クリスマスページの編集後記

クリスマスおめでとうございます。
・・・と毎年のように挨拶するのですが、クリスマスは本当におめでたいのでしょうか。

子供のころ、たぶん中学生のころだと思いますが、「イエス様は、自分が十字架で死ぬことをいつから知っていたのだろう」という疑問を持っていました。
30歳頃におおやけに人々を教えるようになり弟子たちを集めるようになった時点では、自分が十字架で死ぬことを弟子たちに予告したりしています。
その直前、荒野でサタンの試みにあう前の場面で、イエス様は40日間、断食して祈っています。ここで、十字架にいたるまでの作戦を神様と詰めていたのでしょうか。

今年はクリスマスの期間中、みっつの教会に出席することができました。そしてどの教会でも、礼拝のメッセージで十字架のことが語られたのです。あたりまえといえばあたりまえですね、イエス様はすべての人の身代わりとなって十字架にかかって死ぬために、この世にきたのですから。
「イエス様は、十字架で殺されるために、クリスマスに生まれた」ということに気づいたときというのは、かなりショックでした。そんなクリスマスなんて、全然めでたくないじゃないですか。

けど、じゃあもしクリスマスがなかったとしたら? つまり、キリストであるイエス様が生まれなかったとしたら?
イエス様といういけにえを十字架という祭壇でささげることでしか、人の罪は消せないのです。イエス様が生まれなかったら、人の罪は消されることなく、誰も天国に入れない=誰もが永遠の炎のなかで永遠に焼かれることになっていたのです。
だから、イエス様が生まれたクリスマスは、イエス様ご自身にとってはめでたいことなんて一つもないけれど、でも私たち罪ある人間にとってはこの上なくめでたいことなのです。いえ、人がその罪を消されて神の国に入ることは、結局はイエス様にとってもこの上ない喜びで、やっぱりイエス様にとってもめでたいことなのです。

「クリスマスおめでとうございます」というとき、その「めでたい」にはこれだけの意味があるのです。

2002年クリスマスに。


2001年版の編集後記

当サイト管理人より、クリスマスをお祝い申し上げます。特に今年は(こういう数え方に意味があるとすればですが)21世紀最初のクリスマスです。

1998年夏にこのサイトをスタートして以来、4回目のクリスマスとなりました。毎年少しずつコンテンツを増やし、今年はクリスマス劇を3本アップしています。執筆の契機をくださった市原シャローム教会、そして知恵を与えてくださった主に感謝します。

本ページ作成時点の2001年11月末、イスラム教が神聖にする断食月(ラマダン)にも米軍がアフガニスタン空爆を続行したことから、クリスマスにまた米国でテロが起きるのではないかなどと心配しています。(←この心配は、爆弾靴男が取り押さえられたほかは、とりあえず杞憂だったようです)
聖書に、アブラハムの息子でイサクとイシュマエルという兄弟がいます。アブラハムはイサクに家を継がせるにあたって兄イシュマエルを追放しましたが(創世記21章)、アブラハムが死んだ時にはイサクとイシュマエルがともにアブラハムを埋葬していて(創世記25章9節)、それぞれの母が不仲だった割にこの兄弟は仲が良かったようです。
キリスト教徒はイスラエルの父祖アブラハムの子イサクの霊的子孫(ここでは"宗教上の養子"の意味)であり、アラブはイサクの兄イシュマエルの子孫と言われています。おたがいの父祖アブラハムが従った神の名のもとに、和解が成ることを祈ります。

歴史的には、むしろキリスト教国の側によるイスラム教国への圧迫が溝を深めてきたように思われます。だからといって9月11日のテロを容認はできませんが、有名なクリスマスソング「もろびとこぞりて」の5番でも「平和の君(君主)なる御子(キリスト)を迎え」と歌われていることを、よく考える必要があると思います。いうまでもなく、クリスマス【Chirstmas】とは、キリスト【Christ】のミサ【Misa】を語源として、キリストであるイエスの降臨を記念して祝う時です。

われらが祖国日本が、憲法前文で「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と謳(うた)っているとおり、平和を作り出す者として世界に貢献できますように。

2001年クリスマスに。