西暦の話し
教会ではよく、「クリスチャンは西暦を使うべきだ」といわれます。特に日本では、「元号を使うことは、天皇を時間の基準にすることだ。歴史 history とは his story つまり神(キリスト)の物語であって、クリスチャンはキリストを時間の基準とする西暦を使うべきだ。」とまで言われたりもします。
このあたり、当サイトでもたびたび触れてきましたが、ここで少しまとめてみようと思います。
キリスト教の時間意識
H.マイアーは、以下の聖書箇所を引用して、「神学的に見るなら、キリスト教の時間意識が成立するためにもっとも重要な点、キリスト教と時間とを結びつける点は、空間と時間をキリストが支配する、という観念だった。」としています。[*A p19]
「万物の上に」あるキリスト、天と地を支配するキリスト(フィリ二・九−十一)
「万物をあらしめ、われわれをあらしめる」主キリスト(一コリ八・六)
「万物の相続者」としての神の子(ヘブ一・二―五)
キリスト教の歴史は(神の歴史としては天地創造以前から、人の歴史としても創世記から始まりますが、キリスト教という宗教が具体的に始まったのは)新約聖書の福音書が記録しているキリストの降誕から始まったといえるでしょう。ところがその記録は、ローマ皇帝がアウグストゥスの御代であり、クィリーニウスがシリア総督だった時期(正確には、後にシリア総督となるクィリーニウスが軍事顧問としてシリアに赴任していた時)であると、ローマ帝国の皇帝在位年を基準に記されているのです。(*1)
これは、二世紀半ば以降の殉教者たちの記録でも同様なのですが、このころになると歴史そのものがキリストの支配の中にあるという認識が現れてきます。たとえば紀元185年頃に没したアポロニウスなる人物の殉教録には「コモドゥス帝の治世…アジアの地方総督はペレンニウス…アポロニウスはローマの数え方では五月一日の一一日前に、アジアの数え方では第八月に、われわれの年代計算ではイエス・キリストの支配の下に殉難した。」[*A p82-83]と記されています。「ローマの歴史上ではこの時、つまりキリストの歴史上では永遠の中で」というわけです。
キリスト紀元の登場
キリスト紀元という紀年法は「復活祭暦表」に関連して生み出されました。キリスト教最大の例祭である復活祭の正しい日付はいつなのかを定めるものです。この例祭は毎年日付がかわる移動祝日なのですが、いつが正しいのか。
まず紀元457年にウィトクリウスが、キリストの受難つまりキリストが十字架にかけられ、そして死から復活した年を基準とする暦を作成しました。大助祭ヒラリウス(後の教皇)の依頼によるもので、それまで使われていたローマの歴代コンスルの表が信頼できない精度であったためです。[*A p86-87]
復活祭の日付のためなのだから、(十字架と)復活の年を基準年にするのは正しいように思いますが、そののち紀元525年に、ディオニュシウス・エクシグウスが新しい復活祭表を作成しました。基準はキリスト降誕年。「新月が同じ日にあらわれる十九年周期と、同じ月に週の曜日が同じになる二八年周期を組み合わせ」た532年周期の暦です。[*B p97]。(詳しくはWikipediaで「コンプトゥス」の項目を参照)
ウィトクリウスが526年の復活祭とした日付に異論があったため、教皇ヨハネス一世がエクシグウスに委託したものですが、エクシグウスはこの年代計算法を説明するにあたって「われわれは新しい周期をこの罪深いキリスト教徒迫害者の記憶と結びつけることを望まず、初めにわれらの主イエス・キリストの誕生からの年数によって時間を記すことを選んだ。そうすればわれわれの希望の始まりがよりいっそうわれわれに親しいものとなり、人類の復興をもたらした、われわれの救い主の受難がよりいっそう鮮やかに浮かび上がることになろう。」と書いています。[*A p92-93]
「罪深いキリスト教徒迫害者」とはローマ皇帝ディオクレティアヌスのことで、迫害者ディオクレティアヌス帝即位紀元の暦に決別しようという宣言でした。
キリスト紀元の普及
こうして、まずウィトクリウスの受難紀元が、続いてディオニュシウスの受肉紀元(受肉とは、霊である神が人間の肉体をもつイエスとして生まれた=キリストの降誕の意味)が編み出されました。これらは今後の復活祭の日付を定めるため、いわば紀元元年から未来へ向かってのカレンダーでした。
人類の歴史の真っ只中に神が介入した「キリストの降誕」をもって新しい時代が始まった、というのはキリスト教の神学にマッチするものでしたが、しかしこの暦法が一般的になるためには、「キリスト以前の時代」も表現できるものでなければなりません。たとえば日本の皇紀は、紀元である神武天皇即位年を建国の年としていますから「皇紀紀元前」というものは必要ありませんが、ヨーロッパにおいてはローマ帝国でさえ「イエス以前の時代」はあるし、何より聖書は「イエス以前の時代」つまり旧約と呼ばれるパートのほうが記述量(ページ数)が格段に多い。
「キリスト紀元」を未来に向かってだけでなく過去へも延長したのは、イギリスのベーダ・ヴェネラビリスです。彼は731年に「イギリス教会史」を著わしましたが、そこで彼は一貫してディオニュシウスの受肉紀元により記述していて、キリスト以前についてもたとえば「ガーユス・ユリウス・カエサルがローマ建国後六九三年、すなわちキリスト以前六〇年にルキウス・ビブルスと共同でコンスルの地位に就くまでは、ブリタニアに足を踏み入れたローマ人はいなかった。」といった具合です。[*A p95-97]
このベーダのとったやり方がその後の歴史記述の方向を定めたのですが、その後もこの受肉紀元の普及はゆっくりと進みました。その間、教会のなかにも、初期キリスト教の時代から使われていた創世紀元(聖書の記述から算出した、天地創造を元年とする紀年法)があり、それも旧約聖書の70人訳版に従うものとウルガタ版に従うものとがありました。[*A p52]
カトリック圏以外への普及はさらにゆっくりとすすみました。Hマイアーは「この数え方のほうが、教皇の統治期間に基づく時間構造(引用者注「○○教皇の第○年」方式)よりもプロテスタント側の歴史記述に受け入れやすかった、という事情も作用しただろう。同様に、神聖ローマ帝国に帰属しない諸国民にとっても、かれらの王や諸侯を、代々の神聖ローマ皇帝統治期間よりは、キリスト以後の時間に位置づけるほうが容易だった。」と推測しています。[*A p55]
なかなか皮肉っぽい見方ですが、マイアーはさらに次のように書いています。「キリストを時間の線の中点に置く年代計算法がまさに啓蒙思想の時代に−つまり多数の領域でキリスト教の伝統からの離脱が始まった時代に−最終的に普及するに至ったことは、歴史の皮肉の一つである。」[*A p57]
クリスチャンだから西暦?
さて、話を一番最初に戻して、「歴史history とは神の物語 his story」「キリストを時間の基準とする西暦」というところに戻してみたいと思います。
history は his storyなのか
これは教会でときどき聞くことです。教会の外でも、フェミニストが「his story で男性の歴史という意味であり、つまり女性蔑視の歴史である」などと言ったりします。(ずいぶん前ですが実際に社会党の女性議員がTVで言ってたのを見ました。)
ですが、history が his story だというのは、ダジャレでしかありません。
「歴史(ヒストリー)という言葉は、ヨーロッパ各地の同族言語と同様、ラテン語から派生したもので、そのもとになったラテン語の「ヒストリア」は、そもそもギリシア語の「ヒストリエイ」が語源である。ギリシア人は「ヒストリエイ」という言葉を「探究」あるいは「探究することによって知る」という意味で使っており、今日でも自然研究をさす「ナチュラル・ヒストリー(博物学)」という表現にその意味の名残が見られる。…おもうに、現代の科学者は…現代の歴史家と言ってもいいだろう。[*B p23]
実はストーリーもヒストリエイの派生語ではあるのですが、つまりヒストリエイからストーリーもヒストリーも生まれたのであって、ヒズ+ストーリー=ヒストリーとなったわけではないのです。
別に、歴史とキリストは関係ないと言いたいのではありません。キリスト教徒が旧約聖書(ヘブライ語聖書)の中で「歴史書」と呼んでいるヨシュア記以後について、神の民であるユダヤ人は「預言者」と呼んでいますが、歴史とはそれ自体が神のわざを預言するものであるということでしょう。私自身そう考えますが、そのことを、事実にもとづかないダジャレで論証されるのは困ってしまいます。
「西暦」か「紀元」か
手元の和英辞典で「西暦」と「紀元」を引くと、どちらも「A.D.」が出てきます。A.D.は「Anno Domini」の略で、これは「主(キリスト)の年」という意味のラテン語です。
ただし「紀元」はこの場合「キリスト紀元」の略です。というのも、世界にキリスト紀元のほかにも、お釈迦様の入滅から数える仏滅紀元もあれば、マホメットの移住から数えるヒジュラ紀元、将軍様の誕生から数える主体紀元など多々あるからです。日本の元号制度を「偏狭なナショナリズム」と呼ぶ人がいますが、世界には西暦以外にも多様な暦法があるのですから、「キリスト紀元だけが紀元だ」というほうが偏狭なのです。実際、「紀元(キリスト紀元)」というのはキリスト教という特定の宗教を前提にしていますから、ユダヤ教徒やイスラム圏では同じ暦を使うのに「共通暦」と呼んでいます。(これらの暦のいくつかは暦についてのページで紹介しています。)
一方、「西暦」という日本語は単に「西洋の暦」で、キリストも宗教色もありません。もっとも、宗教色のないこの「西暦」という呼び方のほうが、日本のキリスト教会にとっては実は都合がよいということもあります。なぜかというと。
たとえば曜日の名前である日・月・火・水・木・金・土というのは、キリスト教の観点から異教的です。ローマ人が太陽と月と、肉眼で見える五つの惑星に対応する五柱の神々の名を曜日名にしていたものを、受け継いでいるのです。次の表に整理します。[*A p29 およびWikipediaより]
| 日本語 | 英語 | 由来 |
|---|---|---|
| 日 | Sunday | 太陽 |
| 月 | Monday | 月 |
| 火 | Tuesday | 火星の神マルス(マース)と同一視される北欧神話の神テュールの日 |
| 水 | Wednesday | 水星の神メルクリウス(マーキュリー)と同一視される北欧神話の神オーディンの日 |
| 木 | Thursday | 木星の神ユピテル(ジュピター)と入れ替わりになった北欧神話の神トールの日 |
| 金 | Friday | 金星の神ウェヌス(ビーナス)と入れ替わりになったゲルマン人の神フライヤの日 |
| 土 | Saturday | 土星の神サトゥルヌス(サターン)の日 |
太陽と月も、神格化によって曜日名に入れられたものでしょう。
それがどうやってうまいこと日本語の曜日名に訳されたのかは調べていません。たぶん中国の星名を暦にあててそれが伝わったというところではと思うのですが。いずれにせよ、教会が「日本の元号は非聖書的」などと言い出したら、「キリスト教徒なんか、曜日名で異教の神々を記念しているじゃないか」と言われてしまうわけです。
もう一つ、現代の日本では月名は単純に数詞ですが、ヨーロッパ系の言語ではこれも非聖書的な名がついています。その起源は古代ローマのロムルス暦、ヌマ暦、ユリウス暦です。
ロムルス暦の1年は10か月。第一月は春の「マルチウス」で「軍神マルスの月」の意味。以下、第2月「アプリリス」は「美と豊穣の女神アフロディーテの月」、第3月「マイウス」は「ローマの古い神マイア(ギリシャ神話のマイアとは別)の月」です。第4月「ユニウス」は「ユノーの月」で、かまどを司り女性の守護神であるユノーの月だから、現代でもこの月(現在の第6月)に結婚したジューン・ブライドは幸せになるといわれています。
以降はラテン語の数詞で、第5月のキンチリスは「5番目の月」の意味。第6月がセクスチリス、第7月セプテンベル、第8月オクトーベル。第9月ノベンベル、第10月デケンベルとなっていました。[以上、*C p28-29を要約]
このロムルス暦をついだヌマ暦では、1年は12か月となっています。第11月「ヤヌアリウス」は、前後に向いた二つの顔を持つ時の神ヤヌスの月。第12月「フェブルアリウス」は、死の女神フェブルアリウスの月です。
なお、のちにヌマ暦は改編され、第一月はそれまでのマルチウスからヤヌアリウスに変更されました。[以上、*C p30-31を要約]
(宿題メモ:なぜヌマ暦で、それまでの第11月だったフェブルアリウスを第1月の年始に変更したのか。ロムルス暦でマルチウスが年始だったのは、春分を年始とする意図が明確なのだけど)
ヌマ暦のあとさらにユリウス暦が登場します。ここで、第7月となっていたキンチリスがユリウスに改名されます。ローマ元老院がユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の功績をたたえたものです。さらに、第8月となっていたセクスチリスが、アウグストゥスに改名されます。カエサルの後継者アウグストゥスが、この月に三度戦勝したのを記念したものです。[以上、*C p32を要約]
整理すると、次の表のようになります。
| 月 | 英語の月名 | ローマ(ユリウス暦)の月名 | 由来 |
|---|---|---|---|
| 1 | January | Januarius(ヤヌアリウス) | ヤヌス神の月 |
| 2 | February | Februarius(フェブルアリウス) | フェブルアリウス神の月 |
| 3 | March | Martius(マルチウス) | 軍神マルスの月 |
| 4 | April | Aprilis(アプリリス) | 女神アフロディーテの月 |
| 5 | May | Maius(マイウス) | マイア神の月(ギリシャ神話のマイア神ではなく、ローマ固有の古い神) |
| 6 | June | Junius(ユニウス) | 女神ユノーの月 |
| 7 | July | Julius(ユリウス) | 皇帝ユリウス・カエサル(Julius Caesar)の月 |
| 8 | August | Augustus(アウグストゥス) | 皇帝オクタビアヌス・アウグストゥス(Octavianus Augustus)の月 |
| 9 | September | September(セプテンベル) | 第七の月 |
| 10 | October | October(オクトーベル) | 第八の月 |
| 11 | November | November(ノベンベル) | 第九の月 |
| 11 | December | December(デケンベル) | 第十の月 |
教会が「元号は、人間である天皇を時間の基準としているもので、神格化だ」などと言い出したら、「キリスト教国では、人間である皇帝の名をそのまま月名にしてるし、異教の神々の名まで月名にしてるじゃないか」と反論されてしまうでしょう。
どうも、「紀元とはキリスト教の…」とやるよりも、「西暦とは西洋の…」というふうにしておいたほうが、ヤブを突っつかなくてすむような気がしてしまうのですが。
むしろ、樺山紘一(*1)が指摘しているとおり、「(国際標準時や国際メートル法基準などヨーロッパ諸国による共通化作業の進行は)ヨーロッパという一地域の基準を世界化するという僭越な発想であるとはいえ、ここでキリスト教や古典文明など、特定の文明の刻印をできるだけ抑制した共通基準の可能性がためされたことは、事実である。暦も、世界化への道をあゆみつづけた。」と総括されるのが妥当かと思います。[*D p22を要約]
西暦は「キリスト中心」ではなく「人間の都合中心」
もう一つ、「クリスチャンは西暦を使うべき」という論には大きな問題があります。前項でまとめたようなことは、ローマの文化(暦法を含む)にキリスト教があとから(313年のミラノ勅令後に)乗っかったことによるもので、キリスト教は伝わっていった先々の文化を取り込んできたものだし(クリスマスも北欧の土着宗教の影響が強い)、「そういうもの」と開き直れないこともありません。しかしそれ以上に大問題なことは、「西暦(キリスト紀元)がキリスト中心だというのは建前でしかない」という事実です。
雑学やウンチクがはやっている昨今、ご存知の方も多いかもしれませんが、キリストと呼ばれたイエスの誕生は「キリスト紀元の元年」ではなく、現在では「キリスト紀元前4年かそれ以前」と考えられています。
ディオニュシウス・エクシグウスは一つだけちょっとした計算違いをした。イエスが誕生した年をローマ建国の七五三年後と考えたのだが、最近の聖書学者によれば、福音書の記述からも、キリストが生まれたのはヘロデ王が死ぬ前だったということで意見がほぼ一致しているという。つまり、キリストは「BC」四年以前に生まれていたというのである。[*B p98]
この引用だけでは説明不足なのですが、福音書に登場する「イエス誕生当時のユダヤ王ヘロデ」は、没年がBC4年であることが現在はわかっているのです。
ついでにいうと、「新しい王」と呼ばれるキリストを取り除こう考えたヘロデ王が「2歳以下の男児」を殺させていることから、キリスト降誕は少なくともヘロデ没年の2年以上前ではないかと考えることもできます。この場合、キリストは「BC」六年以前に生まれたことになります。諸説ありますが、キリストの受肉はBC7〜4年であろうとする説が多いようです。
(宿題メモ:エクシグウスはどうやって、キリスト降誕年をローマ建国の753年後と割り出したのか。)
「BC」とはBefore Christつまり「キリスト以前」の略ですから、上記引用は「キリストが生まれたのは、キリストが生まれる4年ないし7年前」と言っているわけですね。
もちろん、西暦を「より多くの国や文化で共通に使える便利なもの」とだけ考えるなら何の問題もありません(キリスト教圏ではない、特に一神教の文化のためには、「キリスト紀元」を「共通暦」と呼ぶ気遣いが必要ですけど)。しかし西暦が「キリスト中心のキリスト紀元」だというなら、少なくとも紀元前4年を元年(紀元1年)に変更するべきなのではないでしょうか。「いや、紀元前4年よりも紀元前7年のほうがより確からしい」などとなるたびに、元年を移動させなければなりませんが。キリスト降誕は神が定めた時に成就したことなのですから、それを人間の都合で紀元1年だったことにしてしまうというのはキリスト教においては最悪の「歴史の歪曲・改竄」なのではないでしょうか。
もうひとつ、西暦が世界に普及しているのは「キリスト教国の加害の歴史」によるものだということも指摘しておきます。
非ヨーロッパ世界についても、十九世紀に、ヨーロッパ諸国が植民地を拡大し、やがてはこれらの諸地域で既存の紀年法とならんで、あるいはそれにかわって、「西暦」が準用されるための準備が完了した。むろん、植民地権力に依拠した無謀な強制であったにせよ、イエス紀年法は世界全体に普及することになった。[*D p20-21]
言うまでもなく、「既存の紀年法」とは「これらの諸地域」の文化に固有の紀年法のことです。非ヨーロッパ世界に西暦が普及しているのは、日本のように独立をたもったまま西暦を導入した稀な例を除けば、「キリスト教国」による侵略の証拠であり、それら固有の紀年法が受肉紀元によって圧殺された証拠なのです。
主な参考文献
上記本文の作成にあたって参考にしたものを紹介します。ただし、上記本文はここにあげるものからの「正確な引用」ではなく、要約している場合が多々あります。
*A
西暦はどのようにして生まれたのか
ハンス・マイアー著、野村美紀子訳
教文館
1999年9月10日初版
ISBN4-7642-6009-3
*B
西暦はどうやって決まったか
ダニエル・ブアスティン著、鈴木主税・野中邦子訳
集英社文庫 大発見(5)
1991年11月25日 第1刷
ISBN4-08-760207-9
*C
暦を知る事典
岡田芳朗・伊東和彦・後藤晶男・松井吉昭 著
東京堂出版
平成十八年五月八日 初版
ISBN4-490-10686
*D
東京大学公開講座70 こよみ
東京大学出版会
1999年11月15日 初版
ISBN4-13-003100-7
注
*1
樺山紘一【かばやまこういち】
東京大学大学院人文社会系研究科教授(西洋中世史)。
[*D]において、「暦が歴史をつくった」を執筆。
当サイト内の関連ページ
いずれこのページに統合したいと思っていますが。