中越地震ボランティア体験記・第二弾

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はじめに

新潟県中越地震の発生後、日本バプテスト連盟の北関東地方連合では、翌週末には第一次奉仕団を小千谷市に派遣しました。奉仕嫌いなはずの坂井も第二次奉仕団に参加したのですが、何を思ったのか第三次奉仕団にまで参加してきたので、その経緯などをここに書いておきます。
なお、前回の体験記は中越地震ボランティア体験記として公開しています。

かなり冗長な文章になっていますが、日記のつもりもあって書いているのでご容赦ください。
また、クリスチャンでない方がこのページを読んだ場合、「なぜそういう発想になるの?」というところがあるかもしれません。クリスチャンである坂井は、こういう考え方が当たり前のことになっているので、そうでない方には説明不足なところがあるかもしれませんが、ご了承ください。

もう一度

11月8日(月)

第二次に参加した経験から、「第三次ではこうしたほうがいいかも」というようなことを、奉仕団事務局(北関東地方連合の総務)などにメール。

この時点では、まだ第三次に参加するともしないとも決めていなかった。第二次の疲れがかなり残っていたこともあって、むしろ「やめとこうかなー」の方が強かったかもしれない。

11月9日(火)

日本バプテスト連盟の北関東地方連合から昨日付けで出された、第三次奉仕団の派遣要綱が届いた。関越道が開通したため、第二次では「金曜夜に現地入り-土曜朝から奉仕-土曜日没をもって撤収・帰着」だったのが、第三次では「土曜未明に出発-土曜朝に到着して奉仕-土曜日没をもって撤収」にするそうだ。

第二次に参加してさすがに疲れたのが、第三次はもっと強行軍になると聞いて、この時点でも「どうしようかなー、参加しようかなー、やめとこうかなー」だった。先週の土曜日はチビたちと遊んであげられなかったこともあるし、今度の土曜は家庭のお付き合いの事情で予定が入る可能性があったし。

けど、風船芸あんなに喜んでもらったしなぁ。連合の第二次の報告書でも「バルーンアートを使ったレクリエーションで子供たちと遊ぶ奉仕をあわせて行いました。」なんて書かれちゃったし。それに今回は金曜の夜に集合なので、会社を休む必要もないわけだし。連合では今回の第三次までしか派遣が決定されていないので(第四次以降があるかどうかは今後状況を見ながら検討されるそうだ)、被災者のために具体的に何かできるとしたら今回が最後かもしれないし。

とりあえず嫁さんに「今週も派遣するそうだけど、体力的なこともあるしなぁ」などとメール。

夜、前回の体験記をサイトに公開。

11月10日(水)

まだ迷いながら、朝、嫁さんに「また行ってきてもいい?」と聞いてみた。気持ちが固まってなかったから、半分くらいは「疲れてるんじゃないの?無理はしないほうがいいよ」という答えを期待してる部分もあったのだけど、「いいよ」と即答。
というわけで事務局に参加意思をメール。

弟にも電話して、仕事が忙しいのを承知で、一緒に参加しないか打診。実は弟は、仕事をやめて12月くらいから中越に行ってボランティアに参加するつもりのようなので、その前に一度現場を体験しておければと思ったので。しかし案の定、急な話しで無理とのことだった。

「所属教会に不忠実だというのに、他教会の奉仕に参加するというのもなぁ」ということもあって、前回は、所属教会である日本同盟キリスト教団の中野教会には何も連絡しなかったのだけど、今日の祈祷会で祈っていただけるよう電話でお願いする。

電話するくらいなら出席すればいいのだけど、仕事上がりの時刻の都合などで、木場の境福音教会東京チャペルのアルファコースに出席。
そうしたらなんと、出席者のY兄は小千谷市出身で、連合の奉仕団が拠点としている小千谷福音キリスト教会にも行ったことがあるという。この出会いのために今日は主はこちらに坂井を導いたのだな(と都合よいほうへ解釈しておく)。
Y兄から、奉仕に行っていることについてお礼を言われてしまったのだけど、礼を言われるほどのことはしていないので、内心「もうちょっと気合いれなきゃ」と。

11月11日(木)

昨日のうちにバルーンを仕入れに行く予定だったけど、時間がなかったので、昼間のうちに嫁さんに買いに行ってもらう。前回は160本入り×1、20本入り×2を用意して、小さい避難所で160本入りがほぼ無くなった。今回はどこで奉仕するか分からないのだけど、前回が小さい避難所だったこともあってあれより小さいところには行かないのではと思い、160本入り×2を用意。
そうなると人手も必要になるので、ダイソーでポンプを2本買い足し。奉仕団の誰かに覚えてもらって手伝ってもらおう。

連合が小千谷福音キリスト教会に駐在させている青年から、昨日までに現地の情報が入ってきた。
炊き出しは前回と同じ建設関連会社で、夕食として夕方からおこなうことになった模様。炊き出しは全市で充足してきていて、とくに週末は各地からボランティアグループが入るとのことだ。
今週になって震度3とか4とかの余震が続いている。かえって活発化しているのか?当日は大雨の可能性が高く、地盤への影響が心配される。事務局では第一次、第二次よりもリスクが高いという認識だ。
今回は理容師が奉仕団に参加し、散髪のサービスもやるそうだ。ちょうど坂井も散髪したかった(先週の日曜日に嫁さんから「絶対に今日中に散髪して」と言われたのに、不精していた)。サクラとして散髪してもらおうかな。

炊き出しは、やはりボランティアする側としても楽なのか汁物が続いているとのことで、汁物以外ができないかという話しがきているなど、全体として少量多品種への要望が出ているらしい。けど今回は連合奉仕団としては対応が難しいという判断。

11月12日(金) 前日

前夜はどうしてもはずせない会社のお付き合いがったため、支度は朝に回して、帰宅するなり倒れこむように眠った。
で、朝大急ぎで荷物の準備。図書館で借りた折り紙の本が2冊と、今回はジャグリングのクラブ(棍棒)まで詰め込む。

しかし天気予報が。昨夜から、静岡県では避難勧告が出るほどの大雨。千葉県内にもあちこちで警報が出ていて、内房線、京葉線とも遅れが出ているのだけど、北陸でも激しいらしい。崩れかけていた場所は大丈夫なのだろうか。壊れかけていた家々の雨対策は。そして明日の奉仕への影響は。
それにしても、なまじ被災地ボランティアなんかやったせいか、静岡県の状況を聞いて「あちらもこちらも助けることはできないのだなぁ」という思いに。考えても仕方ない、やれることしかやれないのだから、やれることをがんばろう。

朝の段階の予報では、明日の中越地方は朝まで雨。到着する頃にはやんでいるとしても、前回は雨はやんでいたのに小千谷中学校の校庭はかなりぬかるんでいた。これは運動靴ではキツイかもしれない。事務局からのメールでは、ゴム長の必要はないとのことだったが。

集合

仕事を上がってまず赤羽へ。ここで埼京線から京浜東北線に乗り換える前に、QB HOUSEで散髪。散髪ボランティアのサクラと思ったけどやはりそんなひまがあったら動いたほうがいいのだろう。奉仕に参加する前にどうしても散髪しておきたかった。さっぱりしたあと、集合場所の北浦和は浦和キリスト教会へ。途中で軽く夕食。

到着後、部屋を借りてスーツから着替え。がしかし、ここで重要なミスを発見。なんと運動靴を忘れてしまった。用意したのだけど、ソファーの上にでも置いてきてしまったのだろう。泥んこになる覚悟でなら、革靴でボランティアできないこともないだろうけど、いかにもマヌケだし、少なくとも自分が被災者だったら「革靴でボランティアに来るなんて、現場を甘く見てる」と思うだろう。幸い、車で少し行ったところにドンキホーテがあるとのことで、あとで連れて行ってもらうことに。

準備

荷物の積み込みなどが進む一方で、現地の小千谷福音キリスト教会にこの1週間駐在している青年と、懐かしのNEC製VoicePoint(前の会社がNEC系で、よく使ってたんだなコレ)を使って電話会議。奉仕団全員ではなく、牧師などリーダーとなる面々が会議室でVoicePointを囲んだのだけど、先週を経験しているからなのか坂井も呼ばれてしまった。

状況としては。
子供が集まりそうな場所があると思ってたら、神戸から、阪神大震災を経験した子供たちが慰問に来る予定だとか。
第二次で炊き出しをした建設関係の会社の避難所に今回も行く予定だが、そこに避難していた高齢者が市の手配で土曜から長野に泊まりで温泉旅行に行くので、前回ほどの人数はいないだろうとか。
週末はボランティアグループが多数現地入りすることもあり、ライフラインが復旧しつつあることもあって、炊き出しも大量には求められていないとか(それで今回は、炊き出しのうどんは前回の300食に対し100食のみとして、喫茶やフランクフルトのサーブを通してコミュニケーション(話し相手・遊び相手)に注力する方針となっている)

この一週間、ほとんどカップ麺と「サトウのご飯」しか食べていないという駐在員からの報告を聞くたびに「おお、それは素晴らしい」と思う一方で、「そうすると、我々は何ができるのだろうか」と。駐在員も、「30人以上も奉仕者が来るのに、来てみたら仕事がなかったでは」と考えていろいろ心を砕いておられたらしい。とにかく、明朝到着後にまずは情報収集し、柔軟に対応するしかない、という方向になっていった。
気になっていた雨とその影響については、現地はただいま雷雨の真っ最中で、小千谷中学校の校庭はかなりグチャグチャとのこと。

炊き出しなどの物理的な支援よりも、話し相手などコミュニケーションという支援に力を入れていくことで意識合わせがされた。たとえば炊き出しする周囲への声かけでも、ただお知らせするだけでなく、可能な限り話し込んでいこうと。前回も、フランクフルト一本で1時間も話しこむことができた場面があったという。前回の活動開始前に話があったけど、新潟の方はとにかく遠慮深いそうだ。「大丈夫ですか」と聞けばまず間違いなく「大丈夫です」と答えるだろうと。遠慮しておいて、こちらが退くと悪く言うような社交辞令的遠慮ではなく、本当に遠慮してしまうらしい。
けれどきっかけさえあれば、これだけの目にあった被災者たちの胸の中にどれだけの「誰かに聞いてほしいこと」があるだろうか。
どうせ教会の奉仕に集まるような面々は、トラクト配布などの訪問はお手の物だろうということで、一軒一軒行こうということになった。

・・・ヤバイ。カナリヤバイ。俺ハ訪問伝道ナンテ苦手ナンダヨ。ソウイウ奉仕ハ真ッ先ニ逃ゲルンダヨ。今度ダッテ話シ相手ジャナク遊ビ相手ヲヤリニ行クツモリデ参加シタノニ。嗚呼。

いつのまにか23時となり、予定通り全体打ち合わせをするために3階の礼拝堂に集合した。前回は3階にはあがらなかったので礼拝堂は見なかったのだけど、なんというか、、、すごいの一言。
教会というのは建物を指す言葉ではなくて、神を礼拝するためにキリスト者が集まっている場のことを指す言葉なのだ、とはよく言われることだし、それは正しい。(もし建物を指す言葉なら、デザインと設備に金をかけまくったホテルのチャペルのほうが、中古の民家の玄関に十字架をかざっただけの教会よりも「教会らしい」ということになってしまう)
けれど、ヨーロッパのカトリック教会の写真などみれば「こういうところで祈りをささげたい」と思ったり、ダイアナ元妃の葬儀の中継を見たときは「あの教会で賛美を歌ってみたい」なんて思ったりする坂井は、この浦和キリスト教会の礼拝堂を見たとたんに「こういうところで礼拝に出席したい」なんて思ってしまった。ただ、天上から照明などがぶらさがっているので、どうも「地震があったら?」と思ってしまう。

それはそれとして。

全体打ち合わせでは、先ほどの電話会議の内容が周知・確認された。昨日からの雨のこともあって、地震後の地盤がさらにゆるんでいる可能性が考えられる。土砂崩れで川が堰き止められたいわゆる天然ダムが決壊すれば、土石流が関越道まで来るかもしれない。過去2回の奉仕団派遣よりも今回の方が危険は高いという認識。
例の建設会社での炊き出しは行うということで、炊き出し班も決定された。あとは当日午前中の情報収集によって人員を割り振ることになった。坂井は今回は炊き出し班には手を挙げなかった。情報収集で、子供が集まりそうなところが見つかれば、そちらに行くことも考えることになると思ったため。もし見つからなければ、先週いっしょに遊んだ子供たちのところにまた行ければうれしい。坂井の顔は覚えてなくても、バルーンのことはきっと覚えてくれてるだろうし。

団長の祈りのあと、4時の出発に向けて仮眠を取ることになったが、その前に坂井は靴を買いにドンキホーテへ連れてってもらった。下手をすれば泥んこになるだけの運命の靴にあまり金をかけたくなかったのだけど、さすがドンキホーテ、普通の丈夫さはありそうな運動靴を1998円で手に入れることができた。探せばもう少し安いのもあったかもしれないけど、ひとまず満足。
教会に戻ったときにはすでにほとんどの人が寝ていた。用意された部屋には、前回現地に持ち込んだエアベッドが準備されていた。携帯のアラームを3:30amにセットすると、アイマスク&耳栓を装着してサッサと眠ることにした。

11月13日(土) 当日

小千谷市へ

目が覚めたときには、周囲はすでに起きてエアベッドの片付けに入っていた。携帯のアラームでは目が覚めず、周囲の気配でやっと起きたわけだ。大急ぎでエアベッドを片付ける。

各車に分乗して出発。少しは寝ておこうと思ったけど、起きて運転してくれてる人がいるのにアイマスクやら耳栓やらまで使って寝るのもやはり図々しすぎるようで、結局、うとうとしたり話しに加わったり。途中「あかぎたかはらS.A.」での休憩をはさんで小千谷市に入った。(これで前回の帰路とあわせて、赤城高原の上りと下り両方のスタンプをゲット)
小出ICを過ぎてから小千谷ICまでの悪路や、小千谷ICを降りてからの震災の爪痕に、今回初参加の方々が反応するたびに、いちいち前回来た時の話しをする坂井であった。
小千谷ICの出口では、前回は経験しなかった渋滞となっていた。週末はやはり各地から、ボランティア隊や、ガス会社などの応援部隊が来るようだ。

拠点となる小千谷福音キリスト教会に到着。粗食で一週間がんばって駐在した青年の出迎えを受けた。
とりあえず当面の作戦会議。少人数を教会と周辺の情報収集に残し、まずは例の建設会社に行って、炊き出しは夕方の予定だが今からテントの設営が可能なら設営してしまうことに。その後、トレーニングセンターの避難所などに情報収集に動くことになった。

炊き出し準備

移動中、やはり初参加の方々が、亀裂の走る道や崩れた石垣や壊れた家に反応するたびに、いちいち前回の体験談を語る坂井であった。
しかし、たった一週間でけっこう違うものだと思った。相変わらず道路の復旧工事は各所で継続されているのだけど、先週よりも走りやすくなっているような。店舗なども開いているところがずいぶん増えている。とはいっても元が元なわけで、これからまだ相当の時間と費用がかかるのだろう。田んぼなんかは土砂で埋まったり亀裂が縦横に走ったりのままで、生活のためのインフラが整備されても、生活の糧を得るための復旧はどうなるのかわからない。少なくとも、来春の田植えまでにどうにかなるとは思えない。

建設会社の避難所に到着。向かい側のガケ崩れも、重機が入ってずいぶん整理が進んでいた。
テントの設置は問題ないということになったようで、早速設営にかかる。前回経験者ということで坂井が手順をリードするように言われ、必死に記憶をたどりながらリードする。幸い、経験者は坂井だけではなかったので、大きな手戻りが必要になることもなく完了。

一休みしていると、別のボランティアグループがやってきた。ボラセン(ボランティアセンター)を通してではなく、ここの建設会社の社長さんとの縁で、山形県は米沢から慰問に来た、と思ったら聞き違いで芋煮に来たのだという。
山形の芋煮だと?こちとら大学の四年間だけとはいえ杜の都の水で育った元宮城県人だ。芋煮の報道は決まって山形だけど、広瀬川で毎年秋に芋煮した人間としては、山形の芋煮には妙にライバル心が…。なんて馬鹿なことを言ってる場面でもないか。
社長さんが仕事で出ていたけど、とりあえず作るだけ作って避難所の鍋に移し、明日の朝ご飯にすることにしたらしい。芋煮は鍋を囲んで突つくのが醍醐味なのだけど、かち合ったものは仕方ない(前回の我々の二度目の炊き出しと同じことになってるわけだ)
しかし車に積めるギリギリの装備できたためか、まな板を広げるテーブルも持ってきていないので、料理の間、我々のテーブルを貸すことになった。

米沢カラ芋煮シニ来タッテコトハ、米沢牛カ?テーブルノオ礼ニオスソワケナンテコトニナラナイカナ。

訪問

その後、団員の軽食用(?)に用意されたバナナをいただきながら、作戦会議。炊き出し班が準備を始める一方で、周辺のお宅への声かけ班が送り出されることになった。手分けして家々を回り、昼過ぎからのお茶と、夕方からのうどんへ招待するわけだ。ただし、お招きするのはいわば「ツカミのトーク」で、お話しさせていただくほうが主。

・・・イヨイヨ、ヤバイ。ドウシタラ逃ゲラレル?訪問班ニナラナイタメニハ、ドンナ手ガアル?

そんなことを考えていた坂井の目は、団長の目とピタリ合ってしまった。「じゃあ、坂井さんたちお願いします」という声を聞きながら、第二次奉仕団に参加する前に嫁さんから来たメールを思い出していた。
「バルーンだけでなく面倒臭いこともやってきてください」
嗚呼!

手分けして訪問伝道、もとい、近隣への声かけに出発。人影の見えた家に二人の団員が行ったが、なかなか戻ってこない。
そこで坂井たちは次の家へ。お留守(ただのお出かけではなく避難しておられるということだ)のところも多いが、あるお宅ではおばあさんが出てきて、お話しさせていただくことができた。夕飯のうどん炊き出しや、昼過ぎからのお茶のサービスにお誘いする。なんとか会話の糸口をつかめた気もしたのだけど、慣れないこともあってそこからトークを転がせない。

ッテユーカ、訪問伝道デナクテモ普段カラコウイウノ苦手ナンダヨ。人見知リスンダヨ。道マチガエテモ人ニ聞ケナイクライナンダヨ!

助けてくれという思いで二人の相方、もとい、団員二人を見るも、坂井ほど訪問嫌いでないとしても、ガチャガチャになった家の中を片付けているというおばあさんを相手に「大変でしたね」以上の言葉が出てこないようだった。実際、何を言ったらいいのか、どんな言葉でなぐさめたらいいのか。
なんとなく励まして、なんとなく退散。こちらのお宅から避難所までは、近いのだけど坂も急だし街灯も寂しいので、炊き出しが始まったらお鍋を借りに来てうどんをお届けすることになった。その時にもう少しお話しできたらいいのだけど(人見知りするとは言っても、一度会った人が相手なら少しはどうにかなる)

この辺りの数軒を回ったが、他に1軒の家に若い方がいただけだった。お休み中だったところを起こしてしまったようだったので、お誘いして早々に引き上げる。
しかしこの頃になっても、最初の家から二人が出てこない。様子を見に行ってみると、そこのおばあさんと話しに花が咲いているところだった。私たちくらいの孫が、よそ(東京?)に行っていてずいぶん会っていないという。「お正月にでも会えたらいいですね」と言うと、話しながらおばあさんの目が少しうるんできたように見えた。

触レナイ方ガイイトコロニデモ触レテシマッタノダロウカ。コウイウ時ハ、ドウシタライインダ?モウ少シ訪問伝道ノ奉仕ニ参加シテ経験シテオクベキダッタ!

その後もう少しお話しさせていただいたあと、引き上げて先へ向かった。
坂を少し山の方に行くと、家の片づけをしているお父さんなどがちらほら。声をおかけしていくが、作業の邪魔をあまりするのもよくないような気がして、疲れたらコーヒーでも飲みに来てくださいねと誘う。
やがて、「この先通行止め」の張り紙がされているところまできた。道路の状態はそこまでとあまり変わらない(そこまでの道路も舗装がガタガタになっていたという意味)が、そこから先は道路脇が山で、素人目にも崩れそうな気がする。

やむを得ず退き返すが、一軒だけ気になるお宅があった。道路から少し引っ込んだところの家で、庭で畑仕事をしているらしいおばちゃんが見えるのだけど、どうやったらそこにたどり着くのかがわからない。
そこにたどりつけそうな階段を上がっても、小さい畑があるだけ。そこからでも30メートルくらいはあったと思うが、仕方ないのでそこから大声で声をかけてみた。少しやりとりがあって、どうやらお話しさせてもらえそうだという感触はあったのだけど、両方で大声を張り上げていても会話が成立してる気がなかなかしない。残念ではあったけれど、集合時間も近づいて来たこともあって、炊き出しにお誘いするだけで失礼した。

ヤット訪問ニモ少シ慣レテキタトコロダッタノニ

避難所に戻ると、他のチームでは何軒もで好感触があったところもあり、お届け先はけっこうな数になった。

遊ぼ

さて、13:00頃になって、建設会社の事務所内で交流の時間ということになった。今回はアコーディオンの女性とギターの男性、さらに歌の女性二人という音楽チームの青年が参加している。アコーディオンが難しい楽器なのか易しいのか知らないけど、かなりの腕前だった。たぶんアコーディオンの定番というか名曲と思われる数曲は、子供たちもどう反応していいかわからないっぽかったけど、お年寄りたちは音楽の生演奏を聞きながらのお茶を楽しんでくださっていたように見えた。子供たち向けにアコーディオン+ギターにあわせて「森の熊さん」を一緒に歌ったりも。

音楽の時間のあとは坂井のバルーンの出番だった。
ここに避難している子供たちはもちろん、前回もバルーンを見たし、自分で作ったりもして楽しんでいる。だから、前に出て行って「さてお立会い」とやるのではなく「また来たよ、一緒に遊ぼう」となんとなく遊び始めるくらいでいいと思っていたのだけど、司会役の団長は前回はこの避難所より教会周辺に回っていたので、バルーンは見ていないし、「風船のおじさんです」とさも珍しい芸であるかのように紹介されてしまった。前回は、もう一度この避難所に来れる機会があるとも思わず、持ってるレパートリーはほぼ全部やってしまっていたのに。

嗚呼、コンナコトナラ、レパートリーヲ増ヤシテオクンダッタ。

冷や汗をかきながら、ぎこちないトークとともに動物からつくっていく。幸い、今回が始めてという子供も何人かいて、反応は悪くない。そのうち段々と、膨らましただけの風船を渡して「作ってみる?」と教えて行く。
始めて来た中学生か高校生くらいの子たちは、小学低学年くらいの小さい子が易々と動物を作っていくのを見て呆気にとられていた。実は彼女たちこそ、この避難所で生活していて前回も参加していたからなのだけど、それだけでなく、高学年ほど(大人は特に)「割れたらどうしよう」と思ってしまうところを、小さい子ほどどんどん挑戦してしまうという傾向があるらしい。

喫茶の時間が始まって大人たちが外のテントに行ってからも、バルーンの時間は続いた。すでにバルーンが山のようにできて、今度はバルーンの中に物を隠したり、バルーンをたくさんかかえてまきちらしたりと、まるでボールプール状態で遊びつづけた。

しばらくすると突然、折り紙の時間になった。休憩がてら外に出てみると、炊き出し班以外はよそに回ったらしい。「他の、子供が集まりそうなところ」はどうなったんだろう。
気がつけば、芋煮グループもすでにいなかった。しまった、味見させてもらいそこねた。

図書館から借りてきた「ORIGAMI DE CHRISTMAS」の2冊を持って子供たちのところへ。そういえば、第三次には参加するともしないとも考えていなかった割に、前回の帰宅後すぐに図書館でこれを借りたのだった。やっぱり第三次に参加することが決まっていたのだろうか。
とはいうものの、坂井には難しくて練習をあきらめて本だけ持ってきたのだった。けれど子供たちはサンタクロースなど作って楽しんだ様子。重い思いして持ってきて良かった。

奉仕団の大人の方が楽しんでたりして?

事務所で折り紙したり、またバルーンで遊んだりしていると、「外でケーキの準備してるよ」という声が。ボラセンの紹介できたというこのボランティアグループは、キャンピングカー2台でやってくると、機材をおろしてベビーカステラを焼く準備を始めた。見ていると、ベビーカステラ焼き機がほしくなってきた(けっこうな額だろうけど)。手際の良さや、手製の組み立て式テーブルの出来の良さから見ても、たぶん本職なのだろう。

少し時間が空いたので、クラブを出してきてジャグリング。練習不足でサークルにも全然行ってないしで、教えてもらった上手なやり方はできず、我流のあまりキレイではないカスケードを、ちょっとだけやる。
男の子がいなくて小さい女の子だけだったためか、最初は関心がある様子だったけどすぐに興味がよそにうつった。まあ、あまりやってもボロが出るので、とにかく「やった」という事実だけで自己満足して片付けようとしたが、他の団員のほうが興味を示したので、自分も大してできないくせにコーチ役になって練習タイムになってしまった。これが割と飲み込みが早くて、もし彼が新潟から帰っても自分で練習を続けたら、あっというまに抜かされてしまうかもしれない。いかん、練習しなければ。明日の日曜にでもさっそくサークルに顔を出そう。

しかし結局、うどんの炊き出しの準備を始める時間まで彼と二人で練習してしまっていた。何しに来たんだっけ?

炊き出し

夕暮れになり、炊き出しスタート。今回は炊き出し班ではないのでどうしようかと思いながら見ていたが、お持ち帰り用に沿えるお新香のラッピングなど手伝う。
しばらくして手が空いたので、鍋を借りてうどんをお届けする約束にしていたお宅に行ってみる。が、留守らしい。時間を置いてもう一度行ってみたが、やはり反応なし。もしかしたら、昼間だけ片付けに来て、夜はよその避難所に行っているのかもしれない。残念。

炊き出しは、うどんに加えて今回は白飯も炊いた。こちらも割と好評で、もともと少なめにしていた食材は、ベビーカステラ隊とおすそわけし合っているうちにちょうどいい具合で品切れとなった。
団員の夜食が少し足りないくらいだったけど、例のバナナがまだあったのでそちらをいただきながら、うどんのつゆにあげ玉やネギをいれてお吸い物代わりにいただく。

撤収

ぼちぼち片付け開始。ベビーカステラ隊も撤収を始めた。今回は子供が少なかったので、我々の遊びプログラムも少し寂しかったけど、ベビーカステラ隊も少し残念だったのかもしれない。というか傍で見ている我々の方が「せっかくベビーカステラが来てるのに、こちらにおすそわけばかりになってしまって」と残念に思っていた。彼らは明日も活動し、月曜に帰るのだという。京都や奈良などから、7時間以上かけて来たそうだ。明日は子供の多いところに当たれることを願う。

我々のほうもすべてトラックなどに積めこみ、この場所から浦和を目指すことになった。
小千谷福音キリスト教会は朝に集合したとき行っただけになってしまって、牧師にお会いすることができなかった。木場の教会のY兄からよろしくとお伝えしたかったのだけど。でも先週はお疲れもあって退いていた牧師が今日はお元気そうな様子だったと、教会周辺で活動した団員から聞くことができて何よりだった。

終わりに

小千谷市をあとにして

建設会社の避難所を出発する間際に、被災以来この避難所に来ていて先週バルーンをおぼえたあの小さい女の子が、家に帰れるようになったということを聞いた。なんか、妙にうれしい。
小千谷中学校庭のテントは、数も先週の半分ほどになっていたが、今日テントを出た被災者も多かったそうだ。一昨日からの雨で、多少危険でも家のほうがよいと思ったのかもしれないが。復旧が進む道路などのインフラ。危険を取り除くべく進められるガケなどの工事。片づけが続けられるそれぞれの家と、その前でゴミが燃やされるドラム缶から立ちのぼる煙。営業を再開するスーパーやホームセンターや商店。
すべてが元通りになるには時間がかかるとしても、まして子供たちをはじめ被災者がうけたショックやダメージはそう簡単には癒されないとしても、それでも少しずつ努力が進められていく。

もしかしたら、それを坂井に見せるために、神は坂井を第三次奉仕団に参加させたということなのかもしれない。前回の体験談を書きながら「わからない」と言ったことに対する答えとして。
被災者がなぜこんな苦労をしなければならないのか、犠牲者がなぜ死ななければならなかったのか、まだわからない。だけど今、立ちあがろうとしているあの町の人々と、神は確かにともにおられるのだと思う。たとえその多くが「主である神」を知らず、キリストの名で祈ることを知らなくても、それでも神は被災地の人々を確かに愛しておられるのだと思う。あの地の人々の創造主でもある神は、あの地の人々が苦しんでいるのをそのまま放置するような神ではないのだから。

キリスト教的にキレイなことを書いて、うまくまとめようという気持ちは、まったくない。というかむしろ、もしこの文章を被災者の方が読んだら、キリスト教の神というのはひどい神だと思われてしまうかもというほうを心配してしまう。それにもし自分が被災者となっても、もし自分の家族が犠牲者となっても、そう言えるかどうかはわからないけれど。もしかしたら神にむかって「不当だ」と不平をいってしまうかもしれないけれど。ヨブのように「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」なんて境地には至らないかもしれないけれど。
実際、被災者でもないよそ者が軽々に言っていいことではないかもしれないけれど。それでも、人間は打ちのめされることがあっても、そこから立ちあがることもできる、それができる力を神から授けられている、そう思う。

帰着

浦和キリスト教会に帰着して、みんなで荷下ろしと片づけ。ただしあまったフランクフルトは、ほぼ坂井一人で片付け。だいたい終わった頃には、内房線最終に間に合う時間ではなくなっていたため、帰る手段がなくなった他の団員と一緒に教会に泊まることに。

午前4時に起きれば始発にちょうどいいはずだったが、目がさめたのは5時近かった。あわてて、気配で目を覚ました方と目で挨拶して、教会をあとにする。
帰宅したのは7時前くらい。ドアをあけたとたんに、長男が「とーちゃん!」と飛び出してきた。

時間を見計らって、中野教会に報告の電話を入れる。みなさん、祈ってくださっていたそうだ。結局、危険と思う場面もなく、余震も「ゆれてるかな?」程度を一度感じただけだった。背後の祈りによって、神が守ってくださった。
私なんかは「ゆれてるかな?」でも、被災者はやはり神経にこたえるだろう。家に帰れることになったというあの小さい女の子は、ちょっとでも揺れると妹のところに飛んで行ってかばうのだそうだ。そんな日々が早く終わることを祈る。

日曜学校の準備をして、千葉バプテスト教会へ。ズボンをはこうとしたら、ウエストがキツイ。え?奉仕に行って、太って帰ってきたわけ?フランクフルトのせいだろうか。
嫁さんから「また証しすることになるんじゃないの?先週の礼拝での証しは声が全然聞こえなかったよ」などとダメ出しをされたけど、うまいこと連絡がつながらなかったらしく(メールを送った牧師が一週間出張だったそうだ)、坂井が第三次にも参加したことは誰も知らなかった。
別の兄弟が証し者として立てられてたこともあってか、急に坂井の証しを礼拝プログラムに入れられることもなくてすんだ(?)し(その兄弟の証しはとてもすばらしかった)、坂井が第三次奉仕団に入っていることを知らなくても第三次奉仕団のための祈りは教会をあげてささげられていたわけで、その中で坂井も守られ、とりあえずできるだけのことはして来れたわけだ。

教会から帰ってからは、買い物やファミレスなどでのんびりと家族サービス。そうこうするうちにだんだんと疲れが、というか眠気がおそってきて、結局ジャグリングのサークルにはいかずじまいだった。

またも、楽しんできただけのような体験記になったような気がする。けれど第二次に参加した後に読んだ「奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。」(ペトロの第一の手紙4章11節)で、今回は最初から開き直っていた。
主の栄光のために働くとき、そこに喜びがあっていいじゃないかって。

作成:2004年11月15日

布忠.com