西暦の雑学
紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と略します。B.C.は英語の Before Christ で「キリスト以前」の意味。A.D.はラテン語の Anno Domini で「主の年」の意味です。つまり西暦は、キリストであるイエスの誕生年を基準にしているわけです。
と、ここまでは雑学としてわりと有名なのですが、最近は「イエスの誕生年は、紀元前4〜7年だった」ということになっているようです。
これが本当なら、「2000年代の幕開けだ」とか「21世紀だ」とか言っていたのが、全部ずれていたことになってしまう。いったいどうしてこんなことになったのでしょうか。
ごく大まかにいうと、以前はローマ帝国の「○○皇帝の治世の第何年」というように数えられていました。それをディオニューシウス・エクシグウスというローマの修道院長が、ローマ建国754年をイエス誕生の年と割り出して、キリスト誕生の年を元年とするカレンダーを提案したのです。時に西暦525年のことでした。
ところがその後になって、いろいろなことがわかってきました。たとえば。
- マタイ福音書2章に登場する、イエス誕生当時のユダヤの「ヘロデ王」は、没年が紀元前4年であることが他の史料からわかった(マタイ14章ほかに登場する「領主ヘロデ」は別人)。したがって、イエスの誕生は紀元前4年より昔である。
- 同じくマタイ2章に登場する「占星術の学者たち」は、星(おそらく突然現れた、ひときわ明るい星)に導かれてやってきた。彼らは、紀元前6年に木星と土星が(地球から見て)最接近したのを見たのではないか。
- 「ヘロデ王」は「占星術の学者たち」から「星の現れた時期を確かめた」上で、メシア(キリスト)が誕生すると預言されていた町ベツレヘムの「2歳以下の男児」を皆殺しにした。ということは、「占星術の学者たち」がエルサレムに来たのは、イエス誕生の直後〜2年後の幅があると考えられる。仮に2年とすると、「ヘロデ王」の没年の2年以上前つまり紀元前6年以前となる。
- ルカ2章によるとイエス誕生当時、「皇帝アウグストゥス(在位期間は紀元前B.C.31〜紀元14年)から全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウス(クィリーニウス)がシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と記録されている。
シリア総督クィリーニウスが紀元6年に住民登録をしたことが他の史料からわかっているが、これは使徒言行録5:37の人口調査(「住民登録」と同じ単語)を指すと考えられる。しかしこの人口調査とは別に「最初の住民登録」が行われたときのことだとルカが言っているのだとすれば、それはいつか。
実はこのクィリーニウスは、サトゥルニヌスがシリア総督だった時代(在任期間は紀元前9〜6年)に軍事指揮官としてシリア方面に派遣されていた(らしい)。仮定が少し多いが、(のちのシリア総督である)クィリーニウスが(軍事指揮官として)シリアにいた紀元前9〜6年のどこかで人口調査が発令されていて、イエス誕生はその時のことだったとルカは記録しているのではないだろうか。
などなどです。
しかしこれらがわかってきたころには、キリスト紀元年によるカレンダーはすでに普及してしまっていた。それで、A.D.を Abu incarnatione Domini(主の体現[神であるキリストが、肉体を持って現れたこと]の年)という意味から、Annno Domini(主の年)に変更するだけでお茶を濁した(?)ようです。
関連ページ
元号について(2004年1月26日作成)
暦について(2004年12月26日作成)
イエス誕生当時のユダヤの王について、「ヘロデ・アケラオ」と書いていましたが、これは誤りでした。正しくは「ヘロデ王」で、アケラオはその息子です。ヘロデ王の名前はわかっていないとのこと。
以上、このページの読者よりご指摘をいただき、感謝しつつ訂正いたしました。