暦)1582年10月5日〜1582年10月14日という日付は存在しないわけですね。
逆に教皇による発布ということでプロテスタントでは「カトリックに決められたくねーよ」と言ったかどうかわかりませんが意地があったのでしょう。メンツを守れる方法で1700年にようやくドイツのプロテスタント都市などが(ドイツのカトリック都市はもっと早かった)改暦に踏み切りました。

グレゴリオ暦は、ユリウス暦のルールに加えて、
・100で割り切れるが400では割り切れない年は、閏年にしない。
というルールが追加されています。
コペルニクスなどの天文学者たちによって、1太陽年=365.2425日という値が算出されたのですが、これは365と400分の97日ということです。つまり400年で閏日を97回いれればよいという計算になります。ユリウス暦の閏日は4年に1度つまり400年に100回だから、この中から閏日にしない日を3日決めれば97回になる。というわけで、新ルールの追加により400では割り切れない年(=100,200,300の3回)は閏年としないとしているわけ。

ユリウス暦では、1太陽年との誤差は128年につき1日でしたが、グレゴリオ暦なら誤差は1万年につき3日。
さらに誤差の少ない暦法も提案されてはいますが、置閏法(ちじゅんほう。いつを閏年(じゅんねん)にするかのルール)がかなり複雑になってしまうようです。


参考文献等

アジアの暦

暦(こよみ)入門 暦のすべて

暦を知る事典


クリスチャン読者へ

ある日ある教会の礼拝説教である牧師が「クリスチャンは西暦を使うべきだ」と語るのを聞いたのがきっかけで、このページをまとめました。文中に書いたように、筆者はクリスチャンだからこそ、現在わかっているだけでも紀元(キリスト紀元)前4年より前に生まれたことがわかっているイエスを紀元1年に生まれたことにしてしまっている西暦には疑問をおぼえます。神の計画の中で定められた年に世に降ったキリストを、人間の都合で変えてしまっているということになるからです。

また、日本が元号を使用することを「偏狭なナショナリズム」と呼ぶ向きもありますが、このページに書いたような「キリスト紀元以外の紀年法を持つすべての文化」を偏狭なナショナリズムと呼ぶのでしょうか。それではかえって、キリスト教の方が偏狭なだけだと言われるでしょう。少なくとも、宣教師を先頭に立てて世界を植民地化していった白人文化至上主義(すべての宣教師がそれを意識していたとまでは言いませんが)が、キリストの福音によって正当化されるとは思えません。