そのとき、何があったのか

祭りの5日前 日曜日 昼頃?


エルサレム入城

イエスと弟子たち一行は、エルサレムに近いオリーブ山(あるいは「オリーブ畑」と呼ばれる山)のふもとの、ベトファゲ村とベタニア村に近いところまで来ました。(*1)
ここでイエスは、こう言って二人の弟子をつかわしました。

向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。

二人が子ロバを連れてくると、弟子たちはその上に自分の服をなげかけました。そしてイエスがその上にまたがると、祭りのためにエルサレムに集まっていた大群衆が「いよいよイエスがエルサレム入りする」と聞いてかけつけてきて、ある者は自分の服を、ある者は葉のついたなつめやしの枝を、イエスが進んで行く道に敷いたのです(*6)。
これは新しい王を迎えるときの風習でした(*2)。この時エルサレムの人々は、イエスを王として迎えたのです。イエスの前を行く者も、あとに従うものも、こう叫び続けたと記録されています。

ホサナ。(*3)
主の名によって来られる方に、
祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に、
祝福があるように。
いと高きところにホサナ。

普通、王の入城となれば、たくましい軍馬にまたがっていくものですが、なぜイエスはロバを使ったのでしょうか。実はメシア(キリスト)がロバに乗ってやってくることは、はるか昔に予告されていたことだったのです。
昔の預言者はこう書いています。

娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。(イザヤ書62章11)

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。(ゼカリヤ書9章9-10)

(「娘シオン」「娘エルサレム」とは、シオンの丘にたつエルサレムの町とそこに住む人々(女性だけでなく男性も)を指す。)

律法に厳格なファリサイ派は、イエスに対して民衆が「主の名によって来られる方」などと賛美するのを聞いて慌てて、イエスに[先生、お弟子たちを叱ってください]と言い出しました。
彼らは、[イエスをメシアであるとおおやけに言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた](*4)のですが、こういう制裁は違反者が少ない時にしか効果がありません。大群衆をまとめて追放処分などということにすれば、暴動が起きてかえって体制側が困ることになります。
また、メシアは「イスラエルの王」とされていましたが、ローマ帝国の支配下でイスラエルが新しい王を立てるということは、ローマからすれば「独立闘争の開始か」ということになります。そんな厄介はユダヤ支配層にとってはごめんです。

しかしイエスは彼らに[言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。]と答えたのでした。民がメシアを「軍事的政治的な解放者」と期待しているのは的外れではあるけれど、「主の名によって来られる方」というのは真実です。そして神の真実を人が覆い隠すことはできないのです。
もし、ためしに群集が黙ったとしたら、間違いなく道ばたの石が「ホサナ!」と叫びだしたことだろうと、筆者は確信しています。そうなったらファリサイ派は石ころに「お前は追放だ」と言ったのだろうかと思うと、この答えにはイエスお得意のユーモアがこめられていたのだろうと思います。

また、ベタニア村からついてきた者たちは、死んだラザロをイエスが生き返らせた(*5)のを目撃していてそれをエルサレムの人たちに証言してまわったりしていました。エルサレムから出てきた群集も、イエスが神の権威を持っているしるし(奇跡)の話しを聞いて見に来ていたのです。もはやファリサイ派の人々は[見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。]となげくしかありませんでした。


*1 ヨハネ福音書のみ、一行は前日にはベタニア村に入って滞在していたと記録している(ヨハネ12章1)。ベタニア村はエルサレムの南東約3km。

*2 列王記二9章で、新しい王が即位した時に、群集は上着を脱いで、王の足元に敷いている。

*3 アラム語の「ホーシーアー、ナー」は「今、救ってください」の意味だったが、ヘブライ語の「ホーシャナー」は新約の時代には元の意味が失われて、神を賛美するときの修飾語のように使われていた。

*4 ヨハネ9章22

*5 ヨハネ福音書11章1-45

*6 以前の日本語訳では「棕櫚(しゅろ)の枝)」となっていて、教会ではこの日曜日を「棕櫚の日曜日(Palm Sunday)」と呼びます。筆者の手もとの英和辞典では、palmには「勝利」の意味があるとなっています。

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