やさしい聖書のお話

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とりなしの祈り

今日のお話しから(1999年10月24日)

キリスト教のお祈りは神様との対話です。対話ですからいろいろな話題でお祈りするのですが、その話題には五つの種類があるといわれます。「賛美(神をたたえる祈り)」「感謝」「告白(ざんげの祈り)」「願い」そして「とりなしの祈り」です。
感謝と告白と願いは自分のために祈る祈りですが、とりなしの祈りというのは、自分以外の誰かのために祈ることです。子どもや肉親のため、友人知己のために祈る祈りです。さらにイエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と命じました。今まさに自分を殺そうとする敵の魂のためにも、真摯に祈るのが「とりなしの祈り」なのです。

今日のお話しは、神様がアブラハムに、罪の町ソドムとゴモラを滅ぼしに行くと告げた場面でした。このお告げに対して、アブラハムは神に訴えます。「神様あなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。」
正義そのものである神様に、悪人どもが滅ぼされるのは当然です。同情の余地はなく、ゆるしてあげてくださいとは言えません。アブラハムは、正義そのものである神様のその正義にかけて、ソドムとゴモラのために「とりなし」をするのです。
神様が「正しい者が五十人いれば、滅ぼさない。」と答えると「四十五人だけだったら」と、「四十五人いれば滅ぼさない」と答えられればさらに「四十人だけだったら」「三十人だけだったら」「二十人だけだったら」「十人だけだったら」と食い下がり、神様から「たった十人でも正しい人がいるなら、ソドムとゴモラは滅ぼさない」という答えを引き出したのでした。そして神様は、そんなアブラハムを友と呼んだのです。

ソドムとゴモラといえば、クリスチャンでない人でも名前くらいは聞いたことがあるというくらいの、犯罪と不信仰と不道徳とその他あらゆる悪に満ちた町でした。滅ぼされて当然の町であり住民たちだったのです。しかしそんな悪者たちのために、アブラハムは必死で(何しろ相手が神様ですから、これ以上恐れ多いことはないという口ごたえです)とりなしをしたのです。
でも。私たちはソドムの住民ほどの悪ではないかもしれませんが、かすかにでも心に悪のない人はいません。一人もいません。そしてかすかにでも心に悪のある人は天国には入れず、地獄の炎に投げ込まれるのです。まるで火で滅ぼされたソドムとゴモラのように。にもかかわらず神様を信じれば天国には入れるのは、アブラハムがソドムとゴモラを神様にとりなしたように、イエス様が私たちのことを神様にとりなしていてくださるからなのです。
イエス様やアブラハムのように、誰か(それがいやな相手だとしても)のために「とりなしの祈り」をお祈りできたら、それは神様にとても喜ばれることです。

【今日のお話しの聖書箇所】

(創世記18章18~31節)

その人たち(主なる神と二人の御使い)はそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。
主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

「今日のお話しから」は、幼稚園礼拝で聖書のお話をした際に、保護者向けに作成したレジュメです。

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作成:199年10月24日

布忠.com