このページはあくまでも「筆者がその立場だったら」と想像して書いているものです。このため、聖書に反しない範囲で書いてるつもりではありますが「解釈」としては正統なものではないことを、あらかじめご承知ください(聖書に反すると思われた場合には、メールでご指摘ください)。
なお、従来の解釈に異を唱えている部分もありますが、それらの解釈を支持する方自身を否定するものではありません。
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余はベニヤミン族のサウル。といっても、同じベニヤミン族出身で同じ名前の、のちにパウロと名乗った男とは別人だ。
余は王位についたが、彼は余にあやかって名づけられたのに、大使までしか出世できなかった。 |
使徒パウロの本名はサウロ(旧約ではサウル)。 "使徒"は「大使」「遣わされた者」という意味 |
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イスラエル王国は、12部族の統一王国としては、結局3代しか続かなかった。余のあとをダビデが襲い、そしてその子ソロモンが最後の王となったわけだが、この3人の中ではどうも余がもっとも評価されていないようだな。まあ、わからんでもない。がしかし、少しだけ余の話を聞いてもらいたい。 |
イスラエル統一王国は、ソロモンの死の直後に南北に分裂した。のちに、北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国はバビロンに滅ぼされることになる |
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繰り返すが、余はイスラエルの歴史上最初の王である。つまり、王制というものを余も国民も祭司たちも経験したことがないという状況で、ある日突然に王座に座らせられたのだ。これで完璧な王となれというほうがそもそも困難であろう。 |
それまでイスラエルは、ヤハウェによる神政政治だった。軍事的危機などの場合には、ヤハウェに任命された士師(しし)と呼ばれる英雄が民を率いて戦った。しかし王制を敷く強国に抵抗するため、常備軍を率いる人間の王が求められるようになった。→サムエル記上巻8章 |
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にもかかわらず不当な評価を受けていることについて、その原因に心当たりがないこともない。余が思うに汝らは、余が、サムエルの到着を待たずに勝手に戦勝祈願のいけにえをささげたこと、ダビデ殺害を画策し追いまわしたこと、などを余の汚点として数え上げるのであろう。 | |
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しかし、余がいけにえをささげたことについては、大きな誤解がある。確かに余は、アロンの家系どころかレビ族出身でさえない。しかし、王と大祭司では呼び名は違うが、ともにヤハウェに任命され民を導く"油そそがれた者"を指す役職名である。 |
祭司はレビ族の、アロンの家系の男子が就く。 祭司制が定められて以来、いけにえをささげるのは祭司の役目であったが、それ以前には族長たちもささげていた。イスラエルの王が、祭司同様に"油そそがれた者"であり、族長同様に民の最高責任者であることを考えれば、サウルの弁明はあながち拡大解釈とはいえないのではないか。 |
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ダビデを狙ったことについては、悪霊が余の判断を狂わせていたことは、聖書に記録されているとおりである。だから余には責任がない、とはいわないが、サタンがヨブにわざわいをもたらしたのも、ヤハウェの許可があってのことであり、ファラオがイスラエルを解放しなかったのも、ヤハウェがファラオを頑迷にしたからである。すべてはヤハウェの御心の天に成るごとく、地にも成るのである。 | |
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加えてダビデの周囲には、ならず者どもが集団を作っていた。彼らは、ヤハウェがさだめられた体制と、ヤハウェが立てた王とに反対する者であるから、これを征伐するのは余の職責であり、そこにダビデがいなくとも余は出兵したであろう。 | サウルを王にした民衆のうちから、サウルに反対してダビデにつく者が出たのは、イエスを新しい王として大歓迎した民衆がわずか1週間後に「十字架につけろ」と叫んだことを思い出させる。 |
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ダビデも、取り巻きに「サウルを討て」と言われながらも冷静だったところを見ると、サムエルも民心も家族も余から離れて行こうとしていたときに、皮肉にも彼だけがわが苦衷を理解していたように思える。 |
逃亡中のダビデがサムエルを殺すチャンスが再三あったが、ダビデは「ヤハウェが立てた王を人が殺すことは許されない」と側近の声を退けた。→サムエル記上巻26章 |
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ほかにも、祭司を殺したことや、命を支配するヤハウェに逆らうように、サムエルの死後その霊を呼び出したことなど、余の罪を数え上げる者があるであろう。余もアダムの子孫であるから、罪をまったく犯さないというのは容易ではない。言い逃れする気はないから、罪のない者から順に余を裁いていただこう。 |
原罪思想(アダムの子孫である全人類は、罪の性質を受け継いでいるという考え)はキリスト教以後であると言われるため、サウルはこうは考えないかもしれない。 |
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それにしても、ダビデもソロモンも、そんなにいい王か? | |
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確かにダビデは、政治軍事の面では、イスラエル王国の版図を急拡大し、繁栄させた。しかししょせんは、神殿を建てようとしたときにヤハウェから「あなたは戦いに明け暮れ、人々の血を流した。それゆえ、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。」と失格になった、血で染まった手の男である。 |
歴代誌上巻28:3 |
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ソロモンにいたっては、あの政治のどこを見て"ソロモンの叡智"などと言えるのかわからぬ。 |
メギドでは馬を450頭以上収容できる施設も発掘されているが、国際関係は若干の緊張状態をのぞけばおおむね良好であった。 "外資系ゼネコン"と書いたのは、ツロの王ヒラムのこと。実際には町20くらいではとてもたりない莫大な負債だった。 |
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しかも次の王となるべき息子の教育もなっていなかったようだ。ソロモンの死後にバカ息子が即位したとき、北の諸部族が「ダビデ王朝で我々に何の利があるか。今後はユダ族だけでダビデ王朝の面倒を見ろ」といって分離独立したのも、あれでは当たり前というものだ。イスラエル統一王国の分裂は、すべてソロモンのでたらめな経済政策と家庭内教育の失敗が原因である。北王国があまりにもあっさり偶像礼拝に走り、滅亡も南王国より若干早かったために、南に正義があり、北はヤハウェが立てたダビデ王朝に対する造反者のような印象を持つかもしれないが、五十歩百歩というものである。 |
ソロモンの子レハブアムが即位したとき、人々はソロモン時代の圧制を軽くしてほしいと陳情に来たが、レハブアムは重臣よりも悪友たちの意見を聞いて「ソロモン以上に厳しくやってやる」と答えた。→歴代誌下巻10章。 |
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ダビデ王朝がこんなていたらくであるのに、一人わが身が非難されるのは、ダビデ王朝から見れば、余は前王朝ということになるからであろう。どの民族の歴史をとっても、歴史が編纂された時代の前の王朝や政権というものは、正当に評価され正確に書かれるほうがまれだ。自分の政権の正当性を主張するために前王朝をこきおろすか、たたりをおそれて祀りあげるか、どちらかである。 |
ダビデがヨナタン王子の遺児メフィボシェトを養子同然にしたのは、ヨナタンとの愛のためである(サムエル記下巻9章)。 しかしここでは、前の権力者の無念を晴らした者が大義名分を得る世の習いとして解釈してみた。織田信長を討った明智光秀を討った豊臣秀吉、聖徳太子の子孫を皆殺しにした蘇我入鹿を殺した中臣氏(藤原氏)たちなどと、サウルの一族を害した者に対するダビデの報復は、かなり類似性があると言えないだろうか。 |
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確かにダビデは、一人だけ生き残った余の孫を丁重に養ってくれた。だがこれも、ダビデ王朝としての、わがサウル王朝への供養のようなものであり、自分が簒奪者ではないことをアピールするための演出の意味が強いものでだろう。 | |
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余がこのような弁明をするのは、余の名誉のためではない。汝らが余をどのように評価しようとも、今や余にはかかわりのないことだ。今は黄泉にいる我らも終わりの時にはよみがえり、来るべきサタンとの戦いにおいては、ダビデが千を討つあいだに余は万を討ち、かつて余を苦しめた悪霊どもに借りを返すであろう。今はただ、主のときを待ち望むのみである。 |
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