当サイト管理人の信仰告白

私は、ナザレのイエスが私を愛し、私を救うため私に代わって私の罪を負い、私に代わって神の前で罪ある者となり、私に代わって神から捨てられ断絶されたことを信じます。
私が受けるべき裁きをイエスが代わって受けられたことによって、今や私は神の前に聖なる者、汚れのない者とされたことを信じます。
この恵みのゆえに、私は聖霊によってイエスを主と呼び、イエスがキリストであること、キリストは神であることを信じて、父なる神と御子イエス・キリストと聖霊との名によるバプテスマを受けました。

私のこの信仰は、ただ聖書に基づきます。
聖書は聖霊なる神の働きによって原典が記され、同様にして伝えられまた訳されたことを信じます。この聖書と、聖書の上に建てられた教会の働き、聖書に従って歩んだ兄姉先達の証し、聖書が証しする聖霊の働きが、私の信仰と生活の規範です。

この信仰において私は宣言します。

主を礼拝することは、主こそ神であることを知り、主の死を偲び、主の復活を喜び、主の再臨を待望する私の特権です。
この特権を私から奪うこと、あるいは主以外のものを私に礼拝させることは、私自身を含む何者にもできません。

すべての人も主に創造され、主に愛されているゆえに、そのことを知っているかを問わず私は隣人を主にあって愛します。
私を日本人として創造された主が前もって準備してくださった善い業のために、私はこの日本と同朋とを愛します。
ヤコブがファラオを祝福したように、私は天皇を言祝ぎます。
ヨセフが神の言葉に従ってエジプトを災厄から守ったように、主が私を置いたところで私は日本を守ります。
モーセが同胞の背信を主の前でとりなしたように、私はまだ主を知らない同朋をとりなします。
パウロが天に国籍を持ちながらもユダヤ人にはユダヤ人であったように、私も日本人として日本人に仕えます。

私は、主イエスが再び来られるときの前兆である迫害を防ぐよりは御名のために迫害されることを喜び、迫害する者を祝福し、折を得ても得なくても証しします。
そのためにどうか、私の内から臆病の霊が取り去られ、ただ聖霊に満たされ続けますように。

異邦人でありながらこの救いに与る者とされた恵みのゆえに、私は主の民イスラエルをとりなし、その救いの完成を待ち望みます。
イスラエルの上に祝福があること、主がその名を置かれたエルサレムに平和が来ることを祈ります。
私は、アブラハムの子孫によって他の諸国民とともに日本人も祝福に入れられる日を待ち望みます。

来るべき日に父なる神と御子キリストの前に立つとき、「忠実な良いしもべだ。よくやった。」との言葉をいただけますように。
その日まで、聖霊の助けが私にありますように。

(→この信仰宣言について

作成:2007年7月10日

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