ヘブライ語の雑学

このサイトで「ユダヤ人はヘブライ語を話していた」と書いているのを読んで、「ヘブライ語というのは、アラム語のことではないか」という人もあるかもしれません。確かに、新約聖書の時代にはイスラエルではアラム語が使われていたというのが定説でした。ところが、とくに死海文書の発見以降、「やはりヘブライ語だったのではないか?」という説も出てきているのです。

ヘブライ語とアラム語は親戚関係にあって、方言程度の違いしかないそうです(ともに北西セム語群に属し、原カナン語を源としている)。そしてアラム語はヘブライ語よりかなり古く、国際語の位置にありました。
このため従来は、キリストやユダヤ民衆はアラム語を話し、ヘブライ語は宗教用語であったというのが定説でした。列王記下18:26の時代(紀元前8世紀頃)には、ヘブライ語を話す民衆はアラム語がわからなかったようですが、バビロン捕囚後は、一般人はメソポタミアでひろく使われていたアラム語を話し、ヘブライ語は「律法を学ぶ学院内で、ラビや学生が研究や議論のために使った宗教用語」になったと考えられてきました。聖書にあるイエスの発言のいくつかも、アラム語だと思われていました。ところが。。。

1.ヘブライ語には、アラム語から取り入れた語が多い

イエスはヤハウェを「アバ(父)」と呼んでいますが、これはアラム語です。しかしヘブライ語は、より古いアラム語から多くの単語を取り入れているのです。
たとえば「わたしのパパはパイロットなの」という文章を読んで「『パパ』と『パイロット』は英語だから、この文章は英文だ」なんて判断はしないでしょう。

2.ヘブライ語のセリフが、アラム語表記されている

イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでいます。これをマルコは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と表記していますが、マタイは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と書いています。前者はアラム語で、後者はヘブライ語です。ではイエスは、実際には何語で叫んだのか。その手がかりは、これを聞いた人々が「イエスが(昔の預言者の)エリヤに助けを求めていると考えた」と記録されているところにあります。

イエスが「エリ、エリ」と叫んだなら、これはヘブライ語のエリ(わが神)ともとれるし、「エリヤ」ともとれるのです。
ところが「エロイ、エロイ」と叫んだなら、これはアラム語の「わが神」としかとれず、「エリヤ」とはとれません。人々が「エリヤを呼んでいる」などと思うわけがないのです。
つまりイエスは、アラム語ではなくヘブライ語で叫んだのです。今際の際という切羽詰った状況での絶叫を、です。マタイはそれをそのまま書き、パウロの弟子で東地中海を行き来したマルコはより広い範囲で通用するアラム語で書いたのでしょう。
ちなみに「レマ」(なぜ)も「サバク」(見捨てる)も、アラム語とヘブライ語に共通の単語です。

3.ヘブライ語の単語を、アラム語だと思ってしまった

この文法的な話しは、まるきり受け売りなのですが。
ルカ1章15で「強い酒」と訳されている「シケラ」は、アラム語のシクラ(をギリシャ語的につづったもの)であって、ヘブライ語のシェハルではないと考えられていたそうです。シケラの語尾の a がアラム語の定冠詞だと考えられたためです。
ところが語尾の a は、ギリシャ語の中性名詞の終わり方でもあるので、これだけではアラム語のシクラかヘブライ語のシェハルか断定できないのです。一方、「七十人訳聖書」では、シケラは、ヘブライ語のシェハルの訳語となっています。この七十人訳聖書とは、旧約聖書をユダヤ人がヘブライ語からギリシャ語に訳したものです)
同様に、「パスカ」(過ぎ越し)、「サバタ」(安息日)なども、アラム語のギリシャ語つづりだと思われていましたが、実はヘブライ語のギリシャ語訳でした。

その他の単語

だったら「タリタ、クミ」「エパタ」「ラボニ」などのアラム語は?という疑問があるかもしれません。
繰り返しになってしまいますけれどヘブライ語には多くのアラム語の単語を含んでいるのです。そして数でいうなら、ヘブライ語のほうが圧倒的に多いのです。

たとえば100回ほども登場する「アーメン」はヘブライ語です。
ヘブライ語が宗教用語や学術用語であり、生活の言葉としては一般には使われていなかった、という説が正しいなら、ゼベダイの子らにあだ名をつけるのにヘブライ語で「ボアネルゲス」とあだ名をつけたり、「バト」「コル」などの生活に必要な単位があったり、さらに「ベルゼブル」「サタン」「コルバン」などなどなどなど。。。

ユダヤ人がアラム語を話していなかった、という意味ではありません。私たち日本人は「国が違えば言葉が通じなくも不思議はない」と感じてしまいがちかもしれませんが、世界的には「母国語+通商語」というように数種類の言語を話せるのほうがむしろ普通でした。当時のユダヤ人も大概は少なくとも二ヶ国語は話す事ができたと言われていて、ヘブライ語のほかにアラム語、あるいはギリシャ語、中には多少のラテン語を理解する人もいたといわれているそうです。

ただ、新約聖書に「ヘブライ語で○○」と書いてあるところまで「それは実は『アラム語で○○』と言っているのだ」というのは非常に疑問に感じます。
「ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池」(ヨハネ5:2)
「パウロはヘブライ語で話し始めた」(使徒21:40)
「ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所」(黙示録16:16)
など、「ヘブライ語」という言葉は新約に11回でてきますが、「ここでヘブライ語と書かれているのは聖書が間違えているのであって、本当はアラム語なんだ」ということなのでしょうか。

作成:2000年12月1日
更新:2003年3月10日

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