そのとき、何があったのか

安息日前日 金曜日 鶏が鳴く頃


ペトロの裏切り

イエスが大祭司カイアファのところへ連行されると、律法学者たちや民の長老たちが集まってきました。これから裁判が始まるのです。

その様子を、ペトロは中庭でうかがっていました。ところが、さっきペトロを中に入れてくれた門番の女が近寄ってきて、ペトロがたき火に照らされて座っているのをじっと見つめ、「あなたは、あのガリラヤのイエスの弟子の一人ではありませんか」と言い出したのです。
イエスを助けるためにも自分のためにも、こんなところでバレて捕まるわけにはいきません。ペトロはさりげないふうを装って「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言いながら、その場を離れて庭の出口の方へ場所を変えました。
このとき、鶏が鳴いたと記録されています。

その頃、中では大祭司がイエスの尋問を始めていました。が、ここではペトロの様子を追っておきます。

門のほうにむかったペトロに、少ししてからまた声がかかりました。マルコとヨハネは、さっき声をかけた女中だったと記録していますが、マタイは「ほかの女中が」、ルカは「ほかの人(男)が」と記録しています。周り中からいっせいに「お前はあの連中の仲間だ」と指摘されたのでしょう。
ペトロはあわてて、またもそれを打ち消しました。保身のため?だったらこの時点で逃げられたはずです。やはりイエスが気になったのでしょう。

一時間が経ったとき、みたびペトロに集中砲火があびせられました。ある人たちは「お前、ガリラヤ訛りだな?確かにあの連中の仲間に違いない」と言い出しました。日曜日にイエスがエルサレムに来た時は、群集のうちガリラヤ出身の者たちがイエスを自慢したものですが、この頃には姿を隠してしまっていたのでしょうか。少なくとも、夜明け前のこの時間にこの中庭にいるのは、大祭司の子飼いの者がほとんどだったでしょう。ガリラヤ訛りは目だったはずです。
さらにまずいことに、ゲッセマネの園でペトロに右耳を切り落とされたあのマルコスの身内がそこにいて、ペトロの顔をはっきりと覚えていたのです。

その直後の様子を、マルコはこう記録しています。

ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。

「呪いの言葉さえ口にしながら…誓い始めた」とは「この誓いがウソなら、神に呪われてもよい」という意味です。(*1)
しかしここに、細かいところですが、ヤハウェの介入がありました。ペトロが「神に呪われてもよい」と誓い終わってからではなく誓い始めてから、ルカの記録によれば[こう言い終わらないうちに]、鶏が鳴いたのでした。

さて、そのころイエスはというと。。。


*1 神に呪われるとはどういうことか。神キリストであるイエスはゲッセマネで、神ヤハウェに呪われることを恐れました。
創世記4章でカインは、弟殺しのことでヤハウェから「お前は呪われる者となった」と言われて絶望してます。誰かがカインを殺しても神の前に罪とはならないということで「誰もが自分を殺そうとする」と恐れたのです。

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