そのとき、何があったのか

祭りの1日前 木曜日 深夜


ゲッセマネの祈り

イエスたちがオリーブ山に来たのは、食後の散歩というわけではありませんでした。
イエスが寂しいところへ一人で行って祈っていたことが、聖書にたびたび記録されています。このオリーブ山の、ゲッセマネの園【その】というところも、イエスが祈るためのお気に入りの場所のひとつだったようです。園の中には果樹園もあったり墓地もあったりして、あまり人がいない静かな場所で、一人で静かに祈る(神と語らう)にはいいところだったようです。(*1)

ヨハネは、イエスは弟子たちとたびたびここに集まっていた、と記録しています。今夜も弟子たちが一緒でしたが、イエスはゲッセマネにつくと、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と弟子たちを残して園の奥に進んで行きました。
ただし今夜に限ってはなぜか、ペトロおよび雷兄弟(ヤコブとヨハネのゼベダイブラザース)も一緒に奥に連れて行きました。

この時イエスは[ひどく恐れてもだえ始め]たと記録されています。そしてお供の3人に[わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい]と行って、彼らをそこに置いてさらに少し進んで行ったのです。
このときイエスが祈ったこと、つまり、神キリストが神ヤハウェに訴えたこととは。

(イエスは) 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。
「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯(=十字架の苦難)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心にかなうことが行われますように。

激しい苦悩。ルカは、このとき[天使が天から現れて、イエスを力づけた]と記録しています。しかしそれでも[イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血のしたたるように地面に落ちた]のです。

これまでイエスは、自分自身で十字架に向かって進んできました。自分が十字架で死ぬこととよみがえることを何度も予告し、旧約聖書にそう書いてあることは実現されなければならないと解き明かし、サタン(悪魔)がそれを止めようとしてペトロを操った時には一喝しました(*2)。そして、十字架につけようとする者たちが「祭の間はやめておこう」と言っているのに、十字架にかけられようとしているイエスの方が「それは祭の時に実現する」と言ったのです。
そのイエスが、いざ十字架を目前にしてこれほど苦悩するのは、どういうことか。

死は罪の結果(*3)ですから、罪のないイエス(*4)は本当なら不死ですが、イエスは殺されたあと三日目によみがえりますし、そのことを自分で知っていましたから、死ぬことを恐れたのではありません。
イエスはこれから、神ヤハウェから切り捨てられ、見捨てられ、断絶され、裁かれ、呪われるのです。そのことが耐えがたいのです、たった三日間という、神の尺度では一瞬でしかないあいだであっても。

祈りの中でイエスは「アッバ」と言っています。父を意味する言葉ですが、「お父様」や「父上」よりも「おとーちゃん」というニュアンスです。つまりこの、ゲッセマネでの祈りは、これまで自分の計画通りに進んできたという前提の上で、「とーちゃん、本当にこれしかないのかよ。他のやり方でなんとかなるものなら…。でも、とーちゃんの計画が実現することのほうが、ぼくの気持ちより大事だからね」という祈りなのです。

そして、あまりに苦しいからこそ、いつもは一人で祈りに行くイエスが今夜はペトロたち3人を近くまでともなったのでしょう。全能者に祈る祈りには力があることを知っている者にとって、心をあわせて一緒に祈ってくれる者がいるのはとても心強いものなのです。

ところが!

イエスがこのような苦しい祈りののちペトロたちのところに戻ってみると、なんと3人とも眠りこけているではありませんか。100%神であると同時に100%人であるイエスにとって、これはどんなに切ない光景だったことでしょうか。
でも、人として世に来たキリストは、人の弱さをよく知っていました。それでイエスはペトロにこう言ったのです。[心は燃えていても、肉体は弱い]

イエスはまた彼らを離れて祈りましたが、戻ってみると彼らはまた眠っていたと記録されています。そして三度目に祈りに行って戻ってきた時、イエスはこう言いました。

あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。

するとイエスがまだ言い終わらないうちに、イスカリオテのユダが近づいてきました。イエスを捕らえに来た大勢の者たちを案内して。


*1 イエスは祈りについてこう教えている。
[偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。](マタイ6章5-13より抜粋)

*2 マタイ16章21-23

*3 ローマの信徒への手紙6章23

*4 自分のせいではないのに事故や事件や戦争の犠牲になった人を「何の罪もないのに」ということがあるが、イエスは文字通りの意味で、生涯なんの罪もなかった。

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