そのとき、何があったのか

祭りの4日前 月曜日 午前中?


宮を清める

さて、イエスと弟子たち一行は今日もエルサレムにやって来ました。そしてイエスは神殿に直行したようですが、その様子がこう記録されています。

イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。(*1)

イエス・キリストというと柔和な印象を持っている読者も多いのではと思いますが、このキレかたはいったいどうしたのでしょう。
イエスの言い分を聞いて見ましょう。イエスは、自分が追い出した人たちや見ている人々にむかって、こう言っています。

こう(聖書に)書いてあるではないか。
『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』(*2)
ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。

ユダヤ人は「異邦人はけがれている」と考えていたので、日常つかっているローマの通貨を奉納に使いたくありませんでした。「両替人」というのは、ローマの貨幣を、ユダヤのシェケルに両替する商売です。必要な存在でしたが、「神殿に奉納する者から手数料を取る」というのは、神にささげられるものから上前をハネているようなものです。
「鳩を売る者」というのは、ペット屋ではなく、神殿にささげるいけにえのための鳩を売っていた者です。律法は、豊な者は豊かに、貧しい者はそれなりにと定めていましたが、鳩は貧しい者たちが奉納する時のために定められていました。つまり、必要な存在ではあるけれども、貧しい者たちが神にささげるものからかすめとっていた、とも言えるわけです。
その他、神を礼拝することとは何の関係もなく境内で商売している人や、近道のために境内を通りぬける人たちを、昨日エルサレムに入ったさいに視察したときイエスは見たのです。

人が集まるから、確かに商売には好都合かもしれない。でも都合がいいからといって、その場にふさわしいことかどうかはまた別の問題です。
また、エルサレムの神殿には、イスラエル人だけではなく各国から参拝者がありました。神殿の境内は内側から「イスラエル人の庭」「(イスラエル人の)婦人の庭」「異邦人の庭」となっていて、各国からの参拝者も異邦人の庭で神ヤハウェを礼拝していたのです。その彼らの眼前で、選民イスラエルが神殿を舞台に金儲けに血まなこになっているとは。

イエスでなくても「お前ら、恥ずかしいと思わないのか」という気がしてきますが、さらに考えてみてください。
あなたが家をしばらく留守にして、そして帰ってきたとき。あなたの見知らぬ人があなたの家のガレージを改造して店を開き、あなたの家を訪ねてくる人あいてに商売していたら?あなたの見知らぬ人たちが、あなたの家の庭で待ち合わせて商談などしていたら?隣近所の人が、近道だといって、あなたの庭を横切って往来していたら?
あなたは「出て行けぇ〜っ!」と怒鳴らないでしょうか。怒らずにいられるでしょうか。追い出そうとせずにいられるでしょうか。
エルサレム入城の回でも触れた通り、神キリストであるイエスにとって、神殿は我が家同然のです。


体制側のたくらみ

イエスが宮を清めたり、民に教えたり、また障害者を癒したりしているうちに、民衆のイエス評価は急上昇してきました。するとおもしろくないのが、旧態依然な祭司長や律法学者といった指導者層でした。
「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。]と記録されています。

どうすることもできない彼らは、イエスへの民衆の支持を奪おうと、衆目の前で猛烈に論争をいどみます。それについては、明日。
とりあえずこの日は[夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。]と、またベタニア村に帰っていったことが記録されています。


*1 マルコの記録。マタイ等は、日曜日の出来事として記録している。

*2 イザヤ書56:7からの引用

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