昭和の日とNCC

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昭和の日とは

今年、平成19(2007)年から、それまで「みどりの日」だった4月29日が「昭和の日」になりました。このことについて少し考えてみます。

まず「昭和の日って、そもそも何?」という点ですが、これには明確な答えがあります。いわゆる祝日法、正確には「国民の祝日に関する法律」で、次のように定められているものです。

国民の祝日に関する法律 (祝日法)
平成17(2005)年5月20日改正

第一条(意義)
 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

第二条(内容)
 「国民の祝日」を次のように定める。
(中略)
昭和の日 四月二十九日
 激動の日々を経て、復興をとげた昭和の時代をかえりみ、国の将来に思いをいたす。

(以下略)

(漢字を一部ひらがなにする、撥音の「つ」を「っ」にする、という書き換えをしています。)

4月29日という日は、もともと昭和時代の天皇誕生日でした。昭和64(1989)年1月7日に昭和の天皇が崩御され、この年つまり平成1(1989)年から昨年の平成18(2006)年まで、4月29日は「みどりの日」でした。

「平成になってはや19年、なぜ今さら昭和なんだ」と思う人が、特に平成生まれの人にはいるかもしれませんね。この日を祝日として残したこと自体が、この日を、昭和を心に思い起こす日にしたいという気持ちから、生物学者でもあり自然を愛された昭和天皇にちなんで「みどりの日」となったものです。今回の変更を「今さら」と思う人よりも「やっと」と思う人のほうが多いかもしれません。(それ以上に「どちらでもいい」が一番多いかもしれませんけど。)

ところで、「昭和の」といったとたんに「昭和天皇の神格化」とか「大戦の美化」につながると主張する声もありますが、少なくとも筆者(昭和43年生まれです)は、そうは思わないです。筆者は昭和の終わりのほうの3分の1を経験しているわけですが、「復興を遂げた昭和の時代」は知っていますが、「激動の日々」は知りません。むしろ平成になってからのバブル崩壊とその後のほうこそ「激動の日々」だと感じるくらいです。天皇というと私はやっぱり昭和天皇の印象が強いですが、昭和時代のすべてが昭和天皇だけだったわけでも戦争だけだったわけでもありません。

ところで、「昭和の日」というように名称に「の」が入っている祝日について、ウィキペディアで興味深い説明を見つけたのでちょっと引用します。

日本国における国民の祝日の名称の付け方には目安がある。元日、憲法記念日、天皇誕生日のように名称中に「の」の字がないものは、その日付に固定的な根拠・意味合いがあるものとなっている。一方、成人の日、こどもの日、海の日、敬老の日など「の」の字のあるものは、一応動機となる事実(端午の節句など)はあるものの、その事象自体は本来常日頃から行われるべきこと(民法上成人となるのはその人の誕生日の前日であるし、子供や高齢者や海の幸は時節を限らず慈しむべき対象と言える)であり、「特定の一日をその事象の代表的な日とする」という意味を重視したものであることが多い。

昭和時代を記念する日を定める場合も、もし名称を「昭和記念日」とするとなると「昭和時代回顧のためにたまたま選んだ代表的な日」の意味よりも「記念する根拠のある日」という固定的意味のある日を選ぶ必要が生ずることとなり、結果として昭和天皇誕生日である4月29日よりもむしろ昭和に改元した12月25日のほうが適切である、逆に律令の「国忌」規定以来の由来のある昭和天皇が崩御して昭和時代の終わった1月7日の方が皇室の伝統とも合致する(亡くなった天皇の誕生日が祝日になった先例は明治天皇の「明治節」(11月3日)のみ)、更には終戦記念日(8月15日)こそ相応しい等々、日付選定に関する推進勢力同士の論争を提起する可能性があった。一方、「昭和の日」であれば固定的な意味を持つ必然性が(昭和記念日に比べれば)薄れるため、4月29日を採用する是非についての推進勢力同士の論争(=推進運動の停滞)を避けやすい結果となる。当初「昭和記念日」を主張していた推進勢力が「昭和の日」を受け入れた背景には、このような「の」の有無という祝日名称の慣例が影響したといえる。

(ウィキペディア「昭和の日」より抜粋。)

もしもこの説明が正しいとすれば、こういうことになりますね。
「4月29日を「昭和」に結びつける日とすることを推進しようとしていた人々は、(まさに「昭和の日」制定に反対していた人たちが危惧しているとおり)この日を昭和天皇あるいは大東亜戦争に結びつける記念日とすることを望んでいた。しかしその結果どうなったかというと、私たち国民の代表が決定した法案(改正案)では、この日を特定のできごとや特定の誰かと結びつけることはせず、一人ひとりの温故知新な想いや考えを代表する日となった。」

つまり「それぞれの人が、それぞれの仕方で、昭和のことを心にとめつつ将来の日本を思う日になった」ということです。
日本人には内心の自由がありますから、この日に「もう一度、天皇を利用して戦争をやろう」と思う人や、この日に「二度と天皇を利用して戦争することのないように、天皇の存在をなくすことを考えよう」と思う人もいるかもしれません。
筆者にとっては、神が天皇と皇室を守られるようにと、祈りを新たにする日になりそうです。天皇が利用されたり政治にまきこまれたりすることがないように、皇室が今まで続いてきた伝統のままに続いていくように、と。
「昭和なんか知らないよ」という世代の人たちにとって、「日本てなんだろう、と思う日」になればと思います。未来は現在の続きの上にあるし、それは現在が過去の続きの上にあるということなのだから、「今なぜこうなのだろう」ということを知るには「どんな道を通ってここまできたのだろう」ということを抜きには考えられないからです。

当サイト管理人は、NCCの声明には賛同していません

日本のキリスト教界には「日本キリスト教協議会」(以下、NCCと略す)という団体があり、4月29日を「昭和の日」に変更する改正案が可決した際に反対声明を出しています(反対声明はこちらで読めます)。
念のためですが、NCCはすべてのキリスト教徒を統括している団体ではありません。NCCのサイトには参加している教会や団体のリストが公開されていますが、それらだけを代表する団体です。しかもこの反対声明は、NCCとしてではなくその中の「靖国神社問題委員会」というところが出しているものです。
ですがこういうのが出てくると、一般からは「キリスト教徒はこういう考え方をしているのか」と受け取られそうで心配です。この反対声明も、私なんかは同類と思われると困るというくらいけっこうアレなので、「クリスチャンがみんなこう主張しているわけじゃないです」ということをわかっていただくためにちょっと書きます。

第2項から

「昭和の日」を「国民の祝日に関する法律」に入れることの提案理由として、同法律の後半の「又は記念する日」の「記念する日」に当たるとし、「国民こぞつて祝い、感謝する」ことを「建国記念の日」の制定と同様に、無視しました。
 「国民こぞつて祝い、感謝する」ことができる日を「昭和の日」とすることによって法的な根拠をあいまいにすることを知りつつ、法制化を企図したことは周知の事実です。

さて問題です。次のうちから、祝日法の第一条にある「ここに国民こぞつて祝い、感謝し、または記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」の意味としてふさわしいものを選びなさい。

  1. 国民の祝日は「国民みんなが、祝うことも感謝することも記念することもできる日」である。
  2. 国民の祝日は「国民みんなが、祝えるか、感謝するか、記念するかできる日」である。

小学生でも、「または」という日本語の意味がわかるなら後者を選ぶでしょうね。
反対声明全体を見てもそもそもこの委員会は国語が苦手なようだから仕方ありませんが。(上記引用の二段落目などは、何を指して「周知の事実」と言ってるのかさえ不明瞭だし、別に国語が大得意というわけでもない筆者ですが思わず添削して差し上げようかと思うほどです。)
国語が苦手だからではないとすると、都合のいいように文章を引用して本来の意図を捻じ曲げる、左翼がよくやる手を真似ているのでしょう。

第3項

特定の一部の国民が「昭和の日」の推進運動を展開した意図は明白であると言わねばなりません。
「神道政治連盟」(1969年結成)、「神道政治連盟国会議員懇談会」(1970年結成)、「昭和の日推進国民ネットワーク」、「昭和の日推進議員連盟」(共に1998年発足)による国会への働きかけ、その他の取り組みが効を奏したこと、その本来の目的が、「みどりの日」(4月29日)を5月4日に変更させ、「昭和の日」を「昭和天皇の誕生日」(4月29日)とすることにあったことは疑う余地はありません。
 「昭和天皇の御聖徳を偲ぶ日」は「昭和」の激動の日々ではなく、4月29日以外にないこと、「歴史に残る『昭和の日』の制定実現にあらゆる方策を講じた」ことは、成立直後の推進派の特集報道によって明らかであります。

ええ、それは事実です。それが何か?
すべての運動は、特定の誰かが始め、推進していくものですよね。NCCは足尾銅山の鉱毒事件について「田中正三という特定の一部の国民が始めて、推進したもの」だからケシカランというのでしょうか。
そして運動を進めるにあたっては、あらゆる方策を講じるのが当然です。といっても、何でもアリというわけにはいきません。たとえば自衛隊のイラク派遣の際に、自衛隊基地を取り囲んで「行くな」と訴えた人たちがいましたが、自衛隊という軍隊に「自分たちで『何が正義か』を考えて行動を決めろ」と求めるというのは、、二二六事件の青年将校たちのようにしろというのとまったく同じです。そんな方策は困ります。
しかしこの点では、「昭和の日」推進派の人々は、立法府である議会を通して法改正運動を進めるという、三権分立の日本で当然の方策を講じたわけですから、自衛隊基地にむかって叫んだ人たちとはまったく違って民主的です。

しかも結局、上記のウィキペディアの説明が正しいとするなら(というのはウィキペディアは誰でも編集可能な辞典なので「いつの時点でも完璧に妥当」であることは保障されないからですが)、それら「特定の一部の国民」の思惑は法改正案の検討の過程で薄められ、条文としては結局排除されて、特定のできごとや昭和天皇個人と結びつかないものに変えられてしまっているのです。つまり「特定の一部の国民」が推進したのは「昭和記念日」だったのに、それが結局は「昭和の日」にしかならなかったと言えるわけです。

ところで、「特定の一部の国民」という書き方は、「大多数の国民から遊離した特定の一部の少数者が」というニュアンスを演出しようとしてのことであるのは明らかです。しかし人数的なことを言うなら、推進派と反対派のどちらが「特定の一部の国民」でしょうか。調べていませんが、たぶん推進派も反対派も署名活動をしていたでしょうから、それぞれが集めた署名の数を比較すれば、どちらが「大多数の国民」から遊離しているかが明らかになると思います。
「大多数の国民」が常に正しいわけではありません。たとえば、先の戦争も「大多数の国民」の要求によるものだったし、海軍軍縮条約による軍艦数削減、内村鑑三の不敬事件、与謝野晶子の「ああ弟よ、君死に給ふことなかれ」の詩などを非難したのも「大多数の国民」でした。ただ、「特定の一部が」というならどちらがその「一部」にすぎないのかということです。

第4項

私たちは、以下の通り、歴史の事実によって、「昭和の日」を検証批判します。
(1)「国民の祝日法」の精神・制定基準に抵触します。
(3)「国民こぞつて祝い、感謝し」得ない最大の理由は、戦争責任を不明確にしたまま「激動の日々を経て」とすることは、戦前・戦中の日本がその最高の責任者である「昭和天皇」の名の下に、アジア太平洋地域の国々・人々に対して、侵略・加害の歴史をくり返しただけでなく、戦後60年の2005年にあって、今なお国の内外における戦争責任・戦後責任未決の状態にあります。
(3) 旧天皇誕生日を「昭和の日」とする成立過程にあって、国会において歴史の事実に基づく良心的な質問を軽視し、多数派の悪しき数の論理によって短期に成立させた国会の姿を見るにつけ、議会制民主主義の名に値しない多数派の論理による現状に対し、強く抗議の意思を表明します。
(4)「建国記念の日」の制定後も、神話にすぎない「建国記念日」を墨守している状況を直視し、全国的に抗議の意思を表明し、今日に至っている私たちは、改めて「昭和の日」においても、「昭和天皇」の戦争責任・戦後責任を追及する日とすることを決意し、ここに私たちの見解を表明します。

(3)がふたつありますが、ひとつめが(2)だとして話を進めます。

(1)は、前述のとおり「または記念する日」というところを意図的に捻じ曲げない限り成立しません。(2)の「祝い、感謝し」も同様です。条文はあくまで「祝い、感謝し、または記念する日」です。
ちなみに、発言者の意図を勝手に読み替えて攻撃することを、ふつうは「難癖をつける」といいます。

「アジア太平洋地域の国々・人々」とのことですが、日本の侵略戦争云々と言っているのは韓国、中国、北朝鮮だけだという事実を指摘しておきます。つまりNCCにとっては「韓国、中国、北朝鮮以外は『アジア太平洋地域の国々・人々』ではない」のですね。団体名に「キリスト教」と入れていながら、かなり差別的です。

『「昭和天皇」の名の下に』という書き方をしているのは正しいですね。昭和天皇がシナ事変不拡大を望んでいたことや、対米英開戦に反対であったこと、にも関わらず立憲君主政体を重んじるがゆえに昭和天皇は口出しをあくまでも控えておられたことが、史料によって明らかになってきました。東京裁判史観でいうところの共同謀議を昭和天皇に問うことができないということを、NCCも認めざるを得ず、それで「昭和天皇の命令で」とか「昭和天皇の指導で」などと書けずに、天皇の意思がどうあろうと「昭和天皇の名の下で」行われたのだという論にしたいのでしょう。

しかしそれでも、キリスト教団体が「昭和天皇の名」で行われた「侵略・加害」を批判するというのは、同じキリスト教徒として恥ずかしいです。昭和天皇の名の下に侵略・加害の歴史を繰り返したというのなら、それとは比較にならないほどの侵略・加害が「キリストの名」の下で行われてきたというのがまったく議論の余地のない「歴史の事実」だからです。
昭和天皇の名の下で侵略・加害が行われたとしても、時間でいえば長くても即位から敗戦までの20年ですが、しかしキリストの名の下で行われた侵略・加害は千数百年の長きにわたって行われてきて、しかも現在も行われています。奪われた命も、踏みにじられた人権も、賠償されるべき略奪や破壊も、キリストの名の下で行われたもののほうがはるかに大規模で悪質だということが「歴史の事実」です。
「自分のことは棚に上げ」を絵に描いたような声明です。「汝ら日本人は反省すべし、我々キリスト教徒は比較にならないほどもっとひどいことをしてきたが反省するつもりは毛頭ない」というこの姿勢は、同じキリスト教徒としていつも恥ずかしく感じます。

「議会制民主主義の名に値しない多数派の論理」と言いますが、「議会制民主主義ってそういうものでしょ」とか、「国民投票をやっても同じ結果になったんじゃないの」と思うのは私だけ?
もしも改正案が議会で否決されていたら、この人たちは「議会制民主主義の名に値しない多数派の論理によって否決されました」と喜んだんでしょうかね。

(4)は、これは何の冗談でしょうか。
4月29日を「「昭和天皇」の戦争責任・戦後責任を追及する日とする」というのは、反対するだけ反対した上で結局「昭和の日をかえりみ」る日にするってことですね。
「昭和時代をかえりみ、国の将来に思いをいたす」に反対するとういうなら、「私たちは、この日には昭和のなにごとをもかえりみない。昭和のなにごとかを反省することで将来を思うこともしない。」になるはずなのですが。

こんなむちゃくちゃな日本語の人たちでは、また「キリスト教は外国の宗教だから」と言われてしまうかもしれません。
すみません、冷静に考えようと思って始めたのですが、まじめにこの反対声明を考えるほど、この声明の破綻ぶりがひどくて、まじめにつきあうのが難しくなります。揶揄するつもりは本当になかったのですが。

付録

声明には「昭和天皇の戦争責任および戦後責任の若干例」というものが9項目ほど付加されています。

読んでいただければわかりますが、「これのどこが『昭和天皇の』責任なの?」というものがほとんどです。たとえば第1の項目では「関東軍参謀、旧満州・柳条湖の満鉄線路を爆破(9・18事変)。」が「天皇の戦争責任および戦後責任」であると考えているのは、NCCだけ、あるいはNCCの靖国問題委員会だけでしょう。

第6では、近衛首相が昭和天皇に「敗戦必至」と「敗戦後の共産革命の脅威」を上奏したが「しかし天皇は、決戦による勝利の機会を望み、好戦的な態度を変えなかった。そして沖縄を捨石とし、「戦争の惨禍」は甚大の一途を辿る。」といいます。
昭和天皇が「決戦による勝利の機会を望」んでいたということを示す史料を、私はまだ見たことがありません。まさかでっちあげということはないでしょうから私が不勉強なだけだと思いますが、出典を教えてほしいものです。(昭和天皇が戦果の報に喜んだ場面は側近の日記などにもありますが、そのことではないでしょう。まさか自国軍の敗退を喜ぶべきだったとはNCCも言わないでしょうし。)
しかしそれにしても、昭和天皇は戦争をやめろと発言する権限などお持ちでなかったことこそが「歴史の事実」です。徹底して立憲君主であろうとされ、明治憲法下でも象徴天皇であり続けようとされた昭和天皇は、政治に関わられたのはいわゆる田中事件、二二六の鎮圧命令、そして終戦決定の三度だけです。本稿はこれらについて論じる目的ではないので詳述しませんが、田中事件にしても政治への容喙が昭和天皇の意図ではなかったと考えるのが妥当でしょう。二二六は閣僚らが事件にあい指揮系統が破壊された状況下でのこと。終戦時にしても、ポツダム宣言を受諾するか否かの御前会議で、賛否同数のため異例を承知で昭和天皇の「聖断」が求められたための発言でした。

最後の第9にいわく「天皇、対米重視から日米安保推進を図る。日本国憲法第9条の空洞化の要因。」というのも突っ込みどころの多いことですが、まずもって日本が戦後に平和を守ってこれたのは、「第9条の効果」ではなく「日米安保の効果」です。
天皇が日米安保推進を図ったというのは初耳ですが、それも単に筆者の不勉強のせいであってNCCは確実な史料にもとづいてこう言っているとしましょう。確かに昭和天皇がソビエト共産主義を警戒していたというのは知られています(実際そのお陰で、皇太子(のちの今上陛下)の家庭教師にクリスチャンを招聘するなど皇室が福音に扉を開くようになりました)。それでも、日米安保がなかったら日本がどうなっていたが、かけらでも想像力があればわかりそうなものだけどなぁ。

仮に、ですが、昭和天皇に「戦争責任および戦後責任」があるとしましょう。それでも、キリスト教徒がキリスト教徒の「戦争責任および戦後責任」には目をつぶったまま昭和天皇を追求するのは、「自分のことは棚に上げ」です。
広島の原爆公園に「あやまちは繰り返しません」と書いていますが、原爆投下というあやまちを命令したのは、聖書に手を置いて宣誓し米国大統領になったキリスト教徒です。あやまちを実行して広島と長崎に実際に原爆を投下した米兵も、東京をはじめ日本各地を空襲した米兵も、従軍牧師の祝福を受けてから出撃して一般市民の大量虐殺を行いまいた。その後も、聖書に誓った米国大統領の命令によって、ベトナムで枯葉剤が使われ今にいたっても市民が苦しめられています。湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾により今も放射能症に苦しむ市民がいます。イラク戦争も「戦後責任未決の状態にあります。」です。

確かに、社会問題に取り組むことは、「地の塩」「世の光」でいることを神から命じられているキリスト教徒にとって重要な使命のひとつです。
ですがキリストは、マタイ福音書28章19-20で「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。]と命じています。
キリストは「行って、すべての民に、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教え、」「わたしの弟子にして」「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。」ではないのです。なのにNCCは、まだキリストの福音に帰依していない人々(大多数の日本国民)に向って、まず聖書の命令に従えと求めているのです。こんなおかしなことを言う宗教はキリスト教くらいなものです。西洋のキリスト教は過去には、改宗しない「野蛮人」を全滅させてから奴隷を移入するなどということもしてきましたが、今はそんなことはしていないでしょう。日本のキリスト教(の中でもNCCに参加している皆さん)だけじゃないでしょうか、改宗する前に聖書に従えなどというのは。

それがキリスト教への反発を招くくらい想像がつきそうなものですが、想像力が欠片もないんでしたね。ともかく、自分で日本宣教を難しくしておいて「宣教が進まないのは日本がアレコレだからだ」というのはないだろうと思うのですが。

このページを読んでくれたクリスチャンへ

筆者自身、学びの浅い者ですから、あるいはここに書いたことに間違いがあるかもしれません。お気づきの点があれば、メールで御指摘いただければ幸甚です。

しかし全般的に、社会派キリスト者は迫害の時代の来ることを予防するのに熱心なように感じるのですが、そんなことを聖書は教えているのでしょうか。
[あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。](ローマの信徒への手紙12章14)とはパウロもすすめていますが、迫害を予防しろというすすめや命令が書かれている箇所を、筆者は今のところ聖書中に見つけていません。逆に、「主の時」は大迫害ののちに来ると聖書に明言されているのですから、迫害を防止しようとするのは再臨を防止しようとしていることになるんじゃないかなとも思うのです。筆者などは根性なしですから、迫害の時代になったら信仰を守れるかどうかかなり怪しいものですが、実際に迫害下にある各国のほうが教勢が伸びている事実(クリスチャンの人口比は日本の1%未満に対しアラブ諸国でも数パーセントと言われている)を見ると、日本で信徒でいられるというのも複雑です。
日本が迫害の時代に向っているというのならなおさら、筆者はパウロのすすめに従って、日本を呪うよりも祝福を祈る者でいたいと願います。

作成:2007年4月30日
更新:2014年3月14日

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