使徒になりそこねた男

使徒の条件の一つに「イエス・キリストから直接選び出された者」というキーワードがあります。ペトロアンデレも、イエスに「私に従ってきなさい」と言われて弟子になりました。そして弟子の中から、イエスが12人を選び出したのが12使徒でした。

しかし聖書には、イエスに「従ってきなさい」と言われたのに、しかもイエスに何かを感じていたのに、弟子にならなかった人たちの姿が記録されています。

ケース1

そして(イエスは)別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
(ルカ9章59)

この人の答えはとても自然です。しかしこの答えのために、この人は弟子になりそこねたのです。

子として、父を葬るのは大事なことです。それは権利であり義務であるといえます。イエス自身、ある若者にどの掟(おきて)が大事かと聞かれて、「父母を敬え」を含む十戒を示しました。しかし、それよりも大事なことが一つだけあったのです。

[第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』
この二つにまさる掟はほかにない。](マルコ12:29-31)

上は、「どの戒律がもっとも重要ですか?」との質問への、キリストの答えです。神を愛することが第一で、人を愛することが第二なのです。いや、[愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。](ヨハネの手紙一4:8)と書いてあるように、神との愛の関係があってはじめて、人を愛することができるのです。

しかし冒頭の「その人」は、神であるイエス・キリストに従うことよりも、人を優先してしまったために、機会を失ってしまったのです。

ケース2

[イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。](マタイ19:21-22)

この青年は、天国に行くためにどうすればいいのかとイエスに尋ねに来た人です。しかしイエスにこう答えられて、立ち去ってしまいました。

財産を惜しんだのでしょうか。それもあるかもしれませんが、当時は、富んでいるのは神に祝福されていることだと考えていました。しかしイエスは、神の祝福であるはずの財産を放棄して従って来いと言うのです。
青年は、自分がそれまで聞かされていた常識にとらわれて、機会を失ったのです。

「常識」の一歩先にあるもの

父親の葬儀を優先するのは常識。神からいただいた富を大事にするのは常識。そう思った彼らは、その常識の一歩先にあるものを知ることができませんでした。

「親の葬式をほうりだして信心しろというのか?」というのが、素直な感想でしょうか。
神を愛する(イエスに従う)愛は、人(家族)を愛する愛とイコールになります。神は愛そのものだからです。でも人を愛する愛が、神を愛する愛と必ずしもイコールにならないのです。

基本は何か、ということです。当時のユダヤ人は、(旧約)聖書に預言されているメシア(キリスト)を待望していたのに、基本を見失っていたために、メシアとすれ違ってしまったのでした。

(1999.3.2メルマガ増刊号に掲載したものを加筆再編集した)>

作成:2001年3月3日

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