聖書研究
ヨハネ福音書17章1~19

menu

聖書研究

1.聖書箇所の概観

17章は「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。」のあと章の最後までがひとつのカギ括弧で囲まれています。「大祭司の祈り」とも呼ばれるこの箇所は、四福音書に記録されている主イエスの祈りのうちでもっとも長いものです。構成としては次のようになっています。

(このうち1~19が今回の聖書範囲です)

1節の「イエスはこれらのことを話してから」は、13章から16章までを指します。いわゆる洗足木曜、最後の晩餐の夜、告別説教のあとで、17章の祈りを御父にささげているのです。冒頭に「父よ、時が来ました。」とあるとおり、この直後に十字架(19章)を迎えるという緊迫した状況での祈りです。[→蛇足(1)]

2.祈りによる伝道

そもそも私たちは、なぜ伝道するのでしょうか。

聖書教育誌が言うとおり、「イエス・キリストが伝道されたので」という理由もあるでしょう。[→参考(1)]神であるキリストは私たちの手本であり、この手本に私たちは倣うべきです。[→参考(2)]
キリストが「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と命じたからという理由もあるでしょう。(マルコ16章15)
これらはキリストに由来する厳粛な理由です。しかし私たちは「そうするようにと言われたから、そうする」だけなのでしょうか。

もう一つ、「私たちが伝えられたから」という理由もあると思います。
私たちは、自分で神を、キリストを、見つけたのでしょうか。誰かから聞いたはずです。エフェソ4章21には、私たちがキリストをどのように学んだかについて「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。」とあります。

ところで、私たちにキリストを聞かせてくれた誰かは、言葉で伝えてくれたその何倍も祈ってくれていたのではないでしょうか。中には、言葉で直接伝道はしなくてもずっと祈ってくれていたという人もいるかもしれません。
聖書教育誌は「伝道は祈りに終始します。これは当然ですが、実際には見過ごされ、おざなりにされていることが多いのです」と指摘しています。確かにこういう面もあるかもしれません。けれど、言葉による伝道は賜物や経験や技術が必要ですが、祈りによる伝道に必要なものはただ祈りだけです。言葉での伝道は「私にはとてもできません」という人もいるかもしれませんが、祈ることは、すでに伝道されてて信じる者とされた人すべてにできる伝道です。

誰に誘われたわけでなく自分で教会に来た人や、誰にすすめられたわけでなく自分で聖書を開いた人もいるでしょう。しかしそこに教会が建てられたのは、やはり「誰かからキリストを伝えられた人」が建てたからです。そこに聖書があるのも、「誰かからキリストを伝えられた人」がこれを翻訳し印刷したからだし、その前には何世代にもわたって誰かが書写し続けたからです。そうやって、キリストからだけでも約2000年、最初に神がご自身をアブラハムに伝えてからならさらに約2000年とも言われる長い間、誰かが伝えてきてくれたからです。
だから、私たちも伝えるのではないでしょうか。
何十代、何百年も続く伝統の技も、親や先代社長から受け継いでまだ2代目という商売も、人は「受け継いだもの」に対して「これを自分のところで止めてはいけない、自分の時代でとぎれさせてはいけない。」と思うものなのではないかという気がします(中には、そう思いつつも自分は別の道を行くという人もあるかもしれませんが)。
福音も、「自分が知ったこのすばらしいものを、どうにかして他の人にも知ってほしい」という思いで伝えられてきたのです。そのすばらしさを、伝えられたときに知ってしまったなら、「伝えるべき」「伝えなければならない」を超えて「伝えずにはいられない」になっていくのではないかと思います。

3.残される弟子のために

【聖書教育誌より引用】イエスは、それまでの神との関係を弟子たちにも分け与えました。イエス自らが、神から託されたメッセージを弟子たちに手渡しました。その結果、弟子たちは、イエスが真に神ご自身から遣わされた者であると知ることになったと言えるでしょう。

6~19節は、イエスと弟子たちの関係のクライマックスであるだけでなく、イエスが世にもたらしたもののクライマックスでもあると言えます。「イエスとは何者か」「なぜイエスを信じるのか」という問いに対して、この箇所だけで証しすることができるのではないでしょうか。

【聖書教育誌より引用】弟子たちは、…これまでは、この世のただ中でイエスと共にありましたが、いまや誰も弟子たちを慰める者はなく、先に立つ導き手とより頼んだ方が去っていかれるのです。

「弟子たちを慰める者」については、言うまでもなくイエスが去ったあとは聖霊が与えられることをイエス自身が予告していました。しかし聖霊は、復活の主が天に帰るのと入れ替わりですぐに来られたのではありませんでした。[→蛇足(2)]
この間の弟子たちは、聖書教育誌がいうとおり「世に出て行くことは困難」だったでしょう。このとき彼らは、まさにこの時のイエスの祈りを聞かれた御父によって支えられたのではないかと思われます。

4.福音との出会い

【聖書教育誌より引用】私たちの人生を振り返ると、どんなに自分が支えられてきたかが分かるでしょう。家族、友人、知人、仕事上の同僚等々に支えられています。では、祈りにおいて支えられていると思ったことはありますか。あるいは励ましの言葉や支援はどうでしょうか。

個人的なことですが、私自身の場合、クリスチャン家庭で父が牧師という環境に生まれ育ちましたが、信仰はどうかとか、そろそろバプテスマはどうだとかいうことは一度も言われたことはありませんでした。しかし大学一年(19歳)のときに思いが与えられてバプテスマを受けたとき、式のあと受洗者の紹介のときに牧師(父)から「やっと受けてくれました」と言われたときに、「ああ、口に出して言わなかった分、ずっと祈ってくれていたんだな」と気づきました。

4世紀、北アフリカにモニカというクリスチャン婦人がいました。夫には暴力と浮気に悩まされ、息子は10代で同棲相手とのあいだに子供ができるような放縦な生活をしていました。
モニカは夫と息子のために長年にわたって祈り続けました。その結果、夫は死ぬ前年に回心しました。息子もモニカの死の直前にバプテスマに導かれると、そののち聖書を深く研究する者となりました。[→蛇足(3)]
彼のその聖書研究の成果は、21世紀の現代でも参考にされています。夫と、息子アウグスティヌスとが救われたのはもちろん主のわざですが、モニカの祈りの伝道があってこそ聖霊が働いてくださったのではないでしょうか。

参考と蛇足

参考(1) 今回のテーマ

聖書教育誌 2008年1・2・3月号 「今号のテーマと流れ」より
イエス・キリストが伝道されたので、私たちも伝道します。十字架につけられた方の証人とされた者の旅路には困難が伴いますが、なお喜んで働くのです。受難週、イースターに合わせて、引き渡される夜にイエスが弟子たちのためにささげられた祈り、復活された方との喜びの出会い、そして主による派遣をヨハネ福音書から学び、新たな気持ちですべての人にキリストの和解の恵みを伝えていきましょう。
聖書教育誌 2008年1・2・3月号 「概論」より
神との交わりが深まり、信仰の分かち合いが自分の生き方を定める時、伝道は私たちが何を「するか」よりも、だれに「なるか」ということになってゆきます。

参考(2) 神であるキリストに倣う

わたし(イエス)があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(ヨハネ福音書13章15)

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたし(イエス)があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ福音書13章34)

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。(エフェソ5章1)

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。(エフェソ5章2)

造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。(コロサイ3章10)

第一コリント11章1、第一テサロニケ1章6なども参照。

蛇足(1) 「大祭司の祈り」の緊迫感

聖書教育誌が「ヨハネのイエスについての体験と考え方が、この祈りにどう反映されているかに立ち入ることはしませんが」としている点、ひとつだけ掘り下げてみたいと思います。

四福音書の中では、ヨハネ福音書が最後に成立したといわれています。共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカ間ほどの共通性がヨハネとの間にはそれほどは見られないことは、推測の域を出ないとはいえおそらく、ヨハネはマタイ、マルコ、ルカを参考にしつつ、どうしてもはずせないこと以外は意識的に重複を避けたのではないかとも思えます。(ヨハネ福音書21:25も参照)

それを踏まえて十字架直前の主イエスの記録を見てみると、マタイ、マルコ、ルカともに記録している「ゲツセマネの祈り」をヨハネだけは記録せず、その代わりであるかのように、17章全体にもわたる長い「大祭司の祈り」を記録しているのです。ヨハネは、主の「ゲツセマネの祈り」を知らなかったのでしょうか。そうでないなら、なぜあえてそれを記さずに「大祭司の祈り」を記したのでしょうか。
ゲツセマネで眠りこけていた当事者の一人として恥ずかしかったのでしょうか。もしかしたらそうかもしれませんがここは、「ゲツセマネの祈り」における主の苦しみに匹敵するほど「大祭司の祈り」において主は必死だったのだ、とヨハネは考えたのだろうと思いたいです。

蛇足(2) キリストから聖霊まで

聖霊が弟子たちに降ったのは五旬祭(ペンテコステ)の日でしたが、五旬祭とは「50日目の祭」の意味ですが、これは過越し祭から数えています。

一方、イエスは過越し祭の期間中に捕らえられて十字架につけられ、死んで三日目に復活したあと40日に渡って弟子たちを教えました。つまり十字架から43日目に天に上げられています。
イエスの十字架が過越し祭の期間のいつであったかは、ヨハネ福音書と他の三福音書とで記述が微妙に異なるのですが、いずれにしてもイエスの昇天から聖霊降臨までは約1週間の間があったことになります。

受難週の金曜にイエスが十字架で死んでから日曜に復活するまでの間にあたる土曜日は「歴史上もっとも暗い土曜日」とも言われます。しかし弟子たちにとっては、「救い主であるキリスト」はすでに去り、「助け主である聖霊」はまだ来られないというこの約1週間は、やはり暗い1週間だったのではないでしょうか。頼りは「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。」という主の言葉けです。
しかしこの主の言葉のおかげで、「暗い土曜日」とは大きく違って、弟子たちには「たとえ今どんなに寄る辺なくとも、その先には大きな希望が確実にある」という確信のもとで彼らは支えあえたのではないでしょうか。

蛇足(3) アウグスティヌス

アウグスティヌスは古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者であり、教父と呼ばれ、西洋思想史においては現在もラテン語圏で最大の影響力を持つ理論家とされています。プロテスタントにおいても、宗教改革の指導者の一人カルヴァンに多くの影響を与えました。

彼は北アフリカで生まれ、17、8歳の頃に一人の女性と同棲し、息子アデオダトゥスが生まれています。その後ミラノに渡って修辞学の教師となり、同棲相手と別れますが、内面では「強すぎる性欲」に対して悩み続け、23歳の時に禁欲を説くマニ教に帰依しています。のちにプラトン派の哲学によってマニ教と決別しますが、哲学によっても救われず苦しんでいたところ、31歳の時に母モニカに連れられてミラノ司教アンブロシウスの説教を聞きに行き、心を打たれました。
33歳の時、祈っている時に隣家から聞こえた「取って読め!」との声を、神からの「聖書を開いて最初に見える言葉を読め」という命令と受け止め、ローマ13:14によって平安を得ます。この次第を母に伝えてともに主を賛美すると、バプテスマの準備を始め、翌年の復活祭に息子アデオダトゥスとともにアンブロシウスからバプテスマを授けられました。
この時、アデオダトゥスはすでに15歳。モニカの祈りが聞かれるまで、少なくとも15年かかったことになります。

上へ

作成:2008年3月24日

布忠.com