聖書研究
ルカ福音書1章39~56

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(2003年11月30日の日記より。日本キリスト教団・埼玉和光教会の礼拝から展開。)

日曜なのに出勤ということで、午前中は職場近くの埼玉和光教会(日本キリスト教団)の礼拝に出席。3月から水曜夜の聖研祈祷会にはお邪魔しているのだけど、日曜礼拝には初めての出席。今日から待降節だけど、教会暦は待降節から始まるので、一年の最初の礼拝に埼玉和光教会に出席したことになる。
メッセンジャーは所沢みくに教会の櫻井牧師(講壇交換のため三浦師は不在)

以下は例によって、聞いたことを含めての、坂井の理解と感想。

ヨセフがマリアの処女懐胎を知ったのは、聖霊によってみごもったのが明らかになったとき、とマタイ福音書にある。ということは、天使から受胎告知を受けたマリアは、まだヨセフに話すこともできず、自分同様に「ありえないはずの妊娠」を経験しているというエリサベツのもとへとにかく急いだということになる。妊娠という、しょせん男には理解しきれない経験は、同性としか分かち合えない(しかも、夫に覚えがないのに妊娠しましたなんてことを言ったら、姦淫は死刑という社会だ)。まして聖霊によってそれが成されたという経験は、同じ経験をした者とでなければ話せない。だからマリアは(天使の言葉をうたがったのではないけれど)一刻も早くエリサベトに起きたことを確かめたかったのではないかということだ。

マリアの来訪を受けて、エリサベトの胎内で、やがてキリストの先駆けとなる洗礼者ヨハネとして生まれる胎児が踊ったと記録されている。
うちの奥さんがはじめて妊娠したときのことを思い出した。奥さんが「蹴ってるよ」というのでおなかを見ると、確かにポコポコと振動している。手を当てると、確かにポコポコと蹴ってくる。外からさわっただけの私でさえ、ああ確かにここに命が生きているんだなあと思ったのだから、妊娠している当人の思いはどれほどだったろう。まして、マリアのあいさつを聞いたとたんに胎児が踊ったのを感じたエリサベトの思いは。
(このときは胎内で踊ったくせに、約30年後にヨルダン川でイエスにあった時のヨハネは、恐れ入ってるし感動もしているようだけど、喜びという感情はあまり伝わってこないような。本当は躍り上がったんじゃないかなぁ)

ルカは、聖霊の働きを強調して福音書を書いているのだそうだ。イエスがうまれたあとの、シメオンやアンナについても、聖霊の導きによる言動としている。
櫻井牧師はエルサレムに3回も行ったそうだが(うらやましい)、聖墳墓教会の、ゴルゴタの丘と呼ばれているところは、ギリシャ正教のエリアとカトリックのエリアに分割されているそうだ。そしてギリシャ正教のエリアにはマリア像があるのだが、その胸は剣がつらぬいているのだそうだ(私が行ったときは見逃した)。言うまでもなく、アンナの預言にもとづいたものだろう。

ところで今日の説教の枕話し。
「師走」というのは、クリスマスの準備に忙しくて牧り回るから?

(最近、水曜夜の聖研祈祷会で会えなくなっていた人たちと今日会えたのは楽しかった。礼拝には初来ということで、お昼とコーヒーをごちそうになりました。
ただ、いただいた月報に、坂井の聖研祈祷会での発言のことが書かれていたのは赤面したけど。)

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作成:2003年11月30日

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