戦死したじいさま

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久しぶりに親・子・孫で食事したあと、親父と少し話ししたときに尋ねたところ、じいさまも靖国神社に合祀されているそうだ。銀行員ということで経理のために満州に連れて行かれ、満州国軍の反乱に巻きこまれるようにして落命したじいさまでさえ、カミサマとしてまつられているのか。

赤紙(召集礼状)一枚で駆り出され、戦地ではどんな消耗品よりも兵士の命は安価なものとして扱われ(これも戦争に負けた理由の一つだろう)、そのかわりとして、死ねば靖国でカミサマになれる。というのが親父の一般論としての(というのは常に客観的に語ろうとする人だから)見解のようだ。
確かにそうだろう。そしてそんな仕掛けは歪んでいると思う。それに侵略のためだけではなかった(と坂井は考えている)とはいえ、戦争は戦争だ。どんな戦争も「100%正義」なんてことはない。けれど、仮に100%間違った国策であったとしても、銃後にいる者たちのために兵たちが死んでいったことに変わりはないはず。
兵たちの生命は「政府の政策のため」に要求されたものだったかもしれない。けれど「クニの同朋のため」でもあっただろう。「天皇陛下のため」に要求されたものだったかもしれない。けれど「家族のため」でもあっただろう。
もし彼らが戦わなければ、私たち子孫の時代は、東欧のようにソ連に踏みにじられているか、植民地にされるか、ネイティブアメリカンやハワイのように日本も日本民族も過去のものになっていただろう。けれど彼らが戦ってくれたから、(政体は崩されても)国体はたもたれ、日本は日本として残った。

じいさまがヤスクニでカミサマとして扱われていることは、別に何とも思わない。ありがたいことだとも思わないし、じいさまの息子(親父)たちがどう感じているかはわからないけれど、私自身は「勝手に合祀された」とも怒らない。
逆に英雄視する気もおきない。
人々が靖国神社で英霊をカミサマとして拝むのは勝手だが、うちのじいさまはそこにはいない。聖書が真実であり私の聖書理解が正しいなら、クリスチャンではなかったじいさまは、ほかのクリスチャンではなかった戦死者たちとともに今は陰府にいる(クリスチャンだった戦死者たちはすでに天国にいる)。そしてじいさまは、陰府でばあさまと60年ぶりくらいの再会をしているはず。で、陰府でキリストを信じて救われれば、最後の審判の後に天国に引き上げられることになる。
だから私が靖国神社をどうこう言うとき、それは英霊たちが神としてそこにいるからではない。あの戦争の意味とはまったく関係なく、私たち子孫のためにあの戦争で命を捨てて戦ってくれた人たちへの思いからでしかない。

それとは別に、2度と「靖国で会おう」と言って死ぬ人のないようにと祈る。
ばあさまは、戦争のことやじいさまが戦死したことについては孫に何も言わなかった。ただひとつだけおぼえているのは、小学校の低学年くらいのときに浅草に墓参りに行った時のことだ。そのとき参道のわきに、旧日本軍の軍服を着た人が二人、座って物乞いをしていた。一人は片腕がなかったように思う。「お国のために戦争に行って、こんな体になりました。お恵みを」ということだったのだろうか。
それを見たばあさまは、ただ一言、「あの人たちは生きているだけでも、まだマシなんだ」というようなことを言った。
その時は、その言葉の意味はわからなかったと思う。ばあさまがどんな顔で言ったのかも、どんな語調だったのかも、おぼえていない。けれど今はわかる。そしてだからこそ、2度と傷痍軍人として苦しんだり、それを見ながら戦死者の墓前で悲しんだりする人が生み出されてはならないと思う。

作成:2003年9月7日

布忠.com