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金持ちの青年はどうなった?

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このページは、聖書に書いていないことを筆者の想像で書いています。このため、聖書に反しない範囲で書いてはいますが、「解釈」としては正統なものではないことを、あらかじめご承知ください(聖書に反すると思われた場合には、メールでご指摘ください)。
なお、従来の解釈に異を唱えている部分もありますが、それらの解釈を支持する方自身を否定するものではありません。


マタイ福音書19章に、興味深い人物が登場します。彼はイエスに近寄り、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋ねたのです。
この人物について、聖書からわかることを整理してみましょう。

  1. 聖書の教えに忠実な、敬虔な人物だった(マタイ19章20)
  2. 青年だった(マタイ19章22)
  3. 議員だった(ルカ18章18)
  4. 大金持ちだった(マルコ10章22)
  5. いいとこのボンボンだった(庶民は戒律を守っていては生活にならない。青年と呼ばれる若さで1~3を満たせるのは、名家の御曹司と思っていいと思われます)

戒律を守り議員であるということは、バリバリの体制側ということです。しかもユダヤの指導者層は、イエスがメシアだなどという者はシナゴグから追放する、と布告していました。
にもかかわらず、彼はイエスに教えを乞いに来たのです。これはどういうことを意味するかというと、ユダヤ指導者層の教えでは物足りない、彼らの言うとおりに戒律を守っているのに天国にいけるという実感がわかない、つまり体制に見切りをつけたという表明なのです。

ところが彼は、イエスに「財産をみな売り払って貧しい者にほどこし、私の弟子になって従って来い」といわれると、悲しみながら去っていったのでした。

彼が去ると、イエスは「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」と言いました。(「金持ちが天国に入るのは楽だが」ではないぞ!)。
すると弟子たちは「俺たちは全部捨てて従ってきました」と胸を張ったのです。もともと大した財産もなかった貧しい漁師などだった上に、水をワインに変えたりできるイエスについていけば食うのには困らないだろうという考えもあっただろうに。

ちょっと脱線しましたが、まあ、「金に執着したボンボンはキリストであるメシアの弟子になれなかった。弟子たちのように、すべてを捨ててキリストを第一としよう」という結論になるわけです。


しかしながら、ちょっと遊んでみましょう。この青年はその後どうなったのでしょうか。守銭奴である彼はクリスチャンになれなかったのでしょうか。

前述の通り、この青年のような「名家の出身で身分のある者」にとって、イエスに教えを請いにいくというのは、かなり思いきった行動です。「追放されても財産がある」と計算したかもって?いえいえ、村八分になるだけではすまないのです。シナゴグから追放されるとは、神を礼拝する場所から追い出されることであり、神を礼拝できなくなるとは天国に行けなくなるということですから。

しかも彼は、聖書の戒律をすべて守っているにもかかわらず「ほかに何かあるのではないか」とイエスに尋ねています。戒律は創造者がイスラエルに与えたものですから、イエスに「戒律にはない、天国に入るための鍵」を尋ねるということは、青年は、イエスを創造者と等しい存在だと考えているのです。

そんな彼が「財産をすべてほどこせ」と言われて立ち去ったのは、イエスのことばがあまりに唐突だったからです。何しろ、金持ちの財産は神の祝福であり、貧乏人の貧しさは神からの罰だと考えられていたのですから。

でも彼は立ち去ったままだったのでしょうか。あれほどのリスクを背負ってイエスのもとに道を求めてきた彼が。

一番気になるのは、マルコ10:21の「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」です。「憐れんで」でも「哀れんで」でもなく「慈しんで」つまりイエスは青年に愛情をそそぎながら「あなたに欠けているものが一つある」と言ったのです。まるで、今は欠けているが君ならその欠けを埋められる、と励ますようじゃないか。
それにイエスは「金持ちが天国に入ることはできない」とは言わなかった。難しいと言っただけ。しかも「人間は自分の努力や慈善で救われることはできないが、神が救ってくださるのだ」と付け加えている。

おまけに「先にいる者が後になり、後にいる者が先になる」という言葉でこの場面を締めくくっているのです。
イエスには、あの青年が結局は救われて天国に入るのが見えていたのではないだろうか。しかも青年は、今は12弟子より後にいるが「先にいる12弟子が青年よりあとになり、青年が12弟子より先になる」と言っているのではないか。
天国にも序列があることをイエスはしばしばにおわせている。別に序列が低いからといって不幸といわけではないが。青年が立ち去ったあとイエスは「天国で12弟子が12の特等席につく」とも言っている。ではそれよりも先になるとしたら、この青年は天国でどのような席を与えられるのだろう。

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更新:2003年2月17日

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