やさしい聖書のお話

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知恵を求めたソロモン

今日のお話しから(2001年2月25日)

もしも願いがかなうなら

もしも魔法使いがあらわれて「1つだけ、なんでも望みをかなえてあげる」と言ったら、何を求めますか?
お金、健康、長寿、地位、名誉、ライバルの失脚、嫌なご近所さんが遠くに引っ越すこと、どうしても許せない人の死、景気回復、首相退陣、世界平和、原発廃止、差別撤廃。。。どんなことでも実現するとしたら。

ソロモン王が願ったもの

ダビデ王に王子が生まれ、ソロモンと名づけられたときのことを、聖書にこう記録されています。
「主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。」
すべての人、すべての赤ちゃんを愛している神様が、中でも特にソロモンを愛したというのです。そしてそのソロモンがイスラエル王国の第三代の王となったとき、神様は愛するソロモンにこう言いました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」

お金持ちになるほど、もっとお金が欲しくなる。地位が高くなるほど、もっと高い地位を望む。では、一国の王座にのぼったソロモンは何を望んだのでしょうか。こう記録されています。「民を正しく裁(さば)き、善と悪を判断することができるように、このしもべに聞き分ける心をお与えください。」

富も長寿も求めない謙虚さは、日本の政治家にも見習ってほしいくらいです。とは言っても、王座についたばかりで国内の敵対者をやっと平定した新しい若い王なのだから、国内の安定や敵国からの安全などを求めたほうがよかったのでは?
でも聖書には「主はソロモンのこの願いをお喜びになった。」と記録されています。そして「望みどおり知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたが求めなかった富と栄光も与えよう。わたしに従って生きるなら、長寿も与える」と約束したのです。
神様がソロモンにどれほどの知恵を与えたか、その一例が聖書に記録されています。

ソロモンの知恵

その例とは、裁判のエピソードです。
ソロモンの前に訴え出たのは、二人の遊女でした。常識的に考えても、遊女が国王に訴え出るというのはよほどのことでしょう。普通の裁判官では解決できない難題だったことがうかがえます。それはこんな事件でした。

二人は同じ家に住んでいて、同じ頃に出産しました。ところがある朝、一方の女が乳をやろうとしたら、なんと子が死んでいたのです。
「でもよく見たら、それはわたしの子ではありませんでした。この人は寝ている時に赤ん坊に寄りかかって死なせてしまったので、私が寝ている間に私の赤ん坊と取り替えたのです」というのが彼女の主張でした。そしてもう一方の女は「いいえ、生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子です。」と主張するのです。
夜中におきた事件で、目撃者もいません。この難問をソロモン王はどのように裁くのか。

王は家来に剣を持って来させると、こう命じました。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」 すると一方の女は「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言い、もう一人の女は「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言ったのです。
ソロモンはこれを聞いてこう判決しました。「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である。」

この一件を聞いた人々の反応を、聖書はこう記録しています。
「王のくだした裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏(おそ)れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。」
悪人は「こんな聡明な王がいては、悪いことはできない」と考えたでしょう。それ以上に国全体が「この新しい王なら大丈夫」と安心したでしょう。
事実、イスラエルはソロモン王の時代に、史上最大の領土となり、経済も飛躍的に成長しました。超大国エジプトからファラオの王女を妃に迎えるなど、国際関係も良好。そして何より、神様を礼拝するための神殿が最初に建設されたのもこの時代でした。

何を第一とするか

残念なことに、ソロモン王は晩年に神様から離れてしまいます。そして国民を苦しめる政治をしてしまい、そのために彼の死後には王国が分裂することになってしまうのです。ソロモンはイスラエル統一王国の、最後の王になってしまいました。
でもソロモンが神様を第一としていた間は、すべてがうまくいきました。遠い国までも、時代を超えても、「ソロモンの英知」「ソロモンの栄華」として伝えられたほどです。

アダムとエバは神様の心にそむいて「善悪の知識の木」の実を食べて、エデンの園を追放されました。それは「自分も神様のように賢くなってやる」という悪い思いから出たことでした。でもソロモンは神様の心にかなうやりかたで「善悪を見分ける知識」を手に入れました。それは「自分には神様の助けが必要だ」という謙虚な思いから出たことでした。

ソロモンから約1000年後に、イエス様もこう教えています。「野の花を見なさい。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのようによそおってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ福音書6章28-33より抜粋)
「神の国」は、死んでから行く天国のことではありません。神様を信じたその時から「神の国」に生きているのです。そして「義」は「救い」の遠回しな言い方です。つまり「正しくない生き方から救われ、神の国を生きられるように」と求めるなら、神様が面倒を見てくれるという約束なのです。

昔の詩人もこううたっています。

あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、あなたのことを心配してくださる。
(詩編第55篇22[新改訳])

さあ、わたしたちは何を神様に求めましょうか。


「今日のお話しから」は、幼稚園礼拝で聖書のお話をした際に、保護者向けに作成したレジュメです。

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作成:2001年2月25日

布忠.com