やさしい聖書のお話

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ラザロの復活

今日のお話しから(2000年2月6日)

今日は、イエス・キリストが死人を生き返らせたお話しでした。「死人が生きかえる」などというと「医学や科学が未発達な時代のことだから」と思われるかもしれませんが、死というものの確かさは、当時も今も変わりありません。

ラザロの死

ベタニアという村に、三人の姉弟がいました。姉はマルタ、妹がマリア、弟のラザロです。以前、イエスがこの家に立ち寄ったことがあり(ルカ10:38)、イエスはこの三人を愛しておられたと記録されています。
ところが、このラザロが病気になってしまいました。マルタとマリアは「人間の医者には治せない病気でも、イエス様は神様だから必ず治せる」と信じていたので、近所の人を使いに立て、イエスに「あなたの愛しておられるラザロが病気で死にかけています」と伝えたのです。
しかし。ついにイエスはベタニア村に現れず、ラザロは死んだのです。

神の栄光のため

「ラザロ重態」の報せをうけたイエスは、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と言って、ラザロを助けに行きませんでした。そして二日後、「死んだラザロのところへ行こう」と弟子たちに言って、ベタニア村に向かったのです。このころすでに宗教的政治的指導者たちはイエスを殺そうと考えていたため、死んだラザロに会いにベタニアに行く=イエスは死ぬ気だ、と思った弟子たちもいました。

イエスがベタニア村につくと、マルタとマリアが「主よ、ここにいてくださったならラザロは死ななかったでしょう」と言って泣きました。周りにいた人々も、姉弟の人柄のためか、涙を流しています。
でもイエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と断言したのです。

死を超える神の力

イエスは、ラザロが葬られた墓に行きました。墓というのはほらあなのような作りで、入り口には大きな岩でふたがされているのですが、イエスは人々にその岩をどけるように命じたのです。
マルタは「もう四日もたっていますから、遺体はにおいます」と答えました。つい先ほどイエスが「わたしは復活であり命である」と教えたのに、理解できていないのです。 「イエス様は神様だから、どんな病気も癒せる」と信じることはできても、「神といえども、もう腐敗がはじまっている遺体を生き返らせることはできない」という先入観にとらわれているのです。
でも、全知全能の神にできないことなど、一つもありません。なにもないところに世界を創造し、命を創造した神にとって、四日前まで生きていた人を生き返らせるくらいは簡単なことなのです。 岩がどけられました。イエスは父なる神に「あなたがわたしをお遣わしになったことを、人々が信じるために」と祈ってから、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と叫びました。すると、墓の中からラザロが歩いて出てきたのです。
おばけだとか幽霊だとか騒ぐ人はいませんでした。死を凌駕する神の権威によって、イエスがラザロを生きかえらせたという事実だけがそこにあったのです。「イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。」と記録されています。

【今日のお話しの聖書箇所】

ヨハネによる福音書11章1~45(抜粋)

ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

「今日のお話しから」は、幼稚園礼拝で聖書のお話をした際に、保護者向けに作成したレジュメです。

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作成:2000年2月6日

布忠.com