聖書研究

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マルコによる福音書6章14~29

バプテスマのヨハネが、領主ヘロデによって殺された記録です。

バプテスマのヨハネの死

バプテスマのヨハネは、のちに来るキリストの先駆者である、と言われます。実際に彼は、キリストではありませんでしたが、キリストを指し示すものでした。
では、ヨハネの死は、聖書においてどのような意味があるのでしょうか。彼の死もキリストを指し示しているのでしょうか。

教会では、イェスの十字架を「受難」と呼びます。しかしヨハネの死は、「災難を受ける」という国語辞書的な意味では受難かもしれませんが、イェスのように誰かの罪を贖うものではなく、ただ一人の人の死です。
イェスの受難は多くの預言者によって預言されてきましたが、ヨハネの受難は預言されていません。彼についてあらかじめ語られていたことはむしろ栄光の言葉です。「彼は主の御前に偉大な人になり、・・・イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」(ルカ1章15-17)

ヨハネは、メシアより先に来て、すべてを元どおりにする者でした(マタイ17:11)。キリストよりも先に駆け抜けた者ですが、しかしヨハネが駆けたのはエリヤの道であり、キリストの道ではありません。彼はキリストが行く道を先に駆けたのではなく、キリストが行く道を整える者でした(マタイ17:11-13、マルコ1:2-8他)
彼は確かにキリストを指し示すものでしたが、キリストの十字架を指し示していたというよりも、キリストそのものを指し示していました。後述しますが、ヨハネの死は十字架だけではなく新約聖書全体を、つまり福音そのものを指し示します。
ヨハネは予表として「メシアはこんな感じ」と示したのではなく、「あれがメシア」と示すものだったのです。

イェスにとっての死の意味

十字架は残酷です。しかし刑として残酷というだけなら、イェスとともに十字架刑に処された強盗たちの死と何も変わりません。
「イェスは無実の罪で」と説明されることがあります。確かにキリストであるイェスは完全に罪のない者でしたが、しかし「ユダヤ人の王」というイェスの罪名は「無実」ではなく真実です。

ただし、イェスの十字架には、二人の強盗を含むすべての「死刑に処された者」とも、ヨハネを含むすべての「殺された者」とも、決定的に違う点があります。
その違いは「どのような死に方だったか」ではなく「死んだ」という点にあります。主の受難とは「十字架にかけられたこと」にあるのではなく、いかなるかたちであれとにかく「死んだ」ということにあるのです。仮に十字架上ではなく布団の上での穏やかな老衰死だったとしても、罪なき御子、神であるキリストが「死ぬ」ということが、キリストの受難なのです。
なぜなら、死とは「罪が支払う報酬」だからです(ローマ6章23)

わたしたち人間の目には、「命あるものは、いつか死ぬ」ということはとても自然なことであるように見えます。
しかし聖書の視点から見るなら、命あるものにとって死とは非常に不自然なことです。創造を終えた神が「よし」と宣言してから、人類がエデンを追放されるまでの間、人が神とともに住んだその時代、死などというものはこの世界のどこにもありませんでした。死すべき命など、どこにもなかったのです。

死とは、人が神に背を向けた結果であり、神の前から追い払われた状態なのです。人が死ぬとは、罪があるとされること、神に反逆したものであるということ、神から切り離されるということなのです。
だからこそイェスは、ゲツセマネであれほど苦しんだのです。自分が三日目によみがえることを、(根拠の無い希望でも不確定な予定でもなく)確定された事実として知っていたイェスが、死を「杯」と呼んで遠ざけたいと願ったとは考えられません。「死ぬこと」をではなく「死が意味すること」を、「罪が支払う報酬」を受けることを、御父から断絶されるということ、御父から見捨てられ、切り離されるということを、遠ざけたいと願ったのです。
詩編22篇の作者にとって「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は「なぜ私が死んでいくままにされるのですか」という意味だったでしょうが、キリストであるイェスにとってはそんな軽い浅い話ではない。まして、辞世の句の代わりに有名な詩編を暗誦したわけでもない。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」とは、文字通りの意味だったのです。御父に捨てられることが「杯」だったのです。

十字架にかけられることが受難という以前に、死ななければならないという時点ですでに受難でした。
だったらなぜ「十字架」だったのかといえば、祭壇に捧げられる小羊となるためであり、「この生贄によって私達の罪が赦される」ということを私たちに悟らせるためです。旧約の成就のためでもあります。しかし、ただそれだけなのです。御父から見捨てられる残酷に比べれば、(強盗たちも経験した)十字架の残酷などどれほどのものでしょうか。目を留めるべきは、「十字架という残酷」などは比較にならない「御父から見捨てられる残酷」を私たちのために受けたイェスの姿です。

ヨハネの死の意味

この、御父から断絶される残酷を私達の代わりにキリストが受けたということが、バプテスマのヨハネが指し示している「イェスの十字架」であり、福音であり、新約なのです。だからこそ、ここでバプテスマのヨハネの死が語られているのです。

「主の道を備えよ、その道をまっすぐにせよ」と呼ばわる「声」は、その道に主が現れる前に必用とされるものです。つまり「主」が登場したときには、「声」は役目を終えます。
ということは、「声」=ヨハネが退場したということは、「声」が備えた道を進むべき「主」が登場したということになります。
ヨハネの死はつまり「メシアが来る」という章が終わったということであり、それは「メシアが来た」という章が始まったということです。「メシアに先駆ける者のしたこと」という章が終わったということであり、それは「メシアがしたこと」という章が始まったということです。
さらに言えば、「律法と預言者」つまり「(旧約)聖書」そのものであったバプテスマのヨハネ(マタイ11:13ほか)の出番が終わったということは、旧約時代が終わったということです。旧約聖書はマラキ書で終わったのではなく、「律法と預言者」であるヨハネの死をもって旧約聖書の最後のページが閉じられたのだと考えることが出来ます。

そうだとすれば、新約時代もここから始まったということになります。この時点では新約聖書は成立していないどころか、どの巻も書き始められていないはずですが。
のちに新約聖書に収められる四福音書のうち三巻までもが、バプテスマのヨハネから書き始められることになります。マタイ福音書だけ例外になりますが、この書は旧約から続く系図で描き始められることになります。四福音書ともいわば旧約の続きとして書き始められるのです。
そしてバプテスマのヨハネが退場しました。ヨハネの死は、ヨハネが整えた道をイェスが進んでいく時代に突入したことを示すものです。ヨハネの死は、十字架へ、さらにその先へと進んでいくイェスを指し示しています。

余談的な断章

ヨハネの「残酷な死」はイェスの「残酷な十字架」の「予表」か

旧約の記録があらかじめキリストを表していた、とする解釈を「予表」「予型」などといいます。たとえば「モーセの青銅の蛇は、十字架の予表であった」「ヨナの物語は、キリストの復活の予表であった」「神がイスラエルをエジプトから救い出した物語は、メシアが信じるものを罪から救い出す予表であった」という具合です。
あるいは、アダム、メルキゼデク、ダビデといった旧約の人物が、キリストの「雛形(プロトタイプ)」であったとする解釈もあります。こうした人物たちもまたキリストに救われるべき罪人ですが、彼らのある側面、ある事跡が、キリストの性格や役割を表していたのだという解釈です。

予表であると解釈されるのは旧約聖書の人物や出来事です。バプテスマのヨハネは新約聖書の人物ですが、イェスがヨハネこそ「律法と預言者」であると、つまり「(旧約)聖書」であると明言しています(マタイ11:13ほか)。

では、旧約聖書そのものと言うべきヨハネが領主ヘロデに殺された出来事は、イェスの十字架の予表であったと解釈できるでしょうか。

少なくとも、次のようにまとめた場合には、ヨハネの死とイェスの十字架はかなり異なる物語であるように見えます。(同じ記録でも人によっては違うまとめ方になると思います。次表はあくまで一個人の視点です。)

民の身代わりとなる
イェスの場合、「多くの人の身代金として自分の命を献げる」ために(マタイ20章28)、また「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む」ために(ヨハネ11章50)
ヨハネの場合、身代わりというニュアンスの記録はありません。
参考までに士師サムソンの場合、ユダ族の身代わりとなりました(士師記15章9-13。サムソンはダン族ですが、イスラエルの有力者として)。
自分の民からの拒絶
イェスは、「自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1章11)
ヨハネは、民に拒絶されたという記録はありません。
サムソンは、ユダ族の手で敵軍に引き渡されています(前掲箇所)。
身内の裏切り
イェスは、弟子のユダに銀貨30枚で売られました。
ヨハネは、裏切りという要素はありません。
サムソンは、愛する女デリラに銀貨1,100枚で売られました(士師記16章)。
世から除かれる
イェスは、死んで墓に葬られました。
ヨハネも、死んで墓に葬られました。
サムソンは、すべての力を失って牢につながれました。
復活
イェスの場合、「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ」(エフェソ1章20)
ヨハネは、該当しそうな記事はありません。
サムソンは、神の力を取り戻して牢から出てきました(士師記16章22-30)。
勝利
イェスの場合、「わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)。また、サタンに対して勝利します(未成就)
ヨハネは、該当しそうな記事はありません。領主ヘロデの追放や死に、ヨハネは関与していません。
サムソンは、ペリシテの領主など大勢を殺しました(前掲箇所)。

このように比較した場合には、予表としてイェスの十字架を指していると解釈するには、ヨハネの死は意味が意味が違いすぎるようです。

そもそも、バプテスマのヨハネの最期は、陰惨ではありますが、本当に残酷だったのでしょうか。

首を刎ねられたのが残酷?
キリシタン禁令の江戸時代には、「鋸挽きの刑」というものがあったそうです。使われるのは竹製のノコギリという、切れ味ゼロなシロモノです。そんなもので、捕らえられてもコロばなかったキリシタンたちは、首を少しずつ少しずつ切られたのだそうです。
一方バプテスマのヨハネは、衛兵つまりプロによって、おそらく一刀のもとに首を刎ねられたことでしょう。苦痛の少ない即死だったと思われます。

権力者のエゴで殺されたのが残酷?
アハブ王とイゼベルによって、ぶどう畑のために殺されたナボトのほうが、よほど残酷な最期でしょう(列王記一21章)。刀で一思いに殺されたヨハネに比べて、ナボトは石打ちです。神にそむかなかったために殺されたヨハネに比べて、ナボトは冒涜者に仕立て上げられて殺されたのです。

ウリヤも、権力者の弱さによって残酷に殺されました。妻の裸体が権力者の目に留まったというだけで、権力者の命令により上官に戦死させられています。妻が権力者に身篭らされたことを知らずにすんだことは、ウリヤにとって不幸中の幸いだったかもしれませんが、読む者にとってはなんという残酷な物語でしょうか。(サムエル記二11章)。
ヨハネの死が、残酷だというのが理由で十字架の予表だとするなら、ヨハネ以上に残酷なウリヤの死も十字架の予表だと解釈されるのでしょうか。その場合、ウリヤを殺した権力者ダビデは領主ヘロデの予表?

ヨハネは無念だっただろうとは思います。彼はイェスに会ったときには確信を持っていましたが、その後に迷いが生じています(ルカ7:18-20)。おそらく、その時代の誰よりも強く「イェスがどうなるのかを見届けたい」と願っていたのではないでしょうか。
弟子たちにとっても残念だったでしょう。弟子たちがヨハネの使いに出ていることなどから、牢といっても弟子たちと自由に接触できた、軟禁のような様子がうかがえます。それにヘロデがヨハネを保護していたこともあり、弟子たちは「自由を得るのは難しいかもしれないが、直ちに殺されるということはないんじゃないか」と感じていたのではないかと想像できます。

マルコ福音書における、バプテスマのヨハネの最期

使徒アンデレはかつては洗礼者ヨハネの弟子で、ヨハネがイェスを「神の小羊」と呼んだときからイエスに従っています(ヨハネ1:35-40)。その前後の記録(同1:41-42)から、アンデレの兄弟シモン・ペトロも洗礼者ヨハネの弟子だったと想像できます。

ところで、あくまで伝承ですが、一方マルコによる福音書は「マルコと呼ばれていたヨハネ」(使徒12:12)が記したと伝えられます。そしてこのマルコはペトロの通訳であり、ペトロがイェスについて語ったことを書き記したのが第二福音書であるとも伝えられています。

以上は推測と伝承にすぎませんが、もしそのとおりであるなら、(アンデレと)ペトロにとって、バプテスマのヨハネの死は「かつての師の最期」です。イェスの十字架はペトロたちにとっては「またも愛する師を殺された」という悲しみであり、その喪失感は他の弟子たち以上だったことでしょう。だとすればイェスがよみがえったときの喜びも他の弟子たち以上だったのではないかと。

しかしヨハネは失われたままでした。そうした背景のもとで、ペトロはマルコに福音の物語を語ったのです。
これは、聖書を読むときに、福音書記者の背景をどれくらい考えることが許されるのか、あるいは許されないのか、ということになりますが。

領主ヘロデの動機

ヘロデが洗礼者ヨハネを殺した動機について、マルコ福音書はただ『誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。』と記していまいす。ここからは「自分の見栄のためにヨハネを殺させた」と読むこともできますが、領主ヘロデはそこまで愚かだったのでしょうか。そのような愚か者を、ローマ帝国は属州の領主に据えたのでしょうか。

以下は解釈というよりも思考実験に近くなりますが。
ヨハネは民衆の支持を受けていたはずです。指導者たちはヨハネを信じていませんでしたが(マタイ21章25)、民衆は「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から」彼のもとに集まり(マタイ3章5)、ファリサイ派やサドカイ派までもが彼からバプテスマを受けようとし(同7節)、兵士もヨハネに教えを請うています(ルカ3章14)。イェス登場後はかつてほどの勢いではなくなっていたとしても、民衆の尊敬を失った様子はあまりありません。

そのようなヨハネを殺すことは、ヘロデにとって政治的にもリスクの大きいことだったはずです。ローマにかかわるすべての権力者にとって最も重要なことは、住民に反抗させないことだからです。
たとえば総督ピラトにとっても、彼の仕事は公正な裁判官であることではなく、(法を曲げてでも)暴動を起こさせないことだったはずです。法的な正義に徹した結果として暴動が発生し、ローマ帝国の駐屯軍の出動や本国からの派兵が必要な事態になったりしたら、むしろ総督として問題になるはずです。そして祭司長たちに扇動されていた民衆が暴発した可能性はきわめて高いでしょう。
領主ヘロデも同様だったのではないでしょうか。彼にとって本当に問題となるのは、「たかが一少女との誓いを破ること」と「ローマ帝国が権力の座に据えた者が住民の反感を買うこと」のどちらでしょうか。
「国の半分でも」と言っている時点で、座興であることは明らかです。そこにつけ込もうとした少女を「揚げ足をとりおって、興醒めではないか。図に乗るな!」と切り捨てたとしても、誰も(ヘロディア以外は)文句はなかったのではないでしょうか。

そう考えると、ヘロデはむしろ「自分の立場を危うくすることもいとわず、少女との誓いを果たすことを選んだ誠実な者」という見方もできてしまうのです。

以上はあくまで思考実験です。ヘロデはおそらく、ローマ帝国のことよりもヘロディアのことを考えてしまったのでしょう。ヨハネの最後に関する件でヘロディアは悪女の印象がありますが、しかしヘロデは、カリグラことガイウス帝によってヒスパニアに流刑にされそこで没するまで、ヘロディアと添い遂げるのです。
ただ、ヘロデをまるで時代劇のステレオタイプな悪代官でしかないと決めつけて読むのも問題です。「国の半分でも」を「領主の分を超えるおろかさ」などと評するほうが愚かしいことです。

バプテスマのヨハネの物語について、ルカ福音書はかなり違う様子を記録しています。ルカ9章では、イェスに関して「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言っているのはヘロデではなくほかの人々であり、ヘロデはそれを聞いて「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は」と戸惑い、そして「イエスに会ってみたいと思った」のです。実際のちにイェスに会ったときには、ヘロデは「非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである」と記録されています(ルカ23:8)。

イェスが登場したときヘロデが戸惑ったということだけは、共観福音書に共通しています。市井に知られていたことかもしれません。しかしわかっているのはそれだけで、なぜ、どのように戸惑ったのかは記録されていません。少なくともヘロデが「ヨハネは殺したはずなのに」と恐れた、という描写はマルコも含めて聖書には見当たらないようです。

喜ばしい死

仮にも神の民の地で領主という立場にある者に向かって、神の義である律法を突きつけ続けた。そのために避けられなかった死は、ヨハネ自身にとって無残な敗北でしょうか。むしろ栄光ある勝利だったのではないでしょうか。
命を手放すことよりも、神の正義を手放すことを惜しんだゆえの死です。人を恐れて生き延びることよりも、召命に斃れることを選んだものです。
ヨハネにとってこの死は、ことによると喜びでもあったかもしれません。のちに使徒たちも、権力者の弱さのゆえに危害を加えられたときに「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」ました。(使徒5:40-41)

反戦という価値観は大切です。しかし、特攻隊をはじめとする戦死者たちを称揚したくないがために、「死ぬことに意味がある」という考えを否定せずにいられない人たちがいます。
そういう人たちにとっては、殺されたヨハネの姿は悲しむべき敗者の姿でしかないでしょう。ただ聖書をそういう読み方をする人たちにとって、次のイェスの言葉は聖書中でももっとも理解不可能なものだろうと思います。
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。」(マタイ5:10-11)

「命どぅ宝」で聖書を読むなら、ヨハネの死も、そしてイェスの十字架も、宝を奪われた敗北の姿でしかありません。となれば、敗北の「十字架」を語ることなどできず、勝利の「復活」しか語ることはできなくなるでしょう。
しかし、「世の罪を取り除く神の小羊」として屠られたイェスこそが福音であり、私たちは「主の死を告げ知らせる」のです。(コリント一11:26)

キリストの福音は、「命どぅ宝」ではありません。「命以上の宝」を目指すものです。

(…といったことをネット上で発言していたら、クリスチャンを名乗る人たちから「現在も迫害のために殺される者もあるのに、なんとも思わないのか」などと妙なことを言われたことがあります。
問うべきは「私がどう思うか」ではなく「聖書になんと書いてあるか」「イェスはなんと言っているか」だという、クリスチャンにとって当たり前のはずのことが当たり前でないんですね。そりゃ私が教祖なら「迫害される人はかわいそうです。そんなことがあってはいけません」と言うかもしれませんが、イェスは「迫害される人はかわいそうである」ではなく「幸いである」と言っています。
クリスチャンの歴史は、聖書を守って斃れていった者たちの歴史であると同時に、聖書を都合よく読んできた者たちの歴史でもあります。石地に蒔かれた種の話のように「御言葉のために艱難や迫害が起こると…」(マルコ4:17)ということにならないためには、どちらの歴史を継承するべきでしょうか。)

蛇足的な用語解説

ヘロデ王

マルコ福音書は「王」としているが、正確には領主。父「ヘロデ大王」はローマによって王に据えられましたが、ヘロデはガリラヤ地方のみの分封でした。英訳(新欽定訳)では「Herod the tetrarch」と訳していますが、tetrarchとは「四分の一の領主」あるいは「四頭政治の一人」の意味になります。

ヘロディアの娘

マルコ福音書で「少女」とだけ呼ばれているのは、サロメという名であったと伝えられます。マルコ15章40などに登場するサロメと同一人物かはわかりませんが。

蛇足のさらに蛇足。サロメの舞がヘロデや列座の男たちを喜ばせたという記録から、扇情的な舞だったとする二次作品が生み出されています。
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」は、ヨカナーン(バプテスマのヨハネ)に心を奪われたサロメが、自分になびかないヨカナーンの首をみずから求め、最期はエロド(ヘロデ)に殺されるという筋立てです。
この「サロメ」をオペラにしたのがリヒャルト・シュトラウス。オペラ中の一曲「七つのヴェールの踊り」は吹奏楽で定番となっていますが、サロメが次々と衣を脱ぎ捨てながら舞ったというモチーフで、聖書を題材にしながらエロティックだというので発表当時は多くの都市で上演禁止になったとか。
(聖書ネタの音楽としては、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」も吹奏楽団で定番です)


テキスト
日本バプテスト連盟「聖書教育」2014年1,2,3月号
テキストのテーマ
イエスという名を聞くたびに
初稿
千葉バプテスト教会「祈祷会」発題。2014年2月26日。

ご意見等はBLOGへ。

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作成:2014年02月28日
2014年3月10日

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