やさしい聖書のお話

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十字架の上の祈り

今日のお話しから(2000年4月9日)

礼拝では今日と来週の2回にわたって、イエス様が十字架にはりつけにされたときのことのお話しです。

十字架刑

アクセサリーのデザインにもよく使われる十字架ですが、これは死刑のための道具です。両方の手首にクギが打たれ、足は重ねてクギが打ち込まれ、この三点に全体重がかかる苦痛と疲労の中で、長い人で三日もかかって死んでいくのです。しかもこの間はさらし者にされたまま。歴史家も「もっともみじめな死」「奴隷に科される拷問の最悪のきわみ」と書き残しているほど。あまりにも残酷で非人道的な処刑方法なので、ローマの市民権を持つ者はたとえ凶悪犯でも適用が禁じられていたといいます。
イエス様が受けた十字架という刑は、それほど過酷なものだったのです。

それにもかかわらず、激しい苦痛と見物人のあざけりの中で、十字架にクギで打ち付けられたイエス様が最初にいった言葉は「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」という祈りでした。
"彼ら"とは、イエス様を十字架につけた人のことです。では、誰がイエス様を十字架につけたのでしょうか。
イエス様は、すべての人の罪を背負って、すべての人の身代わりに神様からの罰を受けているのです。
私たちは、イエス・キリストを知らなかった頃は、「自分が何をしているのか知らない」まま罪をおかしながら生きています。でもイエス様を知って、「イエス様を死なせたのは私。イエス様は私の罪を背負って、私の身代わりに十字架で苦しまれた。」と言い表わすなら、イエス様は私のために「父よ、あの人をおゆるしください」と神様にとりなしてくださるのです。そしてイエス様のとりなしによって罪は完全にゆるされ、私たちは天国に入れる者とされるのです。
ここに、イエス様にとりなしを願った一人の罪人の姿が記録されています。

重罪人の信仰告白

イエス様が十字架につけられたとき、二人の名もない重罪人が同時に受刑しました。このうちの一人(今日のお話しでは仮にレメクという名)は、見物人と一緒になってイエス様をののしっていたのですが、もう一人(今日のお話しでは仮にエノクという名)は違いました。
エノクはレメクに「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」と言いました。そして、イエス様にこう言ったのです。「あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」
エノクはここで、みっつのことを言っています。
第一に、イエス様には罪がないということ。
第二に、イエス様が天国に王として行くということ。
第三に、イエス様が天国の王となったときに、私を思い出してくださいという願いです。

まず、「イエス様は何も悪いことをしていない」というのは、「この人は無実の罪で死刑になる運の悪い人なのだ」ということではありません。イエス様は完全に罪のない神の子であって、十字架につけられたのはすべての人の身代わりに神様から罰を受けているのだということを、エノクはさとったのです。

次に、エノクは神の国である天国を「イエス様の御国」と呼んでいます。イエス様は天国の王だというのです。十字架上で今にも死のうとしている、多くの人から罵倒され権威も威厳もないようなイエス様が、神様と一つであることをエノクはさとったのです。

そして、「イエス様が天国に行かれたら、わたしを思い出して下さい」とは、神様にわたしのことをとりなしてくださいという意味です(ヘブライ語の「誰々を思い出す」は、「誰々のためになるようにする」という意味がある)。
イエス様にとりなしを頼んだということは、「死刑になるほど罪深い自分でも、イエス様がとりなしてくれるなら、神様にゆるされて天国に入れる」とエノクは信じたのです。

イエス様が人々を教えていた時、悪徳徴税人や売春婦などとともに、多くの犯罪者が集まっていました。その時にエノクもいて、ヨハネ10章31や、ルカ7章48のイエス様の言葉を聞いていたのかもしれません。そして今、自分を十字架につけて殺そうとする人たちのためにも「父よ彼らをおゆるしください」と神様にとりなしをするイエス様を見て、イエス様を信じたのでしょう。

信仰を言い表わしたこの犯罪者は、イエス様から「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と確かな約束をいただいたのです。

死刑になるほど罪深いエノクでさえ、信じたときに「わたしと一緒に楽園にいる」とイエス様に言われたのです。わたしたちがイエス様を信じて、イエス様に「父よ、この人をゆるしてください」ととりなしていただくなら、わたしたちもイエス様と一緒に神の国に入ることができるのです。

【今日のお話しの聖書箇所】

ルカによる福音書23章33~43

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

※ 〔~〕の部分は古い写本にはない記述。のちにルカ自身が加筆したのではないかと考えられています。

「今日のお話しから」は、幼稚園礼拝で聖書のお話をした際に、保護者向けに作成したレジュメです。

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作成:2000年4月9日

布忠.com