聖書研究
ヨハネ黙示録13章1~10

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信仰の迫害に対して、キリスト者のあるべき姿とは

ダニエル書6章で、王以外の神に礼拝すれば獅子の洞窟に投げ込むとの法が立てられたとき、ダニエルはそれを知らなかったのだろうか。迫害者たちにとってはダニエルこそターゲットなのだから、彼に知られないように工作しようとしなかったとは考えにくいが、そのことは聖書に書かれていない。一方、ダニエルがもっとも地位の高い三人のうちの一人であったことは聖書が証言している。おそらくダニエルは、法案の段階で知りうる立場にいたであろう。だとしたらなぜ戦わなかったのだろうか。
理由はわからない。ただ、この1件より前に(3章で)、ダニエルの友人であるシャドラクたち3人が炉の中で守られたことと、彼らが「たとえ守られなくても神に従う」という信仰を持っていたことから想像するなら、「自分がこの法と戦うこと」をダニエルは是とせず、この法の中でも神が守られると信頼したのではないだろうか。もちろんこれは推測であり、事実としてわかっていることは、ダニエルはこの迫害法に対して無抵抗だったということだけである。

エステルは、自分の地位によって、神の民に対する攻撃の計画と戦った。しかしこれはヨシュアや士師たちが外敵と戦ったのと同じ、神の民に対する軍事的な侵略に対する抵抗であって、信仰に対する迫害ではない。
聖書は、軍事的侵略に対して戦う例はあるが(それもイスラエルがではなく神が戦うのであるが)、信仰に対する迫害については忍耐だけを求めている。主イエスも、迫害を最後まで耐え忍ぶ者の幸いは宣言しているが、迫害に抵抗し予防しろというすすめは見当たらない。

迫害は神が許される

ヨブ記2:6-7
主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。

ヨハネ黙示録13:5
獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。

そもそも、迫害の時代は再臨の先触れである。(艱難前掲挙説は、主イエス自身の言葉によって否定される)
であれば、迫害に抵抗し、あるいは迫害を予防することは、再臨を拒否あるいは再臨を遅らせることである。

-----2007年12月19日追記-----
私たちが迫害に抵抗することで再臨を拒否し、あるいは迫害を予防することで再臨を遅らせることは、サタンがもっとも望むところである。
サタンは大いに迫害を起こし、私たちがつまづくか、あるいは再臨を拒否することを狙っているのではないだろうか。であればなおさら、私たちは迫害に対して、耐え忍ぶ以外のことをするべきではないのだろう。
(もちろんこれは、黙していろという意味ではない。アラブ諸国や中国あるいはミラノ勅令以前のローマ帝国を見ると、迫害下でこそ熱く伝道され実を結んでいる。)

元号について

【聖書教育】

教会やクリスチャンは、天皇が歴史や時間さえも支配するという考え方にもとづいた『昭和』や『平成』といった元号は使用せず…

上記の聖書教育の見解は、歪曲された歴史観である。

「大化」から「平成」までで247の元号があるが、天皇一代の間は元号を変更しないようになったのは明治以降、明治、大正、昭和、平成の4つだけである。
大化の改新(西暦645年)から西暦2006年現在までの1360年で元号は247個、平均すれば約5年半に1回のペースで改元されている。
この間、天皇は大化元年当時の第36代孝徳天皇から第125代今上天皇までで90人であり、平均すれば1代で約2.8回もの改元が行われている。
これらの歴史的事実を、聖書教育は無視している。

「天皇が歴史や時間さえも支配する」とは、明治以降の、明治維新を正当化するために天皇を利用した人々のみに注目したものであり、現在では天皇が歴史や時間さえも支配すると思っているのはキリスト教だけである。
少なくとも昭和天皇は終戦以前から自分は神ではないと発言しておられたことが周囲から証言されているし、天皇機関説さえ認めておられた。国家神道下での捻じ曲げられた時代を除けば、天皇が神とされたことはない。まして歴史や時間を支配する位置にはいない。

なお、一世一元は明治天皇の勅によるものであったが、敗戦後に無効にされたあと、昭和54年に元号法として、元号は皇位の継承があった場合にのみ改めるとなっている。これは民主国家において民主的に国民が選んだ代表により民主的に決定された法である。

-----2007年12月19日追記-----
天皇は神であるなどということは、神道の学者も言っていない。天皇が大嘗祭によって神になるという説は、民俗学(宗教学ではない)の折口信夫が提唱したもので、他に天皇の神性を言うものはすべて折口説を根拠にしているが、折口自身は戦後に自説を捨てているのである。キリスト教が「天皇という神を打倒しなければ」などというのは、提唱者さえが捨てた説、しかも神道の専門家でもなく宗教学者でもない折口説(あるいは折口説の引用者)だけを見て言っていることなのである。
なお、人間宣言よりもずいぶん前となる昭和12年には、文部省が「現人神とは、いわゆる絶対神とか全知全能の神といういみの神ではなく、限りなく尊く畏きお方(つまり人)を示す」という趣旨の通達を出している。

西暦について

【聖書教育】

教会やクリスチャンは…キリストが歴史の中心であるという信仰告白をこめて、西暦を用います。

西暦はキリスト紀元と言いながら、現在では主の降誕は遅くても紀元前4年と言われている。ヘロデ大王の没年が紀元前4年であることが、現在はわかっているためである。
キリスト紀元を考案したディオニューシウス・エクシグウスは、ローマ建国紀元754年を主の降誕の年であると割り出したわけだが、彼はヘロデの没年を知らずに間違えたのであろう。

しかし、主の初臨は神のご計画の中で定められたときに起きた重要事項である。
にも関わらず、西暦は、紀元前4年かそれ以前に実現された神の計画を、紀元1年に起きたことであると歪曲しているのである。神が実現された歴史的事実を改変しているのである。これほどの歴史の歪曲捏造があるだろうか。

このような西暦を、私たちクリスチャンは、クリスチャンだからという理由で使いつづけるべきなのだろうか。「実質的に世界共通の便利なものさしだから」ということでなら異論はないが、「キリストが歴史の中心であるという信仰告白をこめて」というなら、神の歴史を歪曲した現行の西暦ではなく、紀元前4年を元年とするカレンダーを作るべきである。もちろん「紀元前4年ではなく紀元前7年だ」という具合に基準が変更されるつど、元年を変更しなければならないだろう。

なお、「日本だけ元号を使うのは偏狭なナショナリズム」という声もあるが、西暦以外の暦を持つのは日本だけではない。
そもそも「紀元○年」というのは正確には「キリスト紀元○年」であって、イスラムにはヒジュラ紀元という暦法がある。韓国では今年は壇君紀元4330年、北朝鮮では今年は主体紀元95年。ミャンマーなどの仏教国には仏暦があり、タイにはタイ仏暦がある。
イスラエルの新聞には、共通暦とユダヤ暦とイスラム暦(ヒジュラ暦)の三種類の日付が記載されている。(「共通歴」とは、キリスト教国以外における「西暦」の呼び名である。西洋では「西暦」などという呼び方はしないことも言うまでもない。)
アメリカでさえ、西暦とは別に、合衆国建国第○年という暦法がある。
もともと、西暦が世界で広く使われているのは、白人諸国の多くは同じローマ帝国というルーツを共有しているからであろう。アジア、アフリカ、南米に関しては、西暦を使っている国の植民地だった歴史があるためであり、つまりは「キリストの名において侵略と搾取が行われた証拠」である。それでも、クリスチャンだからという理由で西暦を使うべきだろうか。

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作成:2006年2月5日
更新:2007年12月19日

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