そのとき、何があったのか

安息日の翌日 日曜日 早朝


墓は空だった

エジプトでミイラをつくるときほどではありませんが、イスラエルにも、死者の体に香料を塗る風習がありました。
ところがイエスが十字架上で死んだ時、すでに安息日が始まる寸前だったため、埋葬にあたったアリマタヤの人ヨセフも、イエスを最期まで見届けた人たち(*1)も、イエスに香料を塗ることができなかったのです。
もっとも、イエスはそこまで見とおしていたからこそ、ベタニア村でナルドの香油をそそがれたときに「私の葬りの準備」と言っていたわけですが。
それで女たちは、安息日が終わってから、墓に入って香料を塗ろうと思い、準備をして、安息日明けを待っていました。そして[週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った]のです。

しかし心配がありました。墓の入り口は岩で封をされているのです(さらに封印され番兵が配置されているのですが、それは女たちは知りません)。
それで女たちは「誰か岩をどけてくれる人がいるかしら」と話しながらいったのですが、その思いを神が聞き入れたのでしょうか、そのときに起きたことをルカの記録から読んでみます。

大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

番兵たちだけでなく、マルコ福音書には女たちも非常に驚いたと記録されています。
繰り返しますが、イエスに従った者たちにとって、イエスが死んですべてが終わってしまっていたのです。もう奇跡も何もないのです。女たちはただ、イエスの遺体に最期の別れをしに来ただけだったのです。(もしあなたの身内が逝ったあと、納骨しようとしたところに天使などというものが現れたら、平静でいられます?)

そして天使はこう言ったのです。

驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

さらに天使は「以前にイエス自身が言っていたとおり、ガリラヤで再会できる」と弟子たちに伝えるように、と言ったのです。

これを聞いた女たちは[恐れながらも大いに喜び]弟子たちに伝えるために急いで行った、とマタイは記録しています(*2)。
この女たちは、ルカの記録によれば[マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち]となっています。

一方、ひっくり返っていた番兵たちですが、意識を取り戻すとおおあわてで祭司長たちのところに行って事態を報告しました。
ところが祭司長たちは、番兵たちに金を与え、口止めした上、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」ということにしろと指示したのです。
昨日あれだけ注意深かったのに、なんという軽率。番兵たちの報告を信じることは、天使が降りてきてイエスがよみがえったことを信じることですが、彼らにしてみればそれは受け入れがたいでしょう。だとしたら、番兵たちの報告にウソがないか、あるいはその裏に弟子たちのたくらみがないか、徹底究明するべきでした。しかしそうしなかったために、キリスト教という彼らにとっては「人間イエスを神キリストであると信じる冒涜的な宗教」が、このあと全世界に広がることになったのでした。

マタイの記録によれば、番兵たちが言われた通りにしたので、その話しがユダヤ人のあいだに広まった、とのことです。

さて、女たちが弟子たちのところへ急ぐ途中。
死んだはずの、いえ「はず」ではなく確かに死んだイエスが、彼女のたちの前に立っていて、女たちに「おはよう」と言ったのです。
「天使に言われたから」ではなく、自分の目で見て、女たちはイエスが復活したことを知りました。そして大急ぎで、11弟子(*3)のところに行って、すべてを話したのです。

ところが、弟子たちは信じなかったと記録されています。当たり前と言えば当たり前、死んだ者が生き返るなんて。確かに弟子たちは、会堂司ヤイロの娘や、ベタニア村のラザロをイエスが生き返らせるのを目撃してきました。しかしそのイエス自身が死んでしまった今、誰がイエスを生き返らせるというのでしょう。


*1 イエスに従った者たちのうち、イエスを最期まで見届けたのはほとんどが女性だった。男性はそもそも、ヨハネ福音書に出てくる「愛された弟子」以外、十字架の場面には誰も出てきません。みんな逃げたか、指導者や群集うに見つからないくらい遠くからながめているくらいだったのでしょう。やっぱりこういうときは、女性のほうが男性より肝が据わっているようです。

*2 マルコの記録では、このあとに最大の謎があります。[婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。]という記述で、いちど終わっているのです。そのあとの部分は古い写本にはないため、あとから書き加えられたと考えるのが妥当です。
これについても話し始めると長くなるので、少し強引ですが、今回はこの付加部分は「マルコがあとから書き加えた」と仮定して、マルコの記録として話しを続けます。

*3 12弟子のうち、自殺したイスカリオテのユダを除く。

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