そのとき、何があったのか

復活の日 日曜日 夜


トマス

復活したイエスが弟子たちのところに姿をあらわしたとき、自殺したユダ以外にもう一人、その場にいなかった者。それはディディモ(*1)というあだ名で呼ばれていたトマスでした。

彼がなぜ居なかったのかは、わかりません。
筆者は個人的に「こいつは硬派だ」と思いこんでいるので(*2)、閉じこもっておびえている他の弟子たちと違って「捕まえるなら捕まえてみろ、そうしたら今度こそ師に殉じることができる」と思いながら表を歩いていたのではと想像しています(←根拠はありません)。とにかく、トマスはいなかった。そしてあとから弟子たちに合流してみると、あれほど縮こまっていたみんなが大喜びしながら[わたしたちは主を見た]とトマスに言うのです。

しかしトマスは信じようとしません。弟子たちは「なんで信じないんだよ、本当なんだよ」ともどかしい思いだったでしょうが、彼らだって、墓参から帰ってきた女たちから「主に会った」といわれても信じなかったのです。

そして誰かが「本当に主イエスなんだ、私たちはその手とわき腹の傷跡を見たのだ」と言ったのでしょう。トマスは兄弟弟子たちにこう断言しました。

あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。

「トマスよ、どうして信じられないんだ」という10人の思いはそのまま、現代でもクリスチャンたちが他の人々にイエスを伝えるときの思いですね。
一方、トマスファンの筆者はまた想像してしまいます。彼は「主イエスが本当によみがえったら、どんなにうれしいことか。私がそれを夢見ないとでも思うのか?でもそんなことがあるはずないじゃないか」という思いだったのではないかと(←根拠はありません)。


*1 ディディモはギリシャ語で「双子」の意味。このため「トマスはイエスの双子の弟」というトンデモじみた説もあるが、トマスという名がアラム語の「双子」に似た発音のため、こう呼ばれていたもの。

*2 筆者がトマスについて書いたページ
用語集:トマス
使徒トマスの反論(冗談企画です)

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