神の導きとは?

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アルファコース第7科。(2004年11月24日の日記より)

堺福音教会東京チャペルで、アルファコースに参加。今日のトークのテーマは「神の導きとは?」
「人は決断をするときに、(なんらかの)導きを必要とする。(上司や先輩の助言という場合もあるだろうし、自分自身の経験とか、マーケットなどのデータということもあるかもしれない)
クリスチャンは、神に導かれる。キリストの羊は、羊飼いであるキリストの声を聞き分け、従って行く。(ということは「神の声が聞こえない」としたらそれは「キリストの羊ではない」ということなのだろうか)」
などと、今回もかなり考え込みながらニッキーのトークを聞いていく。

「それ」が「神の導き」なのかどうか、どうしたらわかるのだろう。
ニッキーは、聖書に照らし合わせること、常識的であることなど、5つのポイントを提示した。けどどのポイントも、「自分(人間)の思いを『神の導きだ』あるいは『神の導きではない』にすりかえる」ことができてしまうわけで。

トークのあとの意見交換でも、「神の導きって、わからないよねー」がほとんど。
面白かったのは、5人のグループのうち坂井を含む3人がクリスチャン家庭育ちで、どうやら程度の差はあっても律法主義(するべき・するべからず的な信仰)っぽい傾向があるか、そうだった時期があるということ。もしかして『キリスト教』が教育や躾に使われると、そういうことになるのかもしれない?
それはさておき。「信じる者には神が万事を益とする」という神の約束が信じるに値するなら、(謀殺や偽証など「明確に聖書でいましめられていること」以外は)どんな決断をしても大丈夫なはず、という意見も出された。それは正しいと思う。なんだ、自己満足野郎でもいいじゃないか。

けど、失敗を恐れる心への回答にはならないよな。神の約束は「たとえ失敗しても、その失敗をも益とされる」ということであって、「失敗しない」という保証ではないのだから。で、私などはかなり極端に失敗恐怖症で、「失敗するくらいなら、最初からやらないほうが断然よい」が信条という人間だ。
やっぱり神の声が聞こえたい。その方が楽だし。

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作成:2004年11月24日

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