キリスト語録

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第2回 バプテスマを受ける

「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」(マタイ福音書3:15)

おそらく、イエスに関する記録の中でももっとも難解と思われる記録のひとつです。

イエス・キリストが30歳になるかならないかのころ、ヨルダン川に「バプテスマのヨハネ」という人物が現れました。彼はキリストの先駆者として、人々に「もうすぐメシア(ギリシャ語でいう「キリスト」つまり救世主)が来る。その前に生きかたをあらためろ」と呼びかけ、悔い改めた人々にはバプテスマ(洗礼)を授けていたのです。

ところがそこにイエスが現れ、バプテスマを受けようとしたので、ヨハネは面食らってしまいました。バプテスマは「これからは心を入れかえ、創造者に従って正しく生きます」という表明として受けるものです。創造者とともに人間を創造した神であるイエス・キリストはまったく罪がないので、心を入れかえる必要がないからバプテスマを受ける必要もない。ヨハネは思わず「ちょっと待ってください。創造者に従って生きているとはいえ、アダムの子孫として罪を背負っている私のほうが、あなたからバプテスマを受けるべきです」とイエスを思いとどまらせようとします。 しかしイエスは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と答えたのでした。

イエス・キリストは神です。と同時に人間です。これはギリシャ神話のヘラクレスのような半神半人というのではなく、100%神であると同時に100%人間なのです。創造者とイコールであるイエスはバプテスマを受ける必要がありませんが、罪がないということのほかはまったく普通の人間であるから、バプテスマを受けることが正しい、ということのようです。

こうして「人間でありキリスト(神)であるイエス」はヨハネからバプテスマを受けました。するとそのとき、「聖霊」が鳩のように目に見える姿で天からイエスのもとにやってきて、しかも天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたと記録されています。

声の主は、「父」と呼ばれる創造主なる神でした。その子イエスも「救い主(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)」という神です。そして「聖霊」は、イエスがこれから約3年後に天に帰ったあとに、キリストと交代でやってくることになる、本来は目に見えない神なのです。ところが聖書は、神は唯一であると繰り返し書いています。唯一であると同時に父(ヤハウェ)/子(キリスト)/聖霊として存在するという神の性質を、キリスト教用語で「三位一体(さんみいったい)」といいます。

この場面は、創造者ヤハウェと、救い主キリストと、聖霊である神と、3人(でも1人)がこの人間界で一堂に会しているという、ものすごく重要な場面なのです。

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作成:2002年
更新:2003年5月25日

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