聖書研究
使徒言行録8章26~40

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フィリポ

この箇所のフィリポは、12弟子のフィリポとは別人。エルサレム教会で、使徒たちが「祈りと御言葉の奉仕」に専念するために、使徒とは別に立てられた7人のひとり(使徒6章)。
ステファノ殉教後にエルサレムの教会に対して大迫害が起き「使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」とき、しかしこの人たちはただ逃げただけでなく「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」のであるが、フィリポもサマリアに下ってキリストをのべ伝え、しるしを行い、多くの人からけがれた霊を追い出し、多くの人を癒し、バプテスマを授けた。

使途6章だけを見ると、使徒たちが牧師、「7人」は執事(役員)であるかのような印象を受けるが、肩書き(?)としてはフィリポは福音宣教者である(使徒21章8。新改訳等では「伝道者」)。この点については後述する。
4人の娘がいて、彼女たちは預言者であった(使徒21章9)。ただし妻についての記述は見当たらない。

宦官

旧約聖書で宦官と訳されているヘブライ語「サーリース」は、アッカド語由来の外来語で、元来は「信頼できる腹心の廷臣」を意味した。これに「去勢された者」という意味が加わったのは、後宮で働かせるために去勢した男をサーリースとするようになってからである。だからサーリースが常に宦官とイコールなのではない。イゼベルのそばにいたサーリース(列王二9章32)は後宮にいる去勢した宦官であろうが、創世記37章96や39章1ではサーリースは「宮廷の役人」と訳されている。列王二23章11は口語訳では侍従である。
本章に登場するエチオピアの宦官の場合、女王に仕える高官であるから、去勢された者であったと考えるのが自然であろう。とするとユダヤ人としては、異邦人であることに加えて申命記23章2の[睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない]と書かれていることも頭にあることになる。聖書教育が次のように書いているのもそうした考えによるものであろう。

異邦であるエチオピア人、しかも宦官であるというのは、ユダヤの律法に照らして二重にうとんじられるべき存在として理解されました。
二人の出会いは、ユダヤ教の枠や体制からはずれたところで起りました。使徒言行録は、福音がそのような常識や体制を超えて広がっていくのを聖霊のわざとして描きます。それは、各自に根付く差別的な枠から人を解放する力です。
(聖書教育p48)

しかしこれは即断できることなのか。
たとえば申命記23章2の直後の23章4に[アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。]とあるが、モアブ人ルツはイスラエルに迎えられている。イスラエルを自分の民とし、イスラエルの神を自分の神としたルツ(ルツ記1章16)が、申命記23章4の規定にもかかわらず主の会衆に加えられたのであれば、エルサレム神殿に礼拝にきたこの宦官が、申命記23章2によってただちに拒絶されたと考えなければならないかは疑問の余地がある。ルカ7章の百人隊長のようないわゆる「神を敬う人」の例もある。

さらに、主はイザヤをとおして次のように宣言している。

主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
宦官も、言うな
見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。
なぜなら、主はこう言われる
宦官が、わたしの安息日を常に守り
わたしの望むことを選び
わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え
息子、娘を持つにまさる記念の名をわたしの家、わたしの城壁に刻む。
その名は決して消し去られることがない。
また、主のもとに集って来た異邦人が
主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり
安息日を守り、それを汚すことなく
わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら
わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
(イザヤ書56章3-7)

エチオピア人の宦官は、このイザヤ書にある「主のもとに集ってきた異邦人」であり、宦官である。ここにある主の宣言が彼に適応されていないだろうか。
確かに申命記に照らせばうとんじられるべき存在かもしれないが、聖書(もちろん旧約聖書のことである)全体を見ればけっしてそうではない。確かに神殿の境内には厳として区別があり、この宦官も「異邦人の庭」までしか立ち入れなかっただろうし、それ以上立ち入ろうと考えもしなかったであろうが、それでも聖書教育の解釈は「聖書は差別的」と言いたいがためにも思える。

準備はなされていた

この宦官は「高官で、女王の全財産の管理をしていた」とある。彼は個人としてエルサレム神殿に礼拝に来たのだろうか。
エジプトにおけるヨセフのような立場だとすれば、エチオピアからエルサレムまで陸路で往復するほどの長期間の休暇は難しいだろう。
おそらく彼は、エチオピア女王カンダケの名代として、エルサレム神殿に代参したのであろう。(カンダケの代わりにバプテスマを受けたという意味ではない。神殿礼拝が女王の名代としてであり国を代表してのものであろうという意味である。)

ここで非常に興味深いことは、彼がイザヤ書を携行していたことである。
今回エルサレムに来て購入したものだろうか。だとすると、エルサレムからガザに向かう途上で早くも53章まで、しかもヘブライ語で読んでいたのであろうか。
26節の「さて」の時点でフィリポがどこにいたかは明確ではない。確かなことは「エルサレムからガザへ下る道」が南にある場所だったということだけである。8章13の時点ではサマリアにいたが、まだそこにいたのだろうか。だとすれば、天使にいわれてからかなりの距離を行ったことになる。あるいはエルサレムにいて「ガザへ下る道」を南下したのだろうか。その場合、フィリポが走ったのは馬車を見つけてからであるから、それまでは走っていなかったのに、前を行く馬車が目に入るところまで追いついていたのである。
いずれにしても、馬車はかなりゆっくり進んでいたことになる。だとすれば、買ったばかりのイザヤ書を53章まで読み進めていたと考えても無理があるというほどではない。

ただし、今回エルサレムで買ったばかりだとしても、本屋に行って目についたものをその場で買うというようなことはできない。注文生産であるとすれば少なくとも、イザヤ書全66章の一字一字を定められた方法で注意深く書き写すのに要する時間は必要であり、だとすれば以前から発注していたことになる。彼はそれを自分のためにオーダーしていたのであろうか。それとも国あるいは女王の図書とするために発注していたものを今回受け取ったのだろうか。
それとも以前から彼自身で所有していたか、女王の所有または国有のものを「イスラエルの神殿に詣でるのだから」ということで持ってきていたのだろうか。
いずれにしても、この場面で彼が馬車の中でイザヤ書を朗読しているということの背後には、フィリポとの出会いをクライマックスとする主の御計画がかなり以前から進められていたことを意味する。

つまり、宦官は突然にフィリポの来訪を受けたわけではない。
主は、この日に彼を福音に入れるために、彼を女王の高官とし、その女王に「エルサレム神殿に行って『エル・エロヘ・イスラエル(イスラエルの神である神)』を礼拝すべき」という思いを与え、さらにイザヤ書を彼の手に渡し、しかもあらかじめヘブライ語を習得させていたのである。
そのような実に遠大な計画の最後の一手が、天使によるフィリポ派遣であった。

宦官の疑問

宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。(中略)
宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
(使徒8章31-34)

宦官が読んでいたのはイザヤ書53章のいわゆる「苦難のしもべ」の箇所であるが、彼はなぜこのような疑問を持ったのだろうか。

イザヤ書をいきなり53章から読み始めたとは考えられない。1章から読み進めた結果、この巻物において「主のしもべ」が何種類かの意味で使われていることにとまどったのではないだろうか。

イザヤ書ではまずイザヤ自身が「わたしのしもべ」と呼ばれている(20章3など)。もうひとつ明示的に出てくるのは、ヤコブつまりイスラエルを指して「わたしのしもべ」と呼んでいる箇所である(41章8、44章1,2,21、45章4、48章20、65章9)
しかしそれだけでは、49章5,6が理解できなくなる。

主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分のしもべとして形づくられた主は

こう言われる。
わたしはあなたをしもべとして
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。

だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

ヤコブ(イスラエル)のためのしもべとは、ヤコブ(イスラエル)自身ではない。では誰なのか?
イザヤ自身か?しかしこれはイザヤよりも未来についての「予言」ではないのか。そう思っていたところに53章の「苦難のしもべ」である。これはイザヤ自身のことなのか、それとも「だれかほかの人についてですか」という疑問である。とにかく何者かもうひとり「主のしもべ」がいて、その者が53章で苦難を受けると予告されている。それは誰のことなのか、というのが宦官の疑問である。

だとすると、フィリポが[口を開き、聖書のこの箇所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた]と非常に簡潔に書かれているその内容は、ステファノの大説教に劣らないボリュームだったはずである。いや、「サンヒドリンに列席のユダヤ人要職者には言うまでもないが、この異邦人は知らない」ということが多々あるはずであるから、ステファノの大説教を質量ともに上回る証しが語られたはずである。
そのためにもおそらくは、馬車はかなりゆっくりとしたスピードであっただろう。

それにしても、なぜ彼が読んでいたのはモーセの書ではなくイザヤ書だったのか。なぜ主は、彼の手元にイザヤ書を置いていたのか。

今回の箇所のすべては、イザヤ書から解かれる。
主のしもべ、苦難のしもべであるメシアはイエスのことであると宣教するために。現代のキリスト教会(異邦人教会)でも、イースターや受難節だけでなくクリスマスやアドベントにも選ばれる箇所である。異邦人宦官に宣教するのにもっとも適している箇所の一つであるだろう。
そしてこのあと56章まで読み進めたとき、彼はどう思っただろうか。

申命記23章を含むモーセの書ではなく、53章そして56章を含むイザヤ書をこの宦官のために備えた主に向かって、宦官に心を合わせてわたしたち異邦人キリスト者も賛美の声を上げよう。
「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別される、と。」(イザヤ56章3)

福音宣教者(伝道者)

フィリポは福音宣教者であったが、この福音宣教者とはどういう人なのだろうか。

使途6章だけを見ると、使徒たちが牧師、ステファノやフィリポら「7人」は執事(役員)であるかのような印象を受ける。
しかし使徒21章8ではフィリポは「福音宣教者」(口語訳、新改訳では「伝道者」)と呼ばれている。ステファノは「すばらしい不思議な業としるしを行い(使徒6:8)、大胆に証ししている(同7章)。フィリポも聖霊による不思議を伴いながら(同8:39-40)、ユダヤだけでなくサマリア(ユダヤ人にとっては外国同然)にまで宣教し、バプテスマを授ける権能を持っていた(使徒8章12,38)。現代のプロテスタント教会で言えば、執事や役員よりもむしろ牧師や宣教師である。

では、使徒と福音宣教者はどう違うのか。これがよくわからない。手元の「エッセンシャル聖書辞典」(1998年刊)でも「新聖書辞典」(1985年刊)でも「福音宣教者」という項目はなく、「伝道者」の項目を調べると次のように紹介はしているが説明は何もない。

…新約聖書では、「良いことの知らせを伝える人々(ロマ10:15)という意味の[ギ]「ユーアンゲリステース」が用いられ、初代教会の中で立てられた使徒、預言者、伝道者、牧師、教師といった務めの一つとして上げられている(エペ4:11).執事として選ばれた7人の中のピリポ(使6:5,21:8)や、パウロの弟子のテモテ(2テモテ4:5)が「伝道者」と呼ばれて奉仕をしている(参照ロマ15:20).

やや古いが「新聖書注解 新約2 使徒の働き→エペソ」(1973年初版)から、エペソ4章11について引用する。

 いわゆる職制についてではなく、それらの職務にあたる者たちについて語られており、その視野は全教会的なものであって、広く教会一般のことに当たる教職者たちについて語られている。
 初めにあげられる<使徒>とは、(一)キリストによって任命され、(二)復活のキリストの証人であり、(三)誤りなき神の真理の解明者として霊感されており、(四)その権威は至高で、(五)奇跡などの特別なしるしをなし、(六)その活動範囲は局地的でなく世界的である人々のことで、十二使徒(イスカリオテのユダの代わりにマッテヤ<使一23>)とパウロの十三人を指すと考えられる(カルヴァン、エリコット、レンスキー)。
 次の<預言者>とは、御霊に直接導かれる説教者・説明者で、新約の預言者としてはアガボ、ピリポの四人の娘、アンテオケ教会のユダやシラスたちが思い出される。そのおもな働きは、説教し、勧めをすることであるが、また来たるべき将来事を予告することも含まれていた。
 第三にあげられている<伝道者>とは、巡回宣教師とも言うべき者たちで、使徒を助け、使徒の指示のもとに各地に活躍していた。ピリポ、テモテが伝道者と呼ばれている。伝道者は聖霊の賜物を有していたが、聖霊の賜物を与える権能は有していなかったようにも見える。
 最後に、<ある人を牧師また教師として>であるが、これを二つの別々のものと見る見解(テオフィラクトゥス、カルヴァン、ネアンダー、デ・ヴェッテ等)と、同一のものの別称であると見る見解(アウグスティヌス、ヒエロニムス、マイエル、イーディー、アルフォード等)とがあるが、後者の見解の強みは、これまでは一つ一つに[ギ]トゥース・デ<ある人>が頭に付いていたのに、ここでは二者が一つの[ギ]トゥース・デですまされていることで、これが他ならぬ一つの者の別称であるという意味合いにとれるわけである。

(説明中にある聖書箇所の提示は省略。改行は引用者による。)

「牧師また教師」については、ギリシャ語の講義だけで、いったいどういう務めなのかについてはまったく無視されている。もう少し新しい「実用聖書注解」(1995年)ではどうか。

 天上に上られた凱旋将軍キリストは、ご自身の功績の中から教会に様々な恵みの賜物を下さった。
 まず<使徒>.12使徒以外にもパウロとバルナバ,主の兄弟ヤコブ,シルワノとテモテなどがいた.彼らは主によって任命された者であり,主の復活の証人,神の真理の解明者であり,至高の権威を持ち,その働きには奇跡などのしるしが伴った.
 <預言者>.新約ではアガボ,ユダとシラス,ピリポの四人の娘などが知られている.直接的に神の言葉を取り次ぎ,教会の基礎を築いた.使徒と預言者は新約聖書が与えられるまでの指導者で,その権威は継承されない.
 <伝道者>.ピリポとテモテなど,各地を巡回した宣教者である.
 <牧師または教師>. <牧師>は「羊飼い」[ギ]ポイメーンという語句で,ヨハ10:11,14,ヘブ13:20,1ペテ2:25(牧者)などに出て来る. <教師>.パウロとヤコブは自らをこう称している.
さて「牧師」と「教師」は、(1)2つの別の職務とする見解(カルヴァン)と,(2)1つの職務の別の側面とする見解(アウグスティーヌス)があるが,1つの定冠詞でくくられているので,(2)が適当と思われる.
これらの職務が教会が任命したのではなく,主ご自身が教会にお与えになったのである.

(説明中にある聖書箇所の提示は省略。改行は引用者による。)

こちらも、牧師と教師については、聖書から例を挙げてはいるものの説明はない。ようするに、よくわからない存在であるとされているか、たいした存在ではないとされているのであろう。
それはそれとして、複数の名詞の前に一つの定冠詞がある場合は常に別称なのだろうか。礼拝説教で「これはギリシャ語ではこれこれの意味で」と、御言葉の説き明かしよりも文法の講義をしたがる牧師が時としておられるが、尋ねてみたいところである。

次に預言者であるが、「使徒と預言者は新約聖書が与えられるまでの指導者で,その権威は継承されない.」という見解の根拠は示されていない。使徒と預言者は新約聖書が与えられた現在では廃れている、という意味にもとれるが、この執筆者は何らかの権威によって、第1コリント13章8の「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」が新約聖書の完成時点で成就したと宣言しているのだろうか。
それ以前に、いつの時点をもって「新約聖書が与えられ」たと考えているのだろうか。新約聖書の正典が一応の確定を見たとされるのは397年の第3回カルタゴ教会会議と言われるが、この4世紀末までは使徒や預言者がいたということだろうか。それとも第一テサロニケ書が書かれたと言われる51年をもって、その時点で存命だった使徒と預言者も権威を失ったというのだろうか。どうもこの一文には、現代において使徒職や預言者と呼ばれている人たち(あるいはそうした職務を置いている教会)を否定するための恣意的なものを感じる。

フィリポが福音宣教者(伝道者)とはどういうことだろう、ということから五役者について調べ始めたのだから、そろそろ使徒と伝道者(福音宣教者)に話に戻る。

「実用聖書注解」によると使徒の定義は「彼らは主によって任命された者であり,主の復活の証人,神の真理の解明者であり,至高の権威を持ち,その働きには奇跡などのしるしが伴った.」であったが、使徒になった次第が明らかなのは「12人」(ただしイスカリオテのユダを除く)、くじによって神意が示されたマティア、ダマスコ途上でイエスに召されたパウロのみであるから、バルナバなどを数えない「新聖書注解」の方が正しいことになる。しかし実際にバルナバらも聖書で使徒と呼ばれている。
結局どちらも「使徒とはどういう存在かの説明、定義」ではなく「使徒にはどういう人たちがいたかの例示」でしかない。具体的にいうと、「キリストによって任命」について「新聖書注解」では「マタ10:5、ガラ1:1等」を根拠としているが、これに該当するのが確かなのは11人とパウロだけであるから、「使徒には、キリストによって直接任命された者もいた」としか言えないことになる。もちろん、聖書に記録されていないだけでバルナバたちもこの「使徒の定義」を満たしていたことは考えられる。しかし伝道者について「聖霊の賜物を与える権能は有していなかったようにも見える」というのだから、「聖書に書かれていないことは、なかったこと(と考えてよい)」という前提があるのである。
「その活動範囲は局地的でなく世界的」とあるが、これもパウロなどは該当するとして、トマスがインドまで宣教したということは伝説ではなく事実と認められているということだろうか。またバルトロマイはどれほど広範囲に活躍したのだろうか。これもやはり「世界的に活動した者もいた」ということでしかないだろう。逆に伝道者であるフィリポもサマリア(ユダヤからは外国同然)まで行っている。
「奇跡などの特別なしるしをなし」というのも、伝道者であるステファノとフィリポもしるしを行っていたのであるから(使徒6章8、8章6)、使徒ならではということではない。
使徒、[ギ]アポストロスは「使者、大使、特別な指名を帯びて派遣された者」の意味であるが、この大使という意味から世界的と解釈したくなるのかもしれない。しかしこの定義も、11人やパウロはイエスから派遣されたのが確かだとしても、バルナバたちについてはわからない。
おそらく「キリスト自身から派遣された」と考えるよりも、「キリストの体である教会からの使者」と考えるほうが無理がない。だとしても、伝道者もまた同様である。

最後に伝道者(福音宣教者)であるが、少なくとも「執事として選ばれた7人」という定義は、正確ではないとは言えるのだろう。使徒6章から、信徒の生活面をまかせるために選出された様子はうかがえるものの、実際の伝道者の働きとして記されているのはステファノの奇跡であり、フィリポの宣教である。つまり、使徒と同じように主の復活を証しする者であり、使徒同様に奇跡などのしるしが伴う者であり、使徒同様に広範囲に活動した者もいる。

結局のところ五役者のことは、当時においいてどういう意味で使徒や預言者と呼ばれていたかはわからないということではないか。(わからないものを「それは(現代へは)継承されない」とは、どういうことなのだろう。)

エチオピア

旧約で「クシュ」と呼ばれたのは、現在のエチオピアからスーダンまでも含む広い地域のことである。エデンの4本の大河のうち第二の河ギホンはクシュ地方全域を巡っていた(創世記2章13)。アロンとミリアムは、モーセの妻チッポラを「クシュの女」と呼んでいる(民数記12章1)

この地方は紀元前2000~紀元前1000頃までエジプトの支配下にあり(「クシュ」はエジプト語からの外来語)、その後に独立した。アサ王(在位は紀元前911頃から870年頃)の時代には逆にエジプトを支配していたとも見える(列王記二19章9)。

紀元前5世紀から紀元10世紀にはソロモン王とシバの女王の後裔を名乗るアクスム王国が栄え、10世紀頃のザグウェ朝との王位争いを経て、1270年にイクノ・アムラクがエチオピア帝国初代皇帝に即位する。エチオピア帝国は白人によるアフリカ分割を超えて存続し、1975年に帝政を廃止した。
余談だが1270年に始まり1974年のクーデターで終焉を迎えたエチオピア王室は、日本の皇室に継ぐ長期にわたって続いたものであった。これは日本の皇室を、実在したことが確かと考えられる最古の天皇を第26代継体天皇(生誕450年、即位507年)または第15代応神天皇(生誕201年、即位270年)とした場合であるが、エチオピア王室の起源をメネリク1世(ソロモン王とシバの女王との子)とするなら紀元前975年にさかのぼることになり、神武天皇の即位が紀元前660年だとしてもそれより長いことになる。

前述のとおりエチオピアは白人によるアフリカ分割の際にも独立を保ったアフリカ最古の独立国であるが、同時にサハラ以南では唯一の「植民地時代以前からのキリスト教国」でもある。現在の宗教人口はエチオピア正教会50%、イスラム教30%、その他(アニミズム、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教)となっている。エチオピア正教会は、エジプトのコプト正教会からもたらされて改宗したものであるが、中世ヨーロッパでは「エチオピアこそ伝説のプレスター・ジョンの国ではないか」とも考えられていたという。

コプト正教会による改宗は4世紀であるため、フィリポの宦官への宣教が直接、現代のエチオピアのキリスト教国(エチオピア帝国時代は国教。ただし帝政廃止後に国教を禁止)につながったとは言えない。ただし、前述のとおりフィリポの宦官への宣教が主の遠大な計画の中にあったことを考えると、フィリポの宣教は一粒の種であったとは言えるであろう。

エチオピア人がソロモン王の子孫だどすれば、それはユダヤ人の血を引くということであり、世界中からユダヤ人のイスラエル帰還が進められている中でエチオピアからの帰還も行われている。
イスラエルとエチオピアの間にまだ国交がなかった1984年頃から、ひそかに陸路(スーダン経由)での帰還が行われた。「モーセ&ヨシュア作戦」と呼ばれたこの帰還はしかし、外国マスコミによっておおやけにされたために中断する。ただちにイスラエルはエチオピアと国交を結び、経済協力などによりユダヤ人の出国(帰還)を認めさせるが、1991年にエチオピアで軍事クーデターが発生。メンギスツ独裁政権が崩壊してしまう前にユダヤ人を帰還させるべく「ソロモン作戦」が実行され、わずか25時間で14,200人のユダヤ人を空輸することに成功した。
帰還民はヘブライ語の習得などの課題があるのに加えて、着の身着のままでやってくるため深刻な貧困となることが多く、特にエチオピアからの帰還民は、先進国イスラエルの社会や産業になじむ事が難しい状況にある。ここでもブリッジス・フォー・ピース(BFP)によるエズラ作戦など、「神学」ではなく「愛の実践」が注がれている。

テキスト
日本バプテスト連盟「聖書教育」2009年10,11,12月号
カリキュラム
聖書教育 > 神を愛する生活(2008~2010年度プログラム > 使徒言行録・友を誘う 遣わされる弟子たち > 思いがけない友と一緒に
初稿
千葉バプテスト教会「こどもメッセージ」2009年11月1日の準備のための聖書研究(このままの内容でこどもメッセージをおこなったという意味ではなく、その材料整理のための聖書研究)。

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作成:2009年11月1日
更新:2014年2月14日

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