新約聖書 第15回

menu

(このページは、プロテスタントの坂井栄一牧師が教会の印刷物に連載しておられたものを、許可を得て転載するものです。)

明日を思い悩むな -山上の説教(8)-

マタイによる福音書6章19~34節

富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(20-21節)

体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。(22節)

あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(24節)

空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(26節)

あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(32-34節)

1.天に宝を積もう 19-24節

主イエスは、「富(宝)は、天に積みなさない」と言われました。当時のユダヤ人指導者らは、天に宝を積むことが大切だと知っていました。私たちも、この教えはよくわかります。しかし現実には、誰でも地上の宝を求めます。宗教でさえその延長線上にあります。ユダヤ人指導者らが、主に偽善者といわれたのはそのためです。彼らは神から祝福を受けるより、人から尊敬されることを求めました。神社などに奉納された絵馬を見ると、受験や就職、結婚などさまざまな願いが書かれています。みんな地上のことです。

天に宝を積むことは努力でできることではありません。そのことのすばらしさがわかれば、自然にできることです。使徒パウロは、ユダヤ人として家柄も学歴もそして宗教人としてもエリートでした。そのパウロが、

わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属 し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。
しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵(チリ)あくたと見なしています」

と言っています(*1)。人は弱いものです。ただ立派な教えを知るだけでは変わりません。実際にそのすばらしさを知ってはじめて変わるのです。キリストとの出会いは、一度経験すると、価値観がまったく違ってしまうほどの--それまで価値あると思っていたものが塵あくたのように思えるほどの--できごとなのです。

天に自分の富があれば、当然心はいつもそこに向いています。そして目は澄み、地上の富に仕えることもなくなります。地上のものに心を縛られないことがどれほど自由で充実した人生を送ることができるかを教えるのが、次の項です。

2.明日のことを悩むな 25-34節

江戸っ子は宵越し(よいごし)の銭は持たないと言います(*2)。みずからは気風(きっぷ)のよさを言ったのでしょうが、あしたはあしたの風が吹くというような、無責任さを感じる言葉です。「明日のことまで思い悩むな」という主の教えは、これとはまったく違います。

小さい子供は、明日のことを心配しません。明日のことどころか、すぐあとのことも忘れて遊びに夢中になれます。それは母親を信頼しているからです。母親がうるさかったり、心配性だと子供は安心して遊べません。散らかすと文句を言われる、少しでも遅くなると叱られるというような親のもとでは、子供でもあとのことが気になって安心して遊べません。

主は、空の鳥や野の花がどうして育つかを聞く者に考えさせ、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である」と教えられます。父なる神は、人の親より確かに私たちの必要をご存知です。ですから親を信頼しきった子供が、夕食に何を食べようか、明日は何を着ようかと心配しないで、今という時を夢中になって遊び、充実してすごすように、私たちも主を信頼すれば、今という時を充実してすごすことができるのです。主が教えてくださった祈りの中で「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ります(*3)。主を信頼すれば今日の食物、今日の必要を祈ればよいのです。それなのに私たちは、明日のこと、何年も先のこと、老後のことを心配して悩むのです。「あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」(*24)です。

だから大切なのは、「まず、神の国と神の義とを求め」ることです。生きる上で必要なものはすべて、父なる神が与えてくださいます。

(日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.41 1999年10月号より)

発行者注

*1 フィリピの信徒への手紙3:5-8

*2 江戸っ子は宵越しの銭は持たない
今日持ってる銭金を夜を越して翌日まで持たないのが、江戸っ子らしい気風(きっぷ)よさだという言葉。落語では、長屋ネタで熊さん八っつあんが強がったり、廓(くるわ)ネタで女が若旦那に金を使わせたりするときに、よく出てくる表現。

*3 われらの日用の糧を今日も与えたまえ
「祈り方を教えてください」という弟子たちにキリストが教えた『主の祈り』(マタイ6:9-13)の文語調の一節。
「日用(にちよう)」は「日ごとに用いる」の意、「糧(かて)」は食物の意。

*4 マタイによる福音書6:27


このページの著作権は坂井栄一牧師に、発行者注の内容と誤字等の責は発行者にあります。

前へ 上へ 次へ

作成:1999年10月

布忠.com