新約聖書 第4回

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(このページは、プロテスタントの坂井栄一牧師が教会の印刷物に連載しておられたものを、許可を得て転載するものです。)

幼子(おさなご)に会う喜び

マタイによる福音書2章1~18節

神の子、救い主イエス・キリストが生まれたのは、ヘロデ王の時代とある。神の子は、人の歴史の中に生まれてくださった。聖書は年代を示すのに王の名前を用いている。ルカによる福音書では、主がお生まれになったのはローマ皇帝アウグストゥスの時と記されている。しかし神の子が来られて歴史は変わった。現在では歴史をA.D.(anno Domini - 主の年)とB.C.(before Christ - キリスト以前)に分けるのが世界の大勢となった。実際に主がお生まれになったのは、紀元元年より前であるが、神の子が歴史の中心に置かれるようになった。
ヘロデとはヘロデ大王のことである。彼は政治手腕は優れていた。ローマ帝国の元老院に取り入ってBC37年ユダヤの王となった。ユダヤは帝国の東のはずれであった。防衛力を強化するため、ローマに納めるべき税金を自由に用い、堅固な要塞を築いた。また自分に異邦人の血が混ざっていたので、ユダヤ人の信頼を得ようと立派な神殿を築いた。現在エルサレムに残っている城壁の下の部分や、回教の岩のドームが建っている石垣は、ヘロデ時代のものである。パレスチナには、他にも多く彼の立てた建造物が、2000年の時を経て残っている。彼は没したBC4年までユダヤを治めた。
猜疑心が強く、妻をはじめ、その兄弟、さらに王位を狙うと思い込んで自分の子供まで殺している。だからキリストが生まれた時、ベツレヘムの2才以下の男子を殺すなど、彼には何でもないことであった。イエスがヘロデ王の時代に生まれたとは、神の救いがそのような時代に実現したということである。
東から来た占星術の学者がエルサレムに来た。エルサレムから東とはメソポタミアである。そこは、BC8世紀には、当時分裂していた北王国イスラエルの人々がアッシリアに、同6世紀に南王国ユダの人々がバビロンに、捕囚として大量に送られて行った地方である。
異邦の地でユダヤ人たちは救い主の来られる事を強く願うようになった。占星術師らは、そうしたユダヤ人の思いを知っていたのであろう。
計算ではBC7年に、木星と土星が見かけ上接近して大きな光を放ったと言われる。そうした天文学的に通常の星であるか、すい星のように突然現れる星であるかは解らないが、占星術師たちを動かしたのは事実である。彼らは星を見た時、ユダヤ人が待っていた救い主が誕生したと信じた。そして当然、ユダヤの首都であるエルサレムに行き、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねた。これがヘロデの耳に入ったのであるから穏やかではない。本来は救い主の出現を喜ぶはずのエルサレムの住人も、ヘロデが何をしでかすかと不安になった。またユダヤ人たちは、信仰的な事柄については異邦人を蔑んでいたので、彼らの発言を聞くことはなかった。それで宗教的指導者らも、ヘロデに命じられて救い主の生まれる場所を調べ、それがベツレヘムであると答えたが、救い主を拝みに行くことはおろか、確かめに行くことすらしなかった。
我が子さえ殺すほど王の地位に固執するヘロデは、万一を危惧して占星術師らにその場所を教えるように告げた。
彼らは、ベツレヘムに向かって進んだ。再び星を見て大きな喜びに溢れた。主イエスにお会いするという事は、その期待だけで喜びが湧いてくる。
家に入って母に抱かれている幼子にお会いした。そして黄金、乳香、没薬を献げた。いずれも高価なものである。考えてみると不思議な光景である。立派な、地位も財産もある人たちが、貧しい大工の夫婦と何の変哲もない幼子の前に跪き、礼拝を捧げるのである。献げ物が三品あるので、古くから占星術師は3人と言われるようになった。

イエスを神の子と信じるのは、知識ではない。占星術師たちは、キリストについての知識は無いに等しい。それに対してユダヤ人指導者らは、御子の生まれる場所まで調べることができた。しかし実際に神の子にお会いできたのは、聖書を知らない異邦人であった。

ここでも主は最初から、無知な者の救い主として来てくださったことが判る。

そしてベツレヘムの悲劇。ヘロデが2才以下の男子を殺したのは、主が生まれてから時間が経っていたと考えられる。占星術師らは、羊飼いと一緒に馬小屋に駆けつけたのではない。
多くの幼子が殺されるというのも、人の世の現実である。現在も地球上では毎日子供を含めた数万の人間が死んでいく。飢餓によってである。私たちは自分が飽食の状態にありながら何もしない。目の前に見えないからと言って事を起こさない。しないと言うことで、人殺しに荷担している。
また私たちは競争社会に生きている。実際に人殺しはしなくても、多くの人を蹴落とし、傷つけてきた。ヘロデの立場なら邪魔な者を殺すかもしれない。
神が罪人を愛し救いを実現しようとされる時、人の罪はますます鮮明になる。自らの罪に気づく人は、主にお会いできる。

(日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.30 1998年11月号より)

発行者注

ヘロデ大王

ローマの後ろだてによるユダヤ王(在位:前37~4)。ローマに追従し、皇帝の名を冠した都市(カイザリヤ)を建設するなどの一方、ダビデ王の全盛期に匹敵するまでに領土を拡張した。
バプテスマのヨハネを処刑した「領主ヘロデ」(→マタイ14章)ことヘロデ・アンテパスは息子。

岩のドーム

現在のエルサレムの写真にみられる、”嘆きの壁”の上にある金色の屋根のモスク。エルサレムはユダヤ教、キリスト教の聖地であると同時にイスラム教の聖地でもある。
ちなみに中には一枚の板状の岩があり、この岩の上でアブラハムがイサクを神にささげた(→創世記22章)と言われる。


このページの著作権は坂井栄一牧師に、発行者注の内容と誤字等の責は発行者にあります。

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作成:1998年11月
更新:1999年7月30日

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