Bless Israel!

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なぜイスラエルなのか

このBless Israel!のページの趣旨として、なぜイスラエルなのかということをはじめに書きます。
それは私なりに聖書に親しんできて、「キリスト教徒である自分はイスラエルとどうむきあうべきなのだろうか」ということを考えるようになったところから始まりました。

クリスチャンにとってイスラエルは関心の対象とならないのか

ある牧師からは「クリスチャンだからといって、私はイスラエルに特別な関心はもたない」と言われました。
これはクリスチャンとして適切な姿勢なのでしょうか。

教会ではよく、「愛」の反対は「無関心」であるということが言われます。マザー・テレサの有名な言葉ですね。
だとしたら、「私はイスラエルに特別な関心はもたない」というのは、(中立ですよと言っているようでいて実は)「世界中でイスラエルに対してだけは愛を持たない」ということになるでしょう。

無関心、傍観、無視は、それが中立という衣をまとっていたとしても、相手にとっては「敵対されている」というのと同じなのではないでしょうか。少なくとも、イスラエルに関すること以外の話題においては、そう語られているのではないでしょうか。

神に対して、敵でも味方でもない、無関心な中立、ということはありえるのでしょうか。イエスは、弟子たちが「味方でないものは敵」と考えたときに、「敵でない者は味方」と教えています。
神に対して中立ということがありえないのだとしたら、「神を愛するが、神が愛し所有するものに対してしは無関心な中立」ということもありえないのではないか、と私は思うのです。それが、神が「わたしの民」と呼んだイスラエルに対する私の考え方の、理由のひとつです。
(このページを読んでくださっているあなたがクリスチャンで、そして「神に対して敵でも味方でもない中立」があるとお考えなら、考えが違いすぎるので、このページに限らずこのサイトを読んでいただくことはあなたにとって時間を無駄に浪費することでしかないと思います)

実際、ユダヤ人とカトリックのあいだにある大きな溝の一つは、ドイツがユダヤ人を迫害している間に教皇ピウスが何もしなかった(個人的には心を注いでいたとしても教皇として公式には何もしなかった)こと、そんなピウスをカトリックが列聖しようとしたことにあるそうです。

聖書中の「イスラエル」とは「教会」なのか

物心つかないうちから教会に通ってきた中で私は、「聖書の中でイスラエルに対して神から恵みや祝福が約束されているのは、現在ではイスラエルのことではなく教会のことなんだ」「神の子キリストを十字架につけるにいたるほど、イスラエルは神様に逆らい続けたので、神様の恵みの約束はイスラエルから取り上げられて教会に与えられた」ということを、しばしば教えられてきました。

これは本当なのでしょうか。私が読む限り、といっても浅学ないち信徒ですけど、聖書にそのようなことが書いてある箇所は見つけられません。
「神の賜物と招きとは取り消されない」(ローマ11章29)という宣言や、私たち異邦人クリスチャンや異邦人教会は「神とイスラエルとの契約」に与れるようになった(エフェソ書前半)ということはすぐに見つけられるのですが。

神の恵みと約束が「イスラエルから取り上げられた」というなら、「イスラエルに加えられた異邦人」である私たちからも取り上げられたことになるはずです。そのほか、聖書の「イスラエル」を「クリスチャン」あるいは「キリスト教の教会」に置き換えて読むと、多くの場合につじつまのあわないことになり、無理にこじつけた解釈が必要になってしまうように思うのです。

キリスト教は「聖書のみ」とは言いますが、実際のところ浅学な私にとっては、先達たちが積み重ねてきた神学もまた大切な手がかりです。
だけど、「聖書」と、「聖書について教会で教えられること」とが衝突するときにはどちらを手に取るべきなのか。

イスラエルは私の希望

聖書を読むと確かに、イスラエルは神にそむき続け、神を悲しませ続け、神を落胆させ続け、神を怒らせ続け…キリがありません。でもそのイスラエルこそが私の希望でもあるのです。

「何のいさおしもないままに神から一方的に選ばれ、あれほど神にそむき続けながらも決して神の招きが取り消されていないイスラエル」があるからこそ、「何のいさおしもないままに神から選ばれ、救われてなお罪から離れきれないでいる私」の希望ということです。

「イスラエルはそむきのために神から捨てられ、祝福は教会に与えられた」という考え方が成り立つのであれば、私たち異邦人キリスト者の教会もまた神から捨てられうることになります。もとからの枝であるイスラエルを容赦されなかったとすれば、接木に過ぎない異邦人教会などはさらに容赦されないという話です。

「イスラエル、ユダヤ人」と「イスラエル政府、イスラエル軍」

もうひとつ、外国のことは知りませんが日本の教会には、明らかにイスラエルに対してだけ反感を持つ人たちがいます。

たとえば日本のプロテスタント教会のあるグループは、2008年末から2009年はじめにかけてのイスラエル政府のガザ地区攻撃の際に、イスラエル政府に対する非難声明を出しています。

もちろんクリスチャンは「平和をつくりだすもの」でなければなりません。だからあらゆる戦争に対してノーと言う、というならわかります。ところがこのグループは、ガザの武装勢力ハマスに対しては、何の声明も出していません。イスラエルのガザ撤退後、ハマスがガザからイスラエル市民を砲撃し続けてきた間、まったく無視してきました。そしてイスラエル政府が市民を守るためにガザに反撃すると、その反撃を「報復」と呼んで非難したのです。

このグループは、中国のチベット迫害やウィグル迫害についても何も言おうとはしません。
前述のイスラエル非難声明では丁寧に、先にガザから攻撃され続けていたからといってイスラエルが反撃してよいことにはならないとまで言ったのですが、しかしその後の2010年に北朝鮮から砲撃された韓国が反撃したことについては、「攻撃されたからと言って反撃してよいことにはならない」などという言い方はしないどころか何の声明も出さず黙認しています。
このように、「平和を乱す行為」への反対ではなく「誰がそれをしているか」によって判断する人たちがいるのです。「それ」がイスラエルなら反対するけれど、「それ」がイスラエル以外なら気にもしない、というのは反ユダヤ主義にしか思えないのです。

ところでこのページで私は、「イスラエル」という言葉と「イスラエル政府」という言葉を意識して区別して使っています。私にとって、「イスラエル」を思うことは私の聖書信仰が理由であり、「イスラエル政府」を支持することは私の人としての道義が理由だからです。
このBless Israel!は、聖書を取り扱うこのサイトで書くことですから、信仰において「イスラエル」とどう向き合うかということに注力したいと考えています。ですが私の周りのクリスチャン(牧師を含む)には、聖書の問題と政治軍事の問題を一緒にして「イスラエル政府、イスラエル軍はけしからんから」という理由で聖書の読み方を決めている(そのように思える人、そのように表明している人)が少なくないのです。それで、このBless Israel!の中でもこのページでだけ、私の動機として政治的なことについてもう少し触れておきます。

たぶん私にとって一番大きな契機となったのは、ここ数年、日本バプテスト連盟の教会に出席するようになったことだと思います。日本バプテスト連盟は社会問題について強く取り組んでいますが、特に日本の戦争責任というものについては熱心に取り組まれています。
そうしたことに触れているうちに「日本によってアジアの国々が被害を受けてきたというが、それとは比較にならないほど、キリスト教によって世界の国々が被害を受けてきたことはどう考えるべきか」と思うようになりました。

日本の対外戦争は、それを最初から最後まで侵略と呼ぶにしても、明治時代から昭和20年。明治維新直後から対外戦争を始めたわけではないですが長く見ても、西暦でいえば明治維新の1867年から敗戦の1945年。
一方、キリスト教徒による異教徒への侵略や迫害も、キリスト教徒同士の戦いも、はるかに長い期間にわたって行われてきました。奴隷貿易、植民地支配、帝国主義など、日本が100年にも満たない期間にやったことが稚拙にしか思えないほどのことを、キリスト教徒は続けてきたし、現在も続けています。
奪われた生命財産。踏みにじられた尊厳。日本がやったことに比べてキリスト教徒のやったことがどれだけ長期で悪質で根深いのでしょうか。

(中でも特に、神みずから「わたしの民」と呼んだユダヤ人に対する、キリスト教文化圏の国々の差別、迫害、そして無関心。
スペインで大迫害にあったユダヤ人を受け入れた15世紀のオスマン・トルコと、同盟国ドイツの求めに応じず「ユダヤ人を他の国と区別しない」という方針をとった20世紀の日本。このいずれも非キリスト教国のほかに、シンドラーなどの個人はともかく国としてユダヤ人に手を差し伸べたキリスト教国があったのでしょうか。)

「わたしたちキリスト教徒」がしてきたことの責任告白はせずに、「わたしたち日本人」がしてきたことの責任告白はする、させる、というのが理解できない自分に気づいたとき、私は「まず神が私を愛してくださった。その神は意図をもって私を日本人として創造した。」というところから考えようと思っています。
それはイスラエルに対しては「わたしを異邦人として創造した神が、イスラエルより先に私をキリストの福音に入れた」ということの意味を考えることになっています。

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作成:2008年2月9日
更新:2013年11月25日

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