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新約聖書 第3回

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(このページは、プロテスタントの坂井栄一牧師が教会の印刷物に連載しておられたものを、許可を得て転載するものです。)

クリスマスに備えて

マタイによる福音書1章18~25節

少し早いが、この箇所はクリスマスに読まれるところである。主イエス・キリストの誕生の経緯が、系図の上では父親のヨセフを中心に書かれている。ルカによる福音書では、マリアが主人公である。人は、一つの出来事をいろいろな方向から見ることができる。だから福音書は四つ必要である。
聖書は、必要なことしか書いていない。婚約している相手が妊娠した時の、男性の心情など何も記されていない。ただ「ひそかに縁を切ろうと決心した」という言葉にヨセフの心情が伺える。ヨセフは正しい人であった。正しい人は不正を許さない。密かにはしない。公にする。当時婚約している女性が、別の男性の子を宿したら死刑である。ヨセフは正しい人であったが愛の人であった。マリアに対する複雑な気持ちもあった。マリアが過ちを犯すような女性でないことを知っていた。人間的に正直に告白してくれたら密かに許したかもしれない。マリアの説明による聖霊によって身重になったというのはヨセフには信じられない。正しさと優しさ、信じる気持ちと裏切られた思い、そんなものが交錯して、マリアを死刑にするのは忍びなく密かに離縁を考えたのではないだろうか。
そのヨセフに、主の使いが現れる。人の悩みの頂点で初めて主の働きがある。苦しくても、主の答えのない時は、なお悩まねばならない時である。主の前に祈り続けなければならない。完全な人にして、同時に神として生まれてくる方、それが聖霊によって宿るという言葉に込められている。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(23節)

マタイは、イエスが旧約聖書に預言されているキリスト(救世主)であることをしっかり強調する。それで旧約の引用が多い。
大切なのは「インマヌエル」という主の名である。「神、我らと共にいます」神から遠く離れた私たちの中に神の子が生まれて下さった。そして罪人と共にいて下さる。完全に愛の方と一緒にいる以上の幸福は、人にない。クリスマスはその幸いの成就である。

ヨセフが主の使いの言葉を信じ、マリアと結婚したことが、全人類の救い主誕生に結びついた。ヨセフが、主の使いを信じなければ、マリアは殺された。クリスマスは起こらなかった。正に世界の歴史的できごとが、一人の人の信仰に懸かっている。私たちの信仰も小さいが、神の国と深く関わっている。神を信じる小さな信仰を大切にしよう。

(日本同盟キリスト教団富津教会 月報No.29 1998年10月号より)

発行者注

イエス・キリストの系図
マタイ福音書1:1~と、ルカ福音書3:23~に、イエス・キリストの系図が記録されています。マタイの方は父方の、ルカの方は母方の系図であると考えられています。

当時婚約している女性が、別の男性の子を宿したら死刑
申命記22章23~の規定。「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない。」
参考→ヨハネ福音書8章1~11


このページの著作権は坂井栄一牧師に、発行者注の内容と誤字等の責は発行者にあります。

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作成:1998年10月
更新:1999年6月25日

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