なぜ神は人間を試すのか

万能であり、人間をつくって、人間の事などわかりつくしてる神がどうして人間を試すのですか?
ノアの話で、7日間は人間に猶予を与えたのではないか?と書かれてましたが、これも神はもちろん誰も信じて乗ってくる人がいないということを知ってたはずです。」

(筆者が創世記7章の解説で、洪水の前の7日間を「人間に最後の悔い改めの機会を与えたのではないか」と書いたことへの質問メール)

この洪水の時に限らず、私の読んだ限り、神はいきなり断罪することはしないようです。裁く前に悔い改めのチャンスを必ず与えます。
これは、「人間が罪を犯すのは仕方ない、悔い改めの機会を与えるから立ち返れ」ということではないかと思います。

その人が将来悔い改めるかどうかは、ご質問の通り神は知っています。時間を創造した創造者は時間を超越しているのです。だから全知と呼ばれるのです。ノアの洪水のときも、7日間の猶予を与えたところで、人々が悔い改めないことは知っていたはずです。
にもかかわらず、7日間の猶予を与えたのは、無駄だと知っていてもそうせずにはいられないほど、神は人を愛している、ということなのだと思います。

だったら無条件に救えばいいじゃないか、信じる者しか救わないというのは狭量ではないかという意見にあう事がたびたびあります。
神も、人間が滅ぶのを望んだりはしません。そのことも聖書に書かれていて、しかもすべての人が信じることができるようにと「終末の裁き」を延期しているのだとまで書かれているのです。当然、その結果がどうなるかも知った上で、それでもそうせずにはいられないのです。しかし、理由は聖書に書かれていませんがなぜか神は、自分に似せて人間を創造しました。このため人間は、神と同じように人格性を持ち自由意思を与えられたのです。
神は、人間をその意思に反してむりやり救うことはしません。そんなことをするくらいなら最初から自由意志など与えず、神の意思に背かないただのロボットとして人間を創造したことでしょう。「信じる者しか救わないなんて」という言い方をする人が「信じない」を選択するなら、神も自由意思を与えた責任をもってその人の「信じる者しか救われないと知ってるけど、あえて信じないから救ってくれるな」という意思を尊重するしかないでしょう。それとも「信じないという私の意思は無視して、無理やり救ってくれ」ということなのでしょうか。

ところで、聖書では7という数字は、完全の意味をともなって出てくることが多いそうです。
たとえば、「カインを殺したものに対しては7倍の復讐」というのは、復讐は完全に行われるという意味です(7回殺すということではない)。
キリストは、「人があなたにたいして罪を犯したなら、7回の70倍まで許せ」と教えました。これも、491回目からは許さなくてよい、というのではなく、「完全×完全×10回までも許せ」=完全に許しつくせ、ということです。
洪水の前の7日間も、猶予として完全に十分な日数として定められたのだと思います。

(メルマガ1998年10月12日増刊号に掲載したものを加筆再編集)

作成:1998年10月12日
更新:2013年4月29日

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