坂井家のご先祖

布屋忠次郎

ドメイン名のページでも触れましたが、坂井家の屋号は布忠こと布屋忠次郎といいます。坂井家は総領が代々「忠次郎」の名前を継いできました。
といっても「うちは由緒ある家柄だ」という話しではありません。貧乏ではないよな、という程度です。「私はいいとこのボンボンだ」というわけでもない。なにしろ最後の忠次郎となった先々代でやっと三代目でしたから。

布屋は名前の通り布問屋で、もとは信州のほうであきなんでいたようです。祖母が若いころには新橋に30件くらい布屋があったそうですが、いまは更級蕎麦で有名な布屋太兵衛さんががんばっているだけでしょうか(「布屋」は更科蕎麦さんのほうで登録商標になっています)。
で、布屋の忠次郎ですが、先々代つまり祖父までは、忠次郎の名を継いでいました。浅草某所にある坂井家の墓には「初代 坂井忠次郎」「二代目 坂井忠次郎」「三代目 坂井忠次郎」というふうに彫られています。しかしその祖父が戦死したあと、「もうそういう時代でもないだろう」という話しになって、父(長男)は忠次郎に改名はしませんでした。
(余談ですが祖父は坂井家に入り婿した段階で姓が坂井に変わり、そして忠次郎を継いだので名も変わってしまいました。)

祖母が元気なうちに布屋のこと、布屋忠次郎のこと、いろいろ聞いておきたかったです。WEB上には布屋についての情報があまりないので、このサイトで布屋についての研究をしていけたらと思ってます。

三代目のこと

先に書いたとおり、三代目布忠こと私の祖父は、職業は銀行員だったそうです。つまりすでに布問屋じゃなかった。

私は祖父にあったことがありません。父が2歳のときに、祖父は満州で戦死したそうです。銀行員ということで軍で経理のようなことをやっていた、まあ非戦闘員だったのですが、満州国軍の反乱にまきこまれたと聞いています。
ということで満州の歴史についても興味あるのですが、図書館で探してもたいがい「大日本帝国」が「傀儡国家」を樹立してからの話ししかないんですよ。それ以前にどういう歴史があったのかというところから知りたいのだけどな。おっと脱線。

子供の頃、祖母と浅草あたりを歩いていたら、傷痍軍人とおぼしき軍服すがたの人が二人、道端で物乞いをしていました。といっても「傷痍軍人」なんて言葉も知らなかったころですが、なぜ覚えているかというと、いつも孫の前ではにこやかな祖母がシリアスな顔で「あの人たちは生きてるだけマシなんだよ」と言ったのがすごく印象に残ってるからなんです。
何が祖母にそう言わせたのか。つまりなぜ祖父は大陸で死ななければならなかったのか。要するにあの戦争はなんだったのか。ということも、このサイトで考えていくことになると思います。


酒井讃岐守

こちらはちょっと、いえかなり冗談じみた話なのですが。
祖母の家に以前、沢庵和尚から酒井讃岐守に宛てた書があったそうです。少なくとも父の若いころにはまだあったそうですが、その後に曾祖母が売っちゃったらしい。ま、ともかく、そういうものが我が家に伝わっていたそうな。
なぜそんなものが伝わっていたかというと、讃岐守がうちのご先祖らしいと。酒井と坂井じゃ字が違うじゃないかと思うのだけど、明治の世に当時のご先祖が役所に届けるのに間違えたんじゃないかと。

ええ、なかなか突っ込みどころの多い話しです。が、まあご先祖だと思っていろいろ調べてみるのも面白いかなと。少なくとも「あなたの前世は」というのよりはよほど実のある遊びじゃないかと。

蕎麦に絡まないでもない布屋の話しをしたとたんに、うどんを連想する讃岐とは欲張りな話しですが、讃岐守といっても四国の殿様だったというわけではないようで、役職名みたいなもんらしいです。徳川三代将軍と四代将軍に仕えた老中で、居城は川越城だったらしい。

祖母が生前に言っていたところでは、時代劇ではとにかく悪役なんだって!調べてみたら、キリシタン禁令では一番苛烈にとりしまった人だそうな。もし本当にご先祖様なら、子孫がクリスチャンになってこんなホームページやってると知ったら、さぞかし複雑なことでしょう。

この人についても、いろいろ調べてこのページに書いてみたいと思ってます。ただ、あまり調べすぎると(たとえば家紋とか調べたら)ご先祖ではないということが判明してゲームオーバーになってしまうので、ほどほどに。
本当に讃岐守のご子孫という方もいらっしゃるでしょうから、失礼のない程度に。

作成:2002年12月15日
更新:2009年10月15日

布忠.com