パウロ(サウロ)

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用語
人名。キリストの十二弟子(使徒)の一人。
邦訳での表記
パウロ(新共同訳など)
英語表記
Paul
別名
サウロ

名前

本名はサウロで、これは同じベニヤミン族の出身でイスラエル王国の初代の王となったサウルにちなんだ名前。

人物像

もとはユダヤ教の次代のホープで、天幕(テント)職人でもありました。

使徒言行録にも記録が多い、新約時代の大物の一人ですが、その姿勢は「信仰義認」(人は信仰によって、神の前に義(正しい)と認められる)という言葉で表されます。
と、無理矢理まとめてましたが、この小さいコーナーで紹介するのは難しい大物でもあります。この人についてだけで、本一冊分くらいの論文ができてしまうでしょう。
聖書をお持ちの方は、ガラテヤの信徒への手紙1:11-2:10をぜひお読み下さい。

パウロは熱心なユダヤ教徒でした。そのことをこのように述懐しています。

わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。(フィリピの信徒への手紙3章5-6)

ファリサイ派とは、律法を厳格に解釈し忠実に実行する人々のことです。パウロは、アレキサンドリアと並ぶ学術都市タルソの出身であっただけでなく、当時最高のラビ(ユダヤの教師)であったガマリエル1世の薫陶を受けていて、しかも同門の中でももっとも優秀だったのです。

さらに、熱心なユダヤ教徒であったということについて、キリスト教を迫害しまくったことを書きとめています。最初の殉教者ステファノが殺されるときにはその立会人をしていますし、それだけでなく、

主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。(使徒言行録9章1-2)

という苛烈きわまりない調子で、在外ユダヤ人まで迫害しにでかけたのです。

しかしその道中で、パウロは劇的に回心することになりました。その次第は使徒言行録9章1-19にありますが、要約すると次のようになります。

サウロ(クリスチャンになる前のパウロの名前)がダマスコに近づいた時、天からの光りが彼の周りを照らし、彼は地に倒れて目も開けられなかった。すると天から「なぜわたしを迫害するのか」との声があった。彼が「主よ、あなたはどなたですか」と問うと「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と答えがあった。そこでようやく起きあがると、彼は盲目になっていた。同行者に助けられて、迫害するために向かっていたダマスコの町へ入った。ダマスコにいた弟子のアナニアは、主から、サウロが「異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ」者であると言われてサウロのところに行った。そして彼にそのことを伝えると、サウロの目からうろこのようなものが落ちて見えるようになった。そこでサウロは洗礼(バプテスマ)を受けた。

使徒と呼ばれる人の共通項として「イエス・キリストから直接に任命された者」と特徴がありますが、パウロはまさに直接的に選ばれ任命されたのです。

こののちパウロは、東奔西走という感じでかけまわり布教していきます。

苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(コリントの信徒への手紙二11:23-27)

という艱難辛苦の中で、東地中海を三度にわたって宣教のために大旅行し、エルサレムや在外ユダヤ人はもちろん、異邦人(外国人)や王にも福音を語ったのでした。

ユダヤ教では若手のホープだったであろう彼が、ここまで劇的に変わってしまったことは、キリスト教側にとって驚きだったとのと同様、いやそれ以上にユダヤ教側にとっても驚きだったと同時にこれは裏切りでした。このためにパウロはたびたび妨害にあい、裁判を受けました。
ところが、彼は生粋のユダヤ人であると同時に、生まれながらにローマ帝国の市民権を持っていたのです。最終的にパウロはこの市民権を行使してローマ皇帝カイザル(シーザー)に上訴。ここでキリストがアナニアに言った「異邦人や王たちにわたしの名を伝える」ということばが実現に向かったのです。

その後については、聖書は多くを語りません。伝説ではパウロはスペインにまで伝道にでかけたといいます。そののち何度目かの逮捕にあい、西暦67年頃、有名な「ネロ帝の大迫害」のときに殉教したと伝えられます。

著作

新約聖書の「ローマの信徒への手紙」から「フィレモンへの手紙」までの13巻は、パウロ(あるいはパウロの弟子筋の者)の手によるものと考えられています。

著者不明の「ヘブライ人への手紙」もパウロが筆者ではないかという説あり。

パウロにちなんだ人名

ポール(Paul)はあまりにもポピュラーなので、最近は赤ちゃんの名前としては流行らないそうです。

イタリアではパオロ(Paolo)、スペインではパブロ(Pablo)。
名字としては、ポール(Pole)、パウエル(Powell)。
女性の名では、ポーラ(Paula)、ポーリーン(Pauleen、Pauline)、ポーリーナ(Paulina)、ポーレッテ(Paulette)など。

有名人では、ポールは人気投票(後記)に任せるとして、パブロとくればパブロ・ピカソ(画家)ですね。パウエルとくればプロ野球の外人助っ人か、プログレミュージシャンか。
その他、ウォルフガング・パウリ(Wolfgang Pauli、スイスの理論物理学者)もポールからの派生かな。

ポール、ポーラとくればポーロも仲間かもしれません。「母を訪ねて三千里」のマルコ少年はMarco Poloという綴りです。
ポーリーナという名があるならば「愛少女ポリアンナ物語」のポリアンナ(パレアナ)はどうだろうっと思って調べましたが、綴りはPollyannaで語源は違うようでした。

「パウロ(ポール)」さん、知名度競争!

メールマガジン読者による「あなたの知ってるポールさん知名度競争」、投票の結果です。投票してくれたみなさん、ありがとうございました。

ポール・マッカートニー(ビートルズ)5票
ヨハネ・パウロ2世(ローマ教皇)4票
ポール牧(「指ぱっちん」の芸人にして仏僧)
ポール・サイモン(サイモン&ガーファンクル)3票
ジャン・ポール・ベルモント(映画「相続人」他)2票

ポール・マッカートニーが優勝、というかかろうじて逃げ切り!
投票した人もしなかった人も、だいたいこの順位は予想通りだったのでは? しかし、指ぱっちんがローマ教皇と同等の知名度というのも。。。

以下、少数意見(1票)のポールさんです。

・・・いや、本当に多いこと。

関連語句

使徒

バルナバ


メルマガ「聖書を読んでみよう」増刊22号(1999年1月19日配信)に掲載したものを加筆訂正しています。
「この人にちなんだ人名」は、すのぴ氏のご協力によるものです。

作成:1999年02月16日
更新:2006年09月04日

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