キリスト語録

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第6回 イエス、キレる!?

「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ福音書2:16)

カナで最初の奇跡をおこなってから、いくらも経たない頃。イスラエルにとって最大の祭り、「過ぎ越し祭」が近づいてきたので、イエスは弟子たちとともに、エルサレムに行きました。イスラエルの首都であると同時に、創造者ヤハウェの神殿があるところです。

私たち日本人にとっては、祭といえば、金魚すくいやら綿アメやらお面やら、射的で大物を落としたのに、テキヤのおっさんがわざとよそ見してて景品をくれなかったり。
エルサレムの祭も、かなりにぎやかなものでした。ローマ帝国の属領、それも辺境の小国であるにもかかわらず、ギリシャなど諸国からの参詣者も多かったからですが、日本の神社の祭と一番違うのは、動物の声が神殿の境内にひびいていることでした。牛やら羊やらハトやらを売っていたのです。

イスラエルの律法では、人々は罪を清算するために動物のいけにえを奉納しなければならなかったのです。それも、キズがひとつもないものでなければなりません。何日も歩いてエルサレムに来る途中に、かすりキズでもしたらそれでもう奉納物にならないのです。
それで、故郷で動物を売り、その金を使って神殿前でキズのないいけにえ用動物を買う、ということが律法で許されていました(申命記14:24~26)。それで祭のときはとくに、神殿周辺は動物屋だらけでした。
また、被占領状態のイスラエルではローマの通貨が使われていましたが、イスラエルでは外国人は「創造者ヤハウェを知らないけがれた民」と考えていましたから、ローマの金をお賽銭にしたくありあせん。それで、イスラエルの昔のコインに両替する両替屋も繁盛していました。

ところが、この光景を見たイエスは、突然激怒するのです。なんと、ロープを拾ってムチにして、動物屋の牛や羊やハトをすべて境内から追い出し、両替屋の台を蹴り倒して金を撒き散らすという暴れ方。もともとイエスは大工、それも石工だったから、さぞ頑丈な体格だったでしょう。もう誰も止められません。
そしてイエスは商売人たちに「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と怒鳴ったのです。

キズのない動物をささげるというのは、財産の中で一番価値があり一番大事なものをも、惜しまずに奉納するという、創造者への信仰を表すため律法でした。だから律法では、創造者へのささげものは、強制されてではなく義務だからでもなく、喜んで自分からささげなければならないとも命じられていました。つまり、いけにえをささげるのは手段であって、自分の心をささげるのが目的なのです。

いけにえをささげること自体を目的にして、ただキズのないいけにえを奉納すればそれでいいかのように振舞う人々、そしてそれに乗じて金儲けをする人々。聖のきわみである神殿の境内で、世俗のきわみである金儲けをしている。それでイエスは激怒したのです。

この様子を見てイエスの弟子たちは、旧約聖書に「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出しました。周りの人たちもそうだったでしょう。イエスにこれだけのことをされても、誰も文句をいわないし、弁償しろとも言わない。いえ、言えなかったのです。イエスの言い分が正当だったから。
それで人々は「なんてことしやがるんだ」とは言えず、「あんたにどんな資格があってこんなことをするのか。恐れ多くも創造者を『わたしの父』などというとは、あんたがメシアだとでもいうなら証拠を見せろ」としか言えませんでした。

これに対してイエスは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」と答えたのです。
今彼らの目の前にある神殿は、最初にソロモン王が建てたあと戦争で完全に破壊され、それを再建するのにここまで46年もかかっているというシロモノです。それを三日で建てなおすなんて、昔の高名な預言者エリシャでもなければできないこと。人々は当然のように「何を馬鹿なことを」という反応しか示しませんでした。

しかし聖書は「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」と説明しています。
神殿とは人が創造者ヤハウェと会う場所、人が罪の清算のために祭壇でいけにえをささげる場所です。イエスは十字架という祭壇で自分の体をいけにえとして殺すことで人の罪を清算し、人が創造者と会うための道を拓(ひら)くために来たのです。つまりイエス=神殿なのです。

イエスは、十字架で殺されたあと三日目に生き返ります。そのときにやっと弟子たちは、イエスの「神殿を三日で建てなおす」というセリフの意味を悟るのです。これが、イエスが十字架について最初に予告した発言となりました。

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作成:2002年
更新:2003年6月26日

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