「おそ松くん」と捨て子

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G.W.中、ケーブルTVをひいている実家で、アニメ専門チャンネルを見ていたら「おそまつ君」をやっていた。その内容にかなり驚いた。あらすじはこうだ。

ちび太が、おそ松たちの学校に忍び込んで給食の牛乳を盗もうとしたり、おそ松の家の物干しからタオルを盗んだりする。ちび太の様子がおかしいと思ったイヤミがあとをつけると、橋の下のボロ小屋でちび太が赤ん坊の面倒を見ていた。その赤ん坊は捨て子だったのだ。ちび太は、赤ん坊に飲ませるミルクとして牛乳を、おむつとしてタオルを手に入れようとしたのだ。
ちび太はボロ小屋で独力で生きている。そんな彼は、赤ん坊を捨てた親への怒りと、捨てられた赤ん坊への感情移入で、自分がこの子のママになるんだとがんばる。事情を察したイヤミは、さりげなく粉ミルクなどを提供するなどちび太を支援する。
その頃、赤ん坊を捨てたことを後悔した母親は交番に捜索願を出していた。母親と警官はおそ松たちの協力でちび太の小屋を訪れる。
子供を返してほしいと泣く母親に、そんな勝手があるかと怒りを爆発させるちび太。赤ん坊に選ばせろという警官。ちび太と母親の間におかれた赤ん坊は、ちび太のところに行きかけるが、その光景に母親が泣き崩れると、向きをかえて母親のもとへ。
一人になったちび太。その夜、おそ松たちがおでんの屋台を借りてきて、ちび太をなぐさめる。

これが、子供向けアニメ番組の、とある一話だ。
なんつー重い内容なんだ。一緒に見ていた5歳の息子に「捨て子」というのをどう説明してよいか悩んだ。

今、捨て子なんて話しはほとんど聞かない。生活苦のために我が子を捨てるなんてことは、おそらくあまりないのだろう(まったくなくなったわけではないにせよ)。そういうことでは現代は、物質的経済的ゆたかさによっていい時代になったのだろう。
けれど現代は、生活苦という言葉をほとんど(まったくではない)聞かなくなった代わりに、「泣き声にむかついた」だの、新米母親が一人で子育てにあたるストレスから来るノイローゼだの、かつては考えられなかったであろう理由によって、かつては考えられなかったであろうほどたやすく子供の命が奪われたり、虐待されたりしている。
「おそ松くん」が描く時代、捨て子などという行為は許容できるものではないけれど、それでも、一緒に暮らして行くことができないという現実を前に「どこかで幸せになってほしい」と祈りながら、子供のためを思えばこその究極の選択としての「子捨て」だったんじゃないだろうか。そう考えると、どちらがよりマシなのか。

連休の最中に、しかもギャグ漫画のアニメで、ずいぶん考え込まされてしまった。

追記

このページの内容は、BLOGをはじめる前にやっていた日記ページで書いたものですが、その日記ページを見た知人からメールをいただきました。「現代は、生活苦という言葉をほとんど聞かなくなった」という一文に対し、「生活苦というものは今もある」という指摘でした。
もちろん私は、生活苦というものは根絶されたなどというつもりもなく、言いたかったのは「昔よりももっとライトな感覚で親たちが子供たちの安全をおびやかしている」ということでした。その知人もそれはわかってくれた上で、なお「今もある」と指摘してくれたものでした。

作成:2004年5月3日
作成:2007年12月15日

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