教会からの情報発信

menu

個人的な経験から、各教会にお願いしたいこと。
第一に、ホームページを開設してほしい。
第二に、アナウンスは最新の状態にしてほしい。
第三に、教会内へのアナウンスのみで足れりとしないでほしい。

以下、ひとつずつ思いを書かせていただく。

教会はホームページを開設してほしい

個人的な経験
勤務地が変わるたびに、新しい勤務地のそばで会社帰りに出席できるような平日夜の集会がある教会を探すのだけど、これがなかなか見つからない。

最低限、「ここに教会があるんだよ。いついつ、こんなことをしてるんだよ」とわかるホームページであれば、立派なものでなくていい。コンテンツが更新されていなくてもいい。
とりあえず教会の名前、地図と交通手段(最寄駅など)、礼拝や定例集会の日時があればいい。

教団教派のサイトで住所と電話番号だけわかっても、どこの駅から近いのか、いつ礼拝や集会をしているのかがわからないと、どうしようもない。「電話してくれれば」と考えておられるとしたら、電話するのはその教会に行ってみようかなと思ってからだろうということも考えてほしい。その前にその教会がどこにあるのかの情報が必要なんです。いやその前に、電話するというのは(ホームページを覗くことに比べたら)かなりハードルが高い。

キリシタン禁制の時代ならともかく現代では、教会を建てるときには「ここに教会がある」と周囲に知らせるように、目に付くところに十字架を立てるものではないだろうか。(十字架はただの広告塔ではないが、そういう役割が実質的にあるのは事実だろう)
ウェブサイトを運営したことのある人の場合、「定期的に内容を更新できないようなら(つまり『作りっぱなし』になるようなら)、むしろやらないほうが」と考えるかもしれない。でもまずは、作りっぱなしでもいいから、まずは「ネットで教会を探している人」に情報提供してほしい。

アナウンスは最新の状態にしてほしい

個人的な経験
ある曜日の夜7時から聖研祈祷会と看板に書いてある教会を見つけた(ホームページではなく門前の看板)。それで、その日時に行ってみたら、電気も消えてドアも施錠してあった。ためしに看板にある番号に電話してみたら、(とても申し訳なさそうに)この集会は休止中であることを告げられた。

筆者もそれなりに教会経験が長いから、集会を休止したり廃止したりすることがあるのはわかる。けれど、看板を見て今日はじめて、意を決して教会というところに来た初来者がいたとしたら、「この集会はやってません」で済むだろうか。

前項で「作りっぱなしでも」と書いたが、情報は最新でないと。看板やホームページの集会案内は、常に最新の状態にしておいてほしい。

ただ、ここで難しいのが、教会のホームページの集会案内は随時最新にしているとしても、教会のホームページ以外のところで誰かが紹介している集会案内まではなかなか手が届きにくいのも事実だろうという点だ。
しかし、集会の変更というのはそれなりにおおごとだろうから、変更が発生したときにWEB検索で探して、訂正を依頼するようにできないだろうか。

教会内へのアナウンスのみで足れりとしないで

個人的な経験1
ある教会の夜の集会に行ってみることにした。台風の影響で雨風が強い日だった。着いてみると「台風のため、今夜の集会はお休みにします」と張り紙がしてあった。これはこれで仕方ない。確かにひどい嵐だった。
個人的な経験2
別な日に別の教会に行ってみた時のこと。天気は普通。なのに照明は消え施錠されていた。翌週に聞いたところ、教団のイベントで出払ってしまうため休会にしたとのことだった。ただしそのことは門前の掲示板にも何の案内もなかった。

張り紙だけでもしているのはマシな方かもしれない。定例集会を休会にするときに、常連にだけ知らせたり、それでなくても週報や教会内の掲示板で「ふだん教会に来ている人にだけ」知らせるだけで、「本日休会」の張り紙さえしない教会が、もしかしたらが少なくないのでは。

欲をいえば、張り紙してたほうの教会はホームページを持っているので、ホームページ上でも知らせてほしかったが。
それでも、初来者が必ずしもホームページで情報収集するとは限らない。相手が台風では常連に配慮してお休みにするのはわかるけれど、誰か一人(牧師でもいいし、信徒でもいい)が教会にいて、来訪者を迎えられるようにしたらなおいい。というのは理想論だろうか。


つまりは、日曜日だろうと平日だろうと、教会というところは「今日はじめて来る誰かがいるかもしれない」という視点を必ず持っていないといけないんじゃないかと思う。まさか全く持ってないということはないと思うが、それでも「いつも来ている誰か」にだけ気がいってしまうことはないだろうか。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と聖書の言葉をかかげておきながら、初来者が意を決して重荷をおろしにきてみたら「今日はお休みですので、そのまま重荷を負ってお帰りください。またのおいでをお待ちしております」でいいのだろうか。まだキリストの福音を知らない人をキリストに導くことが、教会の存在理由の最たるものじゃないだろうか。

平日の集会は、初来者向けというより、教会員向けであることが多いとは思う。特に「祈祷会」と銘打っている場合、ヤハウェを父と呼びキリストの名で祈ることは、ヤハウェもキリストも知らない初来者にはできないだろうからだ。
しかし、平日の集会が教会員(あるいはせいぜいクリスチャン)向けだとしても、それは教会側の都合であって初来者には関係ないことではないだろうか。

作成:2004年10月28日
更新:2007年12月15日

布忠.com