そのとき、何があったのか

安息日の翌日 日曜日 午後?


エマオへの途上

復活したイエスに会ったという証言を聞きながら、信じない、信じることができない。そんな弟子たちのうち二人が、田舎のほうへ旅立ったと書かれています。イエスが死んだので故郷に帰って仕事を再開するのか、それとも「このまま都に近いところにいては危険だ」と思って逃げたのか。
ところがその途上で、彼らの前にイエスが現れたのです。
しかし、ありえないと思いこんでいるためか、二人の目はそれがイエスだと気づくことができませんでした。そしてこの三人連れは道々、語り合いました。二人が「都でこんなことがあったのだ」と話すと、イエスは「メシアがそうなることは旧約聖書に書いてあったではないか」と言って、旧約聖書に自分のことがどのように書かれているか説明していったのです。
弟子たちはもっと教えてほしいと思ったのか、先に進もうとするイエスに、同じ宿に泊まるようにすすめました。

ところが夕食の席で、奇妙なことになります。二人がイエスを同じ宿に招いたのですから、二人がホストでイエスは客です。そして食事の時にパンを裂いてわけるのは、主人の役目でした。ところが客のはずのイエスがパンを手にとって裂いたのです。ここから「主客転倒」という四文字熟語ができたというわけではないでしょうが、それくらい普通ではない光景。
最初はいぶかしんだ二人だったでしょうが、今や主人としてパンを裂くイエスを見て最後の晩餐を思いだし、「師だ!」と悟ったのでした。(最後の晩餐以前も、イエスは食事のたびに主人としてパンを裂いていたはずです)

彼らが悟ると、イエスの姿が見えなくなった、と記録されています。しかし夢や幻ではありません。まして幽霊でもない。イエスが食卓にいた証拠が残っています。それ以上に二人にとっては「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださっ たとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」というのが何よりの証拠でした。

それで二人は急遽、都に戻り弟子たちに報告しました。しかし弟子たちは、この二人の話しも信じなかったのです。

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