確かに信じるとは?

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(アルファコース第4課。(2004年10月27日の日記より))

久しぶりに、境福音教会東京チャペルのアルファコースに参加した。勤務地が木場だったのは昨年春くらいまでだったと思うから、1年以上ぶりだ。
今日のアルファコースのテーマは「確かに信じるとは」。ただ、テーマの本筋ではないところが自分には印象に残った。というか、少し楽になった。

まず、第2コリント5章17の、キリストにある者は新しくされているという言葉。「なる」ではなく「される」であるということ。そしてガラテヤ5:22-23の「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」という言葉。
自分は赤ん坊の頃から教会に行って、教会の大人たちからどう思われるかを基準に生きてきて、自分にとって自然体とは「こうあらねばならない」式であることという人間だ。「クリスチャンになったからには、新しくならなければならない」「自分は愛があって、喜んでいて、平和で、寛容で(中略)でなければならない」と。当然「他人からどう見られるか」が基準だから、「内面が真に愛があるかではなく、愛があるように見えればいい」としかならない。やかましいシンバルってやつだ。
けど、それらは自分が結ぶ実ではなく、聖霊が結ぶ実なんだという。「俺が俺を新しくする」ではなく「神が俺を新しくする」のだという。だったら、無理しなくていいんじゃないか?

とは言っても、無理してるつもりでなく無理してるから問題なんだよな。自分を神様にゆだねるとか明け渡すとかってのは、そのほうが楽だとわかっていても容易じゃない。ま、ぼちぼち。

アルファコースってのは、キリスト教初心者(無心論者や他宗教の人、キリスト教に反駁する人も含む)向けの入門コースで、ビデオとテキストが中心なのだけど、かなりよくできてる。
坂井は学生の頃に、とあるサークル(よく見れば有名な某宗教団体の拠点だってバレバレ)に出入りして、教理を教える(っつーか洗脳する)ためのビデオを見たりしたけど、彼らのビデオはありゃ物事を論理的に考えられる人間だったらひっかかりようがないヒドイシロモノだった(カルト宗教から子供を守るためにも、学校でディベートの授業をやるべきだ)。ニッキーのビデオは、少なくとも坂井レベルでは反駁するのが難しいくらいにはできてる。
(ちなみにその某宗教団体の拠点は、「ぜひ合宿に参加しないか」と誘われるようになったので逃げました。こちとら素人ですから、何日もの寝食を通して洗脳されたらさすがにヤバイと思って)

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作成:2004年10月27日

布忠.com