Boys, be ambitious の続き


質問

クラーク博士が札幌農学校を去る際に、見送りの一期生に向かって馬上から贈った言葉として有名ですが、「実はこの言葉には続きがある」という話を教会などで何度も聞いたことがあります。
ところがWEBで調べてみたところ、まるであとから好き勝手に作ったかのようにバリエーション豊富すぎで、しかも今のところ根拠(出典)を示しているものを見つけられません。

「Boys, be ambitious in Christ.」説
「Boys, be ambitious in God.」説
「Boys, be ambitious by Christ.」説
「Boys, be ambitious for Christ.」説
「Boys, be ambitious for Chrsit in Japan.」
「Boys, be ambitious for the things of Christ.」説
「Boys, be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.」説
「Boys, be ambitious of learning about knowledge of Jesus Christ.」説
などなど。

「in Christ」などの説の出展を御存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。 「その時、そばに立っていた者が聞いたところでは」というのもよく聞くのですが、その聞いたのが誰なのか調べられないのです。

実はもうひとつ、「Boys, be ambitious like this old man.」という説があります。
これについて「クラーク博士は本当は in Christ と言ったのに、改竄されて伝わっているのだ」としているサイトやブログがいくつかあるのですが、実はこちらのほうこそ、「その時、そばに立っていた者」にもとづくものとされています。
(札幌農学校一期生の大島正健が講演で語ったものを、その講演を記録した安東幾三郎が他の一期生に確認した上で「クラーク博士の言葉」として同窓会誌『恵林』13号に発表)
これはWikipediaの「ウィリアム・スミス・クラーク」の項目に書かれているのですが、このように根拠を示した上で、「in Christ」等を付加するのはキリスト教徒の創作だとも言われてしまっているのです。
事実がそうであるなら「キリスト教徒は何かというと『真理』と言うが、実は事実を歪曲しておいて事実のほうを『歪曲だ』と主張することを平気でやる」と言われかねない話だと思います。
というわけで、「in Christ」などの説について、クラーク博士自身または札幌農学校の一期生に由来する根拠について教えてください。いつごろどのあたりから「in Christ」などの説が出てきたのかとい う情報でもけっこうです。

すのぴさんからの情報

本誌にたびたび情報をよせていただいているすのぴ氏から、次の本に"Boys, be ambitious"の続きについてのコラムがありましたとの情報をいただきました。

キーワードでたどるキリスト教の歴史
林信孝 著
日本キリスト教団出版局 発行
2008年2月25日 初版
ISBN978-4-8184-0668-1

この本のp193から3ページにわたって載っているコラム「ボーイズ・ビー・アンビシャス! だけ?」から、以下に抜粋引用します。

…続いていた言葉とされるのは in Christ または for Christというものです。これはよく教会の説教などで語られているようですが、当時の関係者は聞いたことがないと証言しているので、どこかの牧師先生の解釈でしょう。
 直接聞いたのは、一期生の人たちだけでした。その中の一人、大島正健は次のように書いています。

He mounted again on horse back and taking reins in one hand, and a whip in the other locked back toward us, and called aloud; "Boys, be ambitious like this old man."…
  Japan Christian Inteligence, Vol.1, No.2

先生は再び馬上に戻り、片手に手綱を取り、片手で無知を持ち、我々の方を振り返り、大声で仰いました。「青年たちよ、大志を懐け、この老人のように」。…

 この言葉は、他の一期生にも確認されていますので、間違いないとされています。…
 立身出世を目標にしている青少年を前にして、徳育として考えられるのはキリスト教しかなかったのでしょうか。?
 いずれにしても、Boys, be ambitious に続けて、in Christ や for the attainment of all that man ought to beとする解釈もそれほどクラークの真意から遠いものではないといえるでしょう。
 札幌農学校で学んだ新渡戸稲造は、別の解釈を紹介しています。
「クラーク氏の性格から考えても、そう難しく解釈する必要はない。見送りに来た学生に向かって、諸君しっかりやれよと云った程度だ。勿論、学外の青年を相手にした言葉ではない。」


夢野すすきさんからの情報

では誰が「Boys, be ambitious の続きは in Christ だ」と言い出したのだろうかということなのですが、いまだはっきりしたことはわかりません。ただ、夢野すすき氏から次の本を紹介いただきました。

内村鑑三の生涯 近代日本とキリスト教の光源を見つめて
小原信 著
PHP研究所 発行
1992年2月21日 初版
ISBN4-569-53467-8

こちらの本の318ページから引用します。

 鑑三は札幌の古い仲間たちに働きかけて、十年計画ぐらいでもいいから、なつかしい札幌に教会を石造りにし、クラーク記念会堂にしよう、と珍しく記念になるものを、後世に遺すことを力づよく提案する。翌大正二(一九一三)年には英文でクラーク記念教会堂建設趣意書草案をしたためている。このとき、鑑三は札幌の仲間を前にして、いまの自分は他ならぬクラーク先生の「通弁」だと言って、熱のこもった講演をしているが、それはたとえばこういう調子であった。

クラーク氏が私のうしろに立つて云はせます。
My Boy! Speak to them about Jesus, my boy!
My Boy! Be ambitious!(我子よ、我子よ、イエスに就いて語れ、
我子よ、我子よ、野心をもて)と。(「内村先生講演集」全二十-四二六)

本来はこの「内村先生講演集」まで確認したいところですが、調べてみたら1913年発行とのこと。あるいは「内村鑑三全集」に収録されているかもしれませんが、筆者の住む市の図書館には蔵書がなく確認していませんので、孫引きということになりますがご容赦ください。

内村鑑三については、彼の無教会主義などから否定的な評価もありますが、日本のプロテスタント界への影響は小さくはないと思います。上記の内村の講演、または上記に限らず彼の思想から、「イエスについてBe ambitiousたれ」という思いが教会に伝わっていったとか、それをまた聞きした方が「Boys, be ambitious in Christ」などとして伝えた、といったことがあるいはありえるかもしれません。


ありがとうございました。