キリスト語録

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第10回 イエスの力のもと

「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」(ヨハネ福音書4:32)

イエスが「私がキリストだ」というのを聞いて、サマリア女は水がめを置いたまま町に帰り、「ちょっとみんな、来て下さいよ。わたしのことをすべて言い当てた人がいるのだけど、もしかしてこの方が、聖書で予告されていたキリストかもしれないの」とふれて回りました。それで町中の人がどやどやと、イエスのいる井戸のところへ出かけていったのです。

ところで、イエスがまだこの女と話しているとき、実は弟子たちはもう戻ってきていました。どこまで買出しに行っていたかわかりませんが(というのは弟子たちもサマリア人から食料を買おうとは思わなかったでしょうから)弟子たちが戻ってみると、師イエスがサマリア人なんかと話していたので、ずいぶん驚いたというわけです。
が、弟子たちはけっこう「くだらない質問をして叱られてはつまらない」という考え方をするタイプだったので、何を話しているのかとも聞けず、サマリア女が立ち去ってからやっと「先生、食事をどうぞ」と言っただけでした。

するとイエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と、またも謎かけのように答えたのです。
これに弟子たちが、誰かが食べ物を持ってきたのだろうか?まさか師は先ほどのサマリア女から食べ物を受けたのか?そんな弟子たちの疑問に答えるようにイエスは、私の言っているのは胃に入る食べ物のことではないのだよと説明を始めたのです。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、そのわざを成しとげることである。」

神であるキリストの目的は、父(創造者)と人間の関係を回復すること。しかも今、このサマリアの民がキリストを通して創造者ヤハウェとの関係を回復しようとしているのです。かつて40日間の断食のあとでさえ「空腹なら石をパンにしてみろ」というサタンの挑戦をしりぞけたイエスにとっては、この場面では空腹感などふっ飛んでしまっていることでしょう。

神ヤハウェの心にかなう行動によって神ヤハウェに養われるというのは、イエスだけのことではありません。
たとえば、このときをかなりさかのぼること千数百年、モーセがヤハウェから十戒をさずかったときのことです。当時80歳のモーセは、ヤハウェとの会見のためシナイ山にのぼって40日40夜も滞在。そのあいだ食事どころか一滴の水も口にしなかったのですが、まったく消耗しなかったどころか元気一杯に下山してきたのです。

命のみなもとである神には、それだけのエネルギーがあるのです。何しろヤハウェは、全宇宙を余裕で創造したほどのエネルギーを持つのだから(理系の方は、どれほどのエネルギーがあれば全宇宙の物質の質量と変換されるか考えてみてください)。

ましてヤハウェとひとつである神キリスト・イエスの場合は、というと少し的をはずしてしまいます。イエスは神であると同時に人間でもあるのです(半神半人ではない)。だから当然、空腹も感じます。それでも、神ヤハウェの目的を果たすことが、食事にまさるエネルギーだというのです。

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作成:2002年
更新:2003年5月28日

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