やさしい聖書のお話

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救い主のお生まれ

今日のお話しから(2000年12月17日)

今日は夕方から、上ノ原幼稚園のクリスマス礼拝があります。来週は中野教会のクリスマス礼拝と、教会学校のクリスマス礼拝です。
クリスマスというのは「キリストのミサ(礼拝)」という意味の言葉です。今日のお話しは、世界で最初のクリスマスつまりイエス様が生まれた日のことでした。

物語の舞台

今年は西暦2000年。西暦はイエス様が生まれた年を元年として数えているので、これは今からちょうど2000年前にあったことです(実際にはもう4~7年ほど昔だったということがわかってきましたが)。

ルカによる福音書を書いたルカは、学者らしく、これがいつのことだったかを記録しています。ローマ初代皇帝アウグストゥスことガイウス・オクタヴィアヌス(在位B.C.31~A.D.14年)が全領土に住民登録をせよと勅令を出したときのことで、それはポプリオ・スルピキウス・クィリーニウスがシリア州の総督をしていたときの最初の住民登録でした。
このような記録は、イエス様の誕生が歴史上の事実であることを伝えるためのものでしょう。そしてこの勅令のために、ヨセフは一介の大工でしたがダビデ王の血を引く家系だったので、住民登録をするために婚約者マリアをつれて、故郷でありダビデ王誕生の地であるベツレヘムに向かいました。ベツレヘムはエルサレムの南8kmにある、街道筋の小さな町です。

ベツレヘムはまた、この700年ほど前に、神様が預言者ミカにこう予告させた町でもあるのです。「お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」(お前=ベツレヘムの町、わたし=神様、イスラエルを治める者=救い主)
今まさに、神様のこの予告が実現しようとしています。救い主イエス様が生まれるのです。

イエス様の誕生

ヨセフたちが住んでいたナザレからベツレヘムまでは、直線距離でも100km以上ですが、当時の政治的な事情からさらに大きく迂回する必要がありました。移動がもっぱら徒歩、あるいはせいぜいロバに乗るという時代に、これは臨月のマリアと胎内のイエス様にとっても、どんなに危険なことだったでしょう。
しかも到着してみると、ダビデ王の血を引く人々が住民登録しようとこの小さな町に集まったので、宿屋という宿屋が満室。産気づいたマリアを見かねた一軒が、やっと家畜小屋にいれてくれたのでした。そしてそこで、イエス様が誕生したのです。

私は長女が生まれるとき出産に立会い、出産というのはどんなに大変な作業であることかを教えられました。妻も母も含めてすべての母親は、出産という大事業を成し遂げたというだけでも尊敬されるべきだと思います。そして、何の事故もなく母子ともに無事に出産が終わるということは、設備が整った現代の産院であっても、奇跡と呼べることではないでしょうか。
しかしマリアは、一説には15~16歳だったのではないかといわれる体で、家畜小屋といっても実際には洞窟の入り口に柵をつけただけという、寒さと動物臭に包まれた不衛生な場所で、初産をむかえなければならなかったのです。

そしてイエス様は、産着がわりの粗末な布にくるまれて、飼い葉桶(かいばおけ)に寝かされたのでした。この飼い葉桶も絵本にでてくるような木製のものではなく、ワラくらいは敷いたでしょうけれど、長方形の岩に穴をあけただけの固くて冷たいものです。
世界中の人のために世に現れた救い主イエス様が、なぜこんな登場の仕方をしなければならなかったのでしょう。

低いところに来た神様

フィリピの信徒への手紙2章に「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(新改訳)とあります。

完全に父なる神様とひとつであるイエス様が、目を覆いたくなるようなところで生まれたのは、真に人を救うためです。イエス様は、人を救うために、神様のいる高いところからひっぱりあげるのではなく、人のいる低いところまで下りてきて、神様のいるところまで私たちと一緒に歩いてくださる方なのです。
もしイエス様が、世界の王だからといって宮殿で生まれたりしたら、どうなっていたでしょう。イエス様に会えるのは身分の高い人だけになって、野宿していた羊飼いたちも、外国から来た博士たちも、そして私たちも、イエス様に会えなかったかもしれません。

天使がマリアに「あなたのおなかには、救い主がいます。その子はインマヌエルと呼ばれるようになるでしょう」と予告しました。インマヌエルとは「神様は私たちと一緒にいてくださる」という意味です。
すべての人がイエス様に会って「神様はわたしたちと一緒にいてくださる」と実感できるようになるために、王様のようには強くない人、貴族のようには裕福でない人、宗教家たちのようには正しく生きられない人、つまりごく普通のわたしたちのために、神様である救い主キリストはあえて一番低いところに来て下さったのです。

「今日のお話しから」は、幼稚園礼拝で聖書のお話をした際に、保護者向けに作成したレジュメです。

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作成:2000年12月17日

布忠.com