新約聖書 第5回

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(このページは、プロテスタントの坂井栄一牧師が教会の印刷物に連載しておられたものを、許可を得て転載するものです。)

天の国は近づいた

マタイによる福音書2章19~3章17節

1.ナザレに戻る神の御子(2:19-23)

福音の序曲であるクリスマス物語は、人に喜びを与えると共に、人の罪を表面に出した。ベツレヘムの2歳以下の男子を殺したヘロデ大王は間もなく死んだ。権力を守ろうとしても、富を蓄えても人は必ず死ぬ。大切なのは死を乗り越える確かなものを得ることである。
主の使いはヨセフをエジプトから導き出された(*1)。そして郷里のガリラヤのナザレに戻った。

2.記録のない30年

そして3章は30年後である。聖書は、ルカによる福音書の一つの出来事(*2)を除いて主イエスについて30年間沈黙を守る。聖書(正典)の他に外典として区別される書物が、教会には古くから伝わっている。それにはイエスの幼少の頃の伝説などが書かれている。イエスが幼いときから神の力を発揮する子として記されているが、明らかに創作である。主の子供時代についていろいろ想像するのは自由であるが、真実を教えるのは聖書だけである。
聖書に叙述が無いというのは、主が他の人と違う生き方をされなかったということである。ルカによる福音書の冒頭で著者は、「すべての事を初めから詳しく調べている」と記している。そのルカにして、主の子供時代のことについて記すべきことは、12歳の出来事以外になかったのである。つまり主は、公けの生涯(*3)に入られるまで、徹底して人として生きられたのである。若くして父ヨセフは死んだようである。一家の生活は苦しかったであろう。長男として大工イエスは、家計を支えねばならなかった(*4)。偉人の伝記なら、そうした苦労も記録の対象になる。しかし福音書は、人となられた神の子を記している。人として味わう経験は特筆することではない。記録が何もないとは、それだけ主が人として、徹底して生きられたということである。「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブライ4:15)とある。神の子でありながら、人のすべての経験をしてくださった。だから私たちは安心して主に近づけるのである。主は私たちの悩みのすべてを知ってい下さる。

3.バプテスマのヨハネ(3:1-12)

3章は、いきなりバプテスマのヨハネの登場である。マルコによる福音書とヨハネによる福音書は、ここから書き始められている。
主イエスの宣教の開始、公けの生涯は、預言者ヨハネの「悔い改めよ、天の国は近づいた」という宣言で始まった。ルカによる福音書によれば、ヨハネはザカリヤとエリサベト夫妻の子として主より半年早く生まれた。4節にあるように、らくだの毛衣を着、いなご、蜂蜜を食物としており、世俗を離れた厳しい生き方をしていた。さらに洗礼を施すので、当時クムランという場所で修行していたエッセネ派という共同体の一員であったという説がある。死海写本が発見された所である(*5)。
ヨハネの登場は、旧約聖書のイザヤの預言の成就である。救い主の来るのを待っていたユダヤ人は、罪を告白し、その徴(しるし)である洗礼を受けた。この「罪を告白し」というのが、我々日本人には馴染まない。多くの日本人は、御利益さえあれば何でも拝む。神社に行って手を洗ったり口をすすいだりするのだから、自分が汚(けが)れた存在であることは多少は気付いている。しかし手を洗って済む程度の汚れしか意識していない。神と人との差もその程度であると思っている。だから死ぬと神として祀(まつ)られる者もいる。
聖書の教えはそうではない。神はどこまでも聖なる方である。神は創造主、人は被造物である。まともに神の前に立ったら罪人である人は滅びるしかない。祈るには、先ず自らの心を探って罪を清めなければならない。罪を悔い改めないでは、神の前には出られないのである。だから人を呪う祈りや、わがままな祈り、自分勝手な願いは、初めからできない。神に祈るとは、元来自分の心を探ることであるのに、人は自分の御利益だけを求める。

7節にファリサイ派、サドカイ派というのが登場してくる。最初は宗教的あるいは政治的一派であると理解すれば十分である。ファリサイ派は宗教的な教派で、イエス・キリストと対立する。彼らは旧約聖書の律法(戒律)を厳格に守った。しかし人間的に厳格なあまり、日常生活の細部まで律法に束縛され、表面的な守り方をするようになった。行いでなく、キリストによる救いを信じる信仰によって救われると確信するキリスト者(クリスチャン)を後々まで迫害する。
サドカイ派は、宗教的にも政治的にも現実主義、妥協的である。通常はファリサイ派と鋭く対立した。AD70年のエルサレム崩壊後(*6)は急速に衰えた。
この人々へのヨハネの言葉は激しい。これは妥協的なサドカイ派に対してはわかる。厳格な戒律主義者であるファリサイ派については、福音書を読んでゆくと、その本質が理解できてくる。ヨハネは、自らの力で神の義に到達すると考えることや、系図や伝統に頼る生き方をそのままに、表面で洗礼を受けることを痛烈に批判している。
そして10節。ヨハネより優れた方、キリストの紹介である。偉大な預言者ヨハネも神の子の前に、靴を脱がせる値打ちもないという。神の御子とはそういう存在である。
ヨハネのバプテスマが罪の悔い改めの象徴なら、主イエスの洗礼は聖霊なる神によって新しい命に生きることの徴である。
さらにヨハネは、主が救い主であるだけでなく、最終的には救いを拒むものの審判者になられると宣言する。

4.洗礼を受ける神の子(3:13-17)

ヨハネの洗礼は、罪の悔い改めを象徴するものであった。それなら罪のない主は受ける必要はない。事実ヨハネが「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに」と言っている。それに対し主は「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と答えられた。
ここで「正しいこと」とは何であろうか。人間的には、ヨハネが主から洗礼を受けることが正しいことのように思う。
主は、愛の方である。神としての栄光の一切を捨てて、人となってくださった。そしてすべての人の罪を負って十字架の上で、義である父なる神の怒りを受けて下さった。主は罪を犯されなかったが、いつも人の罪をご自身の罪として負い続けられた。主が「あなたの罪はゆるされた」と宣言される時、その罪は、ご自身が犯したものとして父なる神の罰を受けるのである。すべてのひとの罪を負いつつ生きる主は、一番重い罪人である。罪人の側にご自身を置く主だから、ヨハネから洗礼を受けたのである。ファリサイ派は決して自らを罪人の側に置かなかった。常に罪人を裁く側に立った。
主にとって、正しいこと。それは愛のゆえに人の罪を負うことである。

(日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.31 1998年12月号より)


発行者注

*1 エジプトからの帰還

「ヘロデが幼子を殺そうとしている」とのお告げを受け、ヨセフは妻子を伴ってエジプトに避難していた。ヘロデが没すると、天使がヨセフに安全を告げたので帰ってきた。これらはエレミヤ書31:15-17の預言の実現。

*2 イエスの少年時代

唯一、ルカ2:40-52に、12歳になったときに慣習に従って神殿に宮参りに行ったこと、そこで学者たちと問答したことなどが記録されている。

*3 公(おおやけ)の生涯

イエスが人々を教え始めたのは、30歳の頃と考えられている。この時から、十字架で死に、生きかえり、天にのぼるまでの約3年間を、教会では「キリストの公生涯(こうしょうがい=おおやけの生涯)」と呼んでいる。

*4 イエスの父ヨセフ

イエスの父ヨセフについては、イエスの誕生のときの記録以外には名前が出てこないため、早い時期に亡くなったのではないかとも考えられている。ヨセフは大工(石工)だったので、イエスも公生涯に入る以前は長男として大工をしていた。宗教画のキリスト像は線が細いイメージだが、大工の経験が長く、しかも年中歩いて旅していたのだから、割といい体格だったかも?

*5 クムラン教団、エッセネ派、死海写本

ユダヤ教の一派で、俗世を離れ修道的に過疎地に住んだ。有名な死海写本は、死海北端のクムランという地の、エッセネ派のものと思われる洞窟で羊飼いの少年により発見された。

*6 AD70年のエルサレム崩壊

BC63年、ポンペイウスの侵攻によりユダヤはローマの支配下(属州)に。AD66年に反乱を起こすものの、AD70年にエルサレム陥落、神殿は焼け落ち市街も破壊された。

ヘブライ

新約聖書の「ヘブライ人への手紙」


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作成:1998年12月
更新:1999年8月25日

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