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再現!キリスト復活の朝

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このページはあくまでも、「聖書にこれしか書いていないけれど、それを手がかりに考えるとたぶんこうだったんじゃないか」と想像して書いているものです。あくまでも「聖書そのもの」ではなく「聖書を題材にしたもの」であることを、あらかじめご承知ください。


マリアは打ちのめされた。

7匹もの悪霊に取り付かれ、人としてまともな生活すらできないでいたマグダラ村での日々。そこへ訪れたイエスは、ただ一言で悪霊どもを追い出し、人間らしい生活を取り戻させてくれた。
マリアを心配し何とかしたいと思いながらも、悪霊の力の強さに何もできないでいた家族や村の人々は、マリアから悪霊が追い出されたことを本人以上に喜び、全員がこのことの証人となった。
マリアがイエスのお供をすることを望むと、人々はやっと一緒に平和に暮らせるようになったのにと寂しがったが、それでも「先生のお世話をしっかりやりなさい」と送り出してくれた。
その日からマリアは、イエスをラボニ、先生と呼んでお仕えした。
そのイエスが、十字架の上で死んでしまった。

生涯をかけてもおそばに仕えたいという願いは、3年にも満たずに失われてしまった。
せめてご遺体を葬るお手伝いをしたいと願った。しかし安息日を迎える日没が迫ったため、ご遺体はあわただしく墓におさめられ、葬りの習慣にならってご遺体に香油を塗ることさえできなかった。

安息日の翌朝、日の出を待たずにマリアは家を出た。
胸には香油の壷をかかえて。
主のご遺体に塗るための、香りよい香油を入れた壷をかかえて。
ふと気づくと、同じ思いを持つ女たちが一緒に歩いていた。

しかし、イエスの葬られた墓は、1トンを越えるであろう大岩で封をされている。
彼女たちはどうやったら中に入れるだろうか。誰が彼女たちのためにあの大岩をどけてくれるだろうか。
それに墓の番人。イエスの弟子たちが遺体を盗まないようにと、休まずに見張る番人。
あの番人たちは、彼女たちが墓に近づくことを許してくれるのだろうか。

しかし彼女たちが墓に近づくと、番兵たちはみな倒れていた。
そして大岩はどけられていた。

あるいは男たちであれば、まず状況を把握しようとしたかもしれない。いったいに何がおきたのか、近づいて安全なのか、と。
しかし女たちは今、事態を理解しようとさえ思わなかった。
目の前にあるのは、イエスのご遺体まで行けるという事実。その事実さえあれば、どうしてそうなったのかなど構いはしなかった。

しかし。

洞窟のように掘られた墓をのぞいたとき、女たちは凍りついた。
墓は空だった。主のご遺体が安置されたはずの台の上には、何もなかった。
あるはずのイエスの遺体は、消えうせていた。

女たちは、男弟子たちが集まっているはずの隠れ家へ走っていった。
マリアだけが、墓の入り口に残された。

-ラボニがおられない。人々は私からラボニをとりあげ、ご遺体まで奪ってしまった。

マリアは打ちのめされた。
マリアは泣いた。声を上げて泣いた。

泣きじゃくりながら、マリアは墓の中に入った。
胸には香油の壷をかかえたまま。
主のご遺体に塗るはずだった、香りよい香油を入れた壷をかかえたまま。
身をかがめて、墓の狭い入り口をくぐった。

中に入ってみると、白い衣を着た天使がいるのが見えた。
まるで話しに聞いた、聖なる契約の箱のように。
ふたの上で翼を広げ、聖なる契約の箱を守る二体のケルビム像のように。
天使は台の頭側と足元側とに座っていた。

しかし、二人の天使に守られた台の上には、誰もいなかった。イエスの遺体はなかった。
そこには、イエスの遺体を包んでいたはずの亜麻布があるだけだった。
頭を包んでいたはずの覆いは離れたところに丸められ、亜麻布はまるで中身だけがすっと消えてしまったかのように、人のかたちを保って台の上に置かれていた。

墓の入り口を通ってきたときのまま身をかがめていたマリアは、しゃがみこんで泣き続けた。

泣き続けるマリアに、天使が声をかけた。
-レディ。なぜ泣くのですか。

マリアは泣きながら訴えた。
-わたしの主が取り去られてしまいました。
-ゲツセマネの園で主が私から取り去られ、ゴルゴタの丘では主のお命が私から取り去られ、とうとう主のお体まで私から取り去られてしまいました。
-なぜですか。なぜ私は主を失わなければならないのですか。主のお体はどこに持ち去られたのですか。
-ご遺体に香油を塗ることさえ、ゆるしていただけないのですか。お願いです、どうか…。

それ以上は言葉にならなかった。マリアは口を動かしていたが、もはや声にならなかった。

その時、背後から、墓の入り口から、マリアにかけられた声があった。
-レディ。なぜあなたは泣かなければならないのですか。誰かが永遠に葬られるためではないこの場所で、誰を探そうというのですか。

マリアは泣きながら声を振り返った。
しかし彼女には、その人の顔は見えなかった。入り口から墓の中に差しこむ逆光が、マリアの目元にあふれては流れる涙に乱反射していた。
顔は見えなかったが、イエスの遺体を運び出した何者かが戻ってきたのだろうとマリアは思った。
しかしもはや力もなく、ただ「お返しください」と繰り返すことしかできなかった。

-マリア。

先には「レディ」と呼びかけた声は、今度は彼女の名を呼んだ。
懐かしいトーンで。
懐かしいアクセントで。
懐かしいあたたかさで。
その声は彼女の名を呼んだ。

あのお方が私をお呼びになるときの声。
マリアは顔を上げた。

-ラボニ!

マリアは、涙を袖でぬぐって立ち上がった。

立ち上がった拍子に、かかえていた香油の壷がころがり落ち、地面にあたって砕けた。
流れ出た香油は、墓の中をかぐわしい香りで満たしたが、しかしマリアは気にも留めなかった。
この香油はもう必要ないものだったから。


補足

昨日(2008年3月23日)イースター礼拝で、説教が墓に行った女たちのことに触れたとき、突然マグダラのマリアのことが気になりだしました。聖書は例によって淡々とマリアが泣いていたことを記録しているけれど、ほとんど正気を保てないくらいだったんじゃないだろうか、と。

それで急に「書こう」と思いました。
イエスの遺体がなくなっていたとき、彼女がどれほど絶望したのか。それを意識しないと、復活のイエスに会ったときの感動がわからないのではないだろうか。マリアのその感動を私たちは、というか私は共感しなければならないし、そのためには彼女の絶望を思わなければならないのではないだろうか。

知られているとおり、復活のできごとをめぐっては四福音書間に記録の乱れがあります。こんな異常事態をまったく冷静に書き留めていたとしたら、逆に「口裏を合わせたに決まっている」と疑うところですが、しかし再現しようというのにこの記録の混乱は困る。というわけで、基本的にはヨハネ20章をベースにしつつ、かなり自由に脚色しています。

注解書も見ないで一気に書いています。
「婦人よ」を「レディ」と訳したのは、カナでイエスが母に「婦人よ」と言ったときの言葉は「貴婦人」という意味だということをスティーブンス・栄子師のメッセージで聞いたことによりますが、2章4と同じ単語が20章でも使われているのかも確認していません。

墓の中の亜麻布のイメージは、カトリック麻布教会の聖書を学ぶ会でいただいた「聖書と典礼 2006.4.16」の表紙絵「空の墓と復活のキリスト」のイメージです。
復活の主が弟子たちに現れたとき、鍵のかけられた戸をすり抜けるように入ってきたように記録されていますが、それに似てまるで亜麻布からキリストがすり抜けてしまったように、台の上に人のかたちに亜麻布が残されているという絵です。
イコンの画像はモスクワのトレチャコフ美術館のサイトで見ることができます。「聖書と典礼」については、オリエンス宗教研究所のサイトを参照。

その絵だと天使の背中には翼が描かれていますが、聖書に出てくる天使は翼が生えていたり頭の上に金の輪っかがあったりという姿で記録されてはいないので、翼のあるケルビムはまた別の存在です。ただ、「十戒(律法)」を収めた契約の箱を守るようにふたの上にいる一対のケルビムと、墓の中で「律法の完成者イエス」の横たえられたところを守るようにいた二人の天使が関連性を持つような気がしました(このあたりもどういう説があるか調べてもいません)。

ただでさえ知識が乏しいのに記憶もあいまいで、この時代に契約の箱はまだあったんだっけ?なんて思いましたが、そもそもマグダラのマリアは婦人の庭までしか行けないから、至聖所の中の実物を見たことがないのは確かだよなと。それくらい知識としてはいいかげんなまま、ただ「そのときのマリアの心のうち」をあらわしたくて書いたものです。

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作成:2008年3月24日
更新:2008年3月27日

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